2012年5月5日土曜日

マルケスのいる風景


マルケスのいる風景

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青木冨貴子
 
 その年、夫ピート・ハミルはわたしの誕生日に何か特別のプレゼントを用意している様子だった[…]
 そして、その日の午後、垂れ下がった大きな耳をもつ黒い子犬が到着した。犬好きのわたしのために、彼が前から欲しかったラブラドル・リトリバーの子犬を贈ってくれたのである。[…]
 当時、わが家にはチェックオフという老犬がいた。チェックオフというのは、ロシアの文豪チェーホフを英語読みにした名前で、ピートの娘の犬だった。[…]
 翌朝、子犬を抱いたわたしは彼の名前を考えはじめた。チェーホフに対抗するわけではないが、同じ屋根の下に住む一方� �ロシアの文豪であれば、片方もそれなりの品位と風格を兼ね備えた名前にしたいものである。[…]
 わたしはひとりで「ソウセキ、伏せ」とか「オウガイ、お手」などと反復していたが、半年前にキューバで会ったノーベル賞作家、ガルシア・マルケスのニックネームが「ガボ」であることを思い出した。「ガボって、良いと思わない?」
 彼のプレゼントとはいえ、わたし名義の犬の名前について、あくまで口を出さないよう努めていた夫が、ついにニヤリとした。
『ガボものがたり―ハミル家の愛犬日記―』

[補遺]この時のマルケス訪問については「ハミル、ピート」の項参照。

青野聰

 ぼくはミラーの一作目の「北回帰線」から順を追って読もうとしていた。二十世紀を� �表するこの小説を取りこむ袋が、自我がまだ貧弱なために備わっていなかった。すごさの片鱗にふれたと感じたのは三年ぐらいたってからで、そのまえにジュネを読みふけった。これはミラーを「あんなものは、アンチャンの文学だ」とこきおろした、暗黒舞踏系のダンサー石井満隆の勧めによるものだ。女装して、肌を小麦粉で白くして優雅に踊る彼とのつきあいは、おもえばジュネをよむことからはじまった。彼のなかにジュネが住みついてしまっていたので、ジュネとしゃべることが、すなわち彼としゃべることだった。マルケスの「百年の孤独」は彼の知人のフランス人におしえられた。こうしていても目が真っ青でやぎひげを生やした、すこぶる善良なそのフランス人が、スペイン語で書かれた今世紀最良の小説のひとつなんだ よ、と子供に話すようにして「百年の孤独」の魅力を説明してくれた、パリのアパートの薄暗い一室がおもいだされてきてキーを打つ手がとまる。いくたびもいくたびも転がりこみ、集まってくる文無しと安いワインを飲んで、少ない材料でうまいものをつくって食べ、いい季節になるとばらばらに散っていた歳月を……。
「今までに読んだ本の量は……。」

青山南

 ジョン・アーヴィングの日本での『ガープ』タイトル戦争については前に書いたとおりだが、アメリカでも似たようなことがあったのを知った。モノはガブリエル・ガルシア・マルケスの『百年の孤独』。この「百」の処理にかんして、訳者と批評家がけんかしていた。[…]
「こないだマイケル・ウッド教授が『百年の孤独』に言及� ��た文章を書いていた。その内容を云々する気はない。ただ、どうしても気になったことがあるので、それを書く。ウッド教授よ、あなたはなぜ、
 "A Hundred Years of Solitude"
と表記するのかね。わたしは、
 "One Hundred Years of Solitude"
と記したはずだ。確かに、原題は、
 "Cien años de soledad"
であるからして、数字の意味はアイマイである。しかし、この小説の結末を読んだとき、これは"One"であって"a"ではない、とわたしは確信した。ガボ(マルケスの愛称)にも問い合わせてみたが、ガボも、その通り、と言ってましたよ。"one"こそ、自分の考えを体現している、とね。ウッド教授よ、答えなさい!さあ、どうだ」
 ウッド教授はこう答えていた。
「悪気はなかったですよ。ただ、わたしはあなたの翻訳であの小説を読んだわけじゃないので、つい、"a"とやっちゃったってことです。ほら、"one"だとなんかおおげさで、いばってるかんじがしますでしょ。だから、もっとカジュアルな"a"を採りました。でも、こんなことを言ってたら、ラバッサさんも御存知のとおり、翻訳なんてできゃしません。あなたはえら� �よ。なにしろ、できないことをやってるんだから」[…]
 ある日、偶然、洋書店の棚にウッド教授が書いた『「百年の孤独」論』を見つけた。表紙には、"100 Years of Solitude"と、なんと、数字で表記してあった。
『ピーターとペーターの狭間で』

安部公房

 ドナルド・キーンさんから「『百年の孤独』を読んだか」と聞かれ「知らない」と答えると、「とんでもないことだ。これはあなたが読むために書かれたような小説だからぜひ読みなさい」と教えられた。「僕は英語が読めない」と言うと、「冗談じゃないよ、翻訳があるじゃない」。あわてて新潮社に電話して手に入れました。読んで仰天してしまった。これほどの作品を、なぜ知らずにすませてしまったのだろう。もしかするとこれは一世紀に一人、二人というレベルの作家じゃないか。
                *
 まるで魔術師みたいにギュッと魂をとらえてしまうあの力は解説でつくせる� �のではありません。とにかくマルケスを読む前と読んでからで自分が変ってしまう。一番肝腎なことは、ああ読んでよかった、という思いじゃないか。もし知らずに過したらひどい損をするところだった、見落さないでよかった、という、これこそ世界を広げることだし、そういう力を持っている作家との出会いというのはやはり大変なことです。文学ならではの力というべきかもしれない。
『死に急ぐ鯨たち』

 遅ればせながらでちょっと恥ずかしいけれど、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を最近読んで、非常に驚嘆すると同時に、やはり、今世紀の傑作の一つではないかと思った。あの小説の場合、マルケスは意識してか、意識しなかったか、非常に素朴なスタイルを取っているように見える。しかし、それでいて、書 くということがなぜ作者の中で成り立ったのか、成り立たせているのかという依りどころを失わずに、しかも非常に構造的に、「なぜ読むのか」という問いに対する答えを出していると思う。「昔あるところに」と言ってしまうと、作者が神様になってしまうけれど、あの作品はそうじゃない。年代記風になっているけれど、作者は超越した存在ではなくて、書かれている世界と同じ次元に自分を埋め込んでいる。
『都市への回路』

 こういう方法でしかとらえられない世界があるってことね。単におもしろかったり奇をてらったりしているわけじゃないんだ。こういうおもしろさがつかめないような感受性では、現代文学のすぐれた部分をそっくり見逃してしまうことになる。とくにこの『百年の孤独』は、一世紀に何冊かしか� ��ないレベルの作品だからね。
『マイブック』

〔補遺〕安部公房についてのマルケスの文章がある。
来日した折り、辻井喬や大江健三郎らと会合を持ったことに触れ、「安部公房だけが見あたらなかったが、彼は後日、ひとりきりでやってきて私を誘い出し、プライベート・クラブのひっそりとした片隅で話をした。私はそれまでお茶とビスケットだけを取りながらあんなに笑ったことはなかったように思う。」(「アミーゴ健三郎」(田村さと子訳)《新潮》平成7年3月号)

〔参照〕文献抜書帖

アルモドバル、ペドロ

 夜、街に出て、ひっきりなしに人にほめられるなんて気持ちわるくてうんざりよ。やれパディなしじゃ『ラ・ルナ』は廃刊になるだろうとか、ヘ� ��ベバ・ブラバンテからこっちスペイン文学ではパディほどのキャラクターは存在しなかった、なんてね。このあいだなんか、マドリードの日刊紙がインテリや文化人と称してる連中に、『ドン・キホーテ』以後スペイン語で書かれた小説のベストテンをあげるようにアンケートしたんだけど、なんとひとり残らずわたしの告白を選んだのよ。なかには『百年の孤独』より上位にわたしの作品をあげる者もいたくらいなの。いったい、あの連中はわたしを何だと思ってるのかしら。
『パディ・ディスプーサ』(杉山晃訳)

アレナス、レイナルド

国家公安局は生贄の羊としてエべルト・パディージャを選んだ。パディージャは公的なコンクールに『オフサイド』という批判的な本をあえて提出したこ とのある、体制にとっては不遜な詩人だった。[…]
一九七一年、パディージャは妻のべルキス・クサ=マレとともに逮捕された。独房に閉じ込められ、脅され殴られて三十日後にその独房からぼろぼろの人間となって出てきた。そのパディージャの話を聞くために、キューバの知識人たちのほとんどがUNEACを通じて国家公安局から招かれた。[…]
国家公安局に拘留されているあいだに革命の美しさを理解し、春をうたう詩をいくつか書いた、と言った。パディージャの話だとそれまでの作品をすべて否定しただけでなく、自分の妻をも含めて反革命的な態度をとっている友人全員の名をおおやけにしてしまったという。パディージャは一人ずつその人物の名を挙げていった。ホセ・ヤネス、ノルべルト・フエンテス、レサ マ=リマ。[…]
パディージャに反革命的と指摘された人物はみんな後悔するかのように胸をたたき目に涙を浮かべながら、パディージャのいるマイクのところに駆けつけ、自分の罪を認
め、自分がつまらない人間、体制に対する裏切り者であることを認めなくてはならなかった。むろん、そのありさまは国家公安局に残らず撮影され、そのフィルムは世界のありとあらゆるインテリ層を巡り、とりわけパディージヤの不当逮捕を非難する手紙に署名した作家たち全員に見せられたのだった。その中には、マリオ・バルガス"リョサ、オクタビオ・パス、フアン・ルルフォ、そして、いまやフィデル・カスト口が抱える最も重要な操り人形の一つとなったあのガルシア=マルケスさえいたのだ。
『夜になるまえに』(安藤哲行訳)

飯島耕一

 草原のたてがみいろの黄昏にけり    赤黄男
一九八二年ノーベル文学賞を受賞した中米(ママ)コロンビアの作家、ガルシア・マルケスの小説は、わたしにはちょっと読み難かった。『百年の孤独』も『族長の秋』もはじめのほうを読んだだけで早々になげだしてしまっていた。それがこの間、マルケスがシナリオを書いた映画『エレンディア』の試写を見てまことに面白く、帰ってすぐに『百年の孤独』をみ読み始めると今度はどんどん作品に入って行ける。色彩ゆたかな国の、近代文明のやって来るのが遅かった国の、しかもホラ話なのだ。話が少しずつ、いや大いに大げさなのだ。そこから人間臭とユーモアが奔出するのであった。まだ三分の一ほど残っていて、目下読みつつあると ころなのだが、こういう時、俳句のことに頭を切りかえるのはいささかつらい。
送られて来る句集や俳誌を開いてみるのだが、どれもが息の短い、小手先のきれいごとにしか見えないのだ。
先回は西東三鬼について述べた。と、三鬼と同年代で、三鬼とは互いに意識し合っていた宮澤赤黄男のことを思い出した。
赤黄男の句ならば、ガルシア・マルケスの濃厚な色彩にも拮抗してくれるかも知れない。赤黄男の句には濃い色彩というものがありそうだ。
『俳句の国徘徊記』

〔補遺〕飯島耕一がマルケスについて言及していることは、やはり詩人の平出隆による『光の疑い』で知った。

石原慎太郎

あなたの『けものがれ、俺ら』は、すごい映画になるよ。ガルシア・� ��ルケス原作の『予告された殺人の記録』という映画、あれを思い出したよ。猿と肉食虫、嫌なイメージの小説だよなあ(笑)。あれは撮ったらすごい映画になる。
「文学と発イメージ力」(町田康との対談)

池澤夏樹

 この小説が繁茂する木々といった自然物の印象を与える理由もこのプロットの多岐にある。作者の創作の意図はからみあう無数の枝と葉と蔓の間に隠れている。[…]
 先程の木のパターンの比喩をもう少し先へ延ばした読者は、『百年の孤独』という邦訳にして千枚ほどの小説は実は発表されざる一万枚の大作の要約であると同時に、百枚からなる高密度の短編のパラフレージングであり、それはまた十枚のあらすじの拡大ではないのかと夢想に至るだろう。あるいはそれは、メ� �キアデスの羊皮紙文書に誘導された夢想かもしれない。
『ブッキッシュな世界像』

 ただ話の筋だけをなぞるのはまだ本当に民話的とは言えないかもしれない。大事なのは民話を語る精神の方であり、聞き手の熱意についつい促されてとんでもない話を紡ぎ出してしまう物語の勢いの方である。そういう意味で、二十世紀の文学で民話的手法を徹底して用いて大成功をおさめたのはガルシア=マルケスということになる。
『海図と航海日誌』

 ガルシア=マルケスは事件だったんですよ。ぼくにとっては…。ガルシア=マルケスとぶつかったというのは、やっぱりその後の自分にとっては非常に大きな、いまだにすっかりは表面化していない事件でした。
『沖にむかって泳ぐ』

〔参照〕文献抜書帖

井上荒野

 若いときには、どうしても筋を追うんですよね。どうなるんだろうと思いながら読んでいて、どうにもならなかったりすると、なんだこれは?つて憤然としたりする。でも、だんだん読んでいくうちに筋じゃないところがおもしろいということがわかってくるんです。フォークナーなんかはそうだと思うし、マルケスなどでも、小さな子供がもし読んでもきっとわからないと思うけど、案外細かな描写なんかは残っていくんじゃないですか。[…]
 でもきっと、雨の中にカニがいるとか、牛が川を流れていくとか、そういう感じが残っていくような気がする。それは決して悪いことではないと思う。
                *
 マルケスの『予告された殺人の記録』は ちょっと衝撃的でした。生活と風土と殺人事件がまったく渾然一体となっていて。えっ、南米ってこうなの?と(笑)。あれは南米という土地自体が持っている独特な何かなんだと思うんですけど、日本の小説でいうと大江健三郎さんの四国とか、中上健次さんの熊野とか思い出したりもしました。
「名作を見る楽しみ、読む喜び」(三木卓との対談)

井上光晴

 ドストエフスキーとソルジェニーツェン、或いはフォークナーとヘミングウェイがもし存在しなかったならと考えると、世界文学と読者の関係は見事に照射されてこよう。ロシア、アメリカ文学に限らず、カフカは「虫」に変身しても不屈な精神のありかを証しだててくれたし、カリブ海の沿岸に生まれたマルケスは、愛と死にまつわる飢えに 似た『百年の孤独』を、蝶を食う植物のように花開いてみせた。
『世界名作文学館』

上野千鶴子

 タイトルについて説明しておこう。『百年の孤独』は、ガルシア・マルケスの著書からとった。荒唐無稽な英雄物語だが、ここに(メキシコ・編者註)いるとどんなことか起きても不思議はない、と感じられる。『千年の愉楽』は、中上健次の作品のタイトル。うまい名をつけるものだと、一瞬嫉妬した。「千年の」は、非歴史的な無時間を思わせるが、「百年」なら、長い中断のようなものだ。ふと「百年の孤独」から醒めたら、まわりの景色がすっかり変わってしまっていた、というように。またたくうちに変貌していく周囲の景色に、ひとり取り残される英雄の孤独はきっと深いに違いない。「百年」 は、わたしにとって意味がある。
「百年の孤独」

エリクソン、スティーヴ

─あなたの作品をはじめて読んでまず思ったのは、"この作家はフィリップ・K・ディックとラテンアメリカ文学を読んだフォークナーだ"ということだったんですが。
「僕もまさにそういう反応が出てきていいと思うんだが、アメリカではまずそう読んでもらえない。較べられるのはたいてい、J・G・バラードとトマス・ピンチョン。バラードはほとんど読んでいないし、ピンチョンは素晴らしい作家だと思うけれど僕とは全然違う。一番影響を受けているのは、君が言ったようにフォークナー、ディック、ガルシア=マルケス、それにヘンリー・ミラー、エミリー・ブロンテ。ずっと前、漱石の『こころ』とブロンテの� ��嵐が丘』を二晩で読んだのは強烈な体験だった(笑)」
『愛の見切り発車』柴田元幸

大江健三郎

 コロンビアのというより、すべてのラテン・アメリカの国ぐにの作家としての、ガブリエル・ガルシア・マルケス。メキシコシティ北縁の住宅地の、高い石造りの壁に囲まれた家に移ったばかりのマルケスを僕は訪ねたが、かれにもまた独自のアイデンティティーを達成した作家の印象があった。憂わしげに疲れたところと、生き生きと活発なところとが表裏一体をなしている点で、このブーツをはいたコロンビア人は、モカシンの大靴をはいたダンツィヒ人と似たところがあった。かれは翌日キューバに発つはずで、キューバ大包囲の時期を描く方法の、その底柢にデフォーの『ペスト年代記』を置くこ� ��を考えついたが、どうだろう?と訊ねた。
 この時すでにマルケスは、『族長の秋』を書きあげていたのだろう。かれは小説の語り口の選び方に、複雑な手つづきを集中する作家だが、自分が書きあげたばかりの『族長の秋』の語り口の工夫に、うしろから呼びかけられるように気をとられているふうでもあった。一年おくれて、英訳でこの小説を読んだ僕は、その語り口の確実な達成に、感銘をあたえられた。ラテン・アメリカの社会の、多様な、しかし統一的なものを求めているその総体が、表現者に対して望むところは複雑にちがいない。しかもマルケスは、過剰なほどに個性を輝かせながら、作家としてのアイデンティティーを成就している。それはスペイン風の中庭をへだてて母屋に対する、大工の仕事場のような書斎で、 旧式の大きいタイプライターよりは他はなにも置いていない机の前に坐っていた、ガブリエル・ガルシア・マルケスから、僕が感じとっていたところと、同一のものに思える。
(文中、ダイツィヒ人とはギュンター・グラスを指している)
『表現する者』

[補遺]大江のこの時の訪問についてマルケスも後に次のように記している。
「それまでに彼の名前を耳にしたことはなかった。しかし、自分と非常に似かよった個性の核をもっている人と出会うことができた、まれな神秘的出来事のひとつとして彼の存在を忘れたことはない。」(「アミーゴ健三郎」田村さと子訳,《新潮》平成7年3月号)

 コロンビアの作家ガブリエル・ガルシア・マルケスも、長篇『族長の秋』では、やはり層をなす多様� ��意味をはらむ独自の再生を描いていた。ラテン・アメリカの一独裁者が影武者の死を機会に、いったん自分も姿をかくす。かれの名における葬儀は国家規模でおこなわれ、ナイーブに死を悼む者と死体を辱かしめようとする者とがある。死んだ人間としてすべてを隠れ場から見た独裁者は、突然公けの場に帰って、報奨し報復する。そして心底怯えた民衆からそのいきさつは、再生と受けとめられるのである。およそ独裁者たる者に共通の惧れと夢をないまぜてあらわす、この再生の劇は、またラテン・アメリカの情況を典型的に体現しているマルケスの、大きく根柢的な緊張をあらわすものであった。
『小説の方法』

大岡玲

2012年5月3日木曜日

ゴシップガール GOSSIPGIRL


「ゴシップガール」シーズン1で最も印象に残っているシーンは?

シーズン1で一番思い出深いシーンといえば何かな・・・。何だかすごく昔のような気がして思い出せないんだけど、第10話だったかな。デビュタント舞踏会のシーン。ダンがその会場からセリーナを連れ去るんだ。周りのみんなは高級ドレスとかタキシードを着ていて、すごくロマンチックなシーンだった。カメラワークとか音楽とか、すべてが印象的だった。特に僕にとってはね(笑)。

シーズン1の一番の見どころは?

ダンとセリーナの関係じゃないかな。ダンにとっては、新鮮でワクワクするような出来事続きだったから。今はお互い不安定なんだ。セリーナを追い求めていたシーズン1の前半が僕にとってのハイライトだよ。

日本の視聴者にメッセージを一言!

とにかく、文化の違いを超えてみんなが楽しんで見てくれたらいいと思う。すでに世界中の人がインターネットでドラマを楽しんでくれてるし、多分受け入れられると思うな。僕は日本の文化はよく知らないけど、このドラマは日本のみんなにも楽しんでもらえるドラマだと思う。テンポの速い展開も魅力のひとつだと思う。みんなが気に入るはずだからぜひ楽しんでほしいな。

日本には来たことありますか?

まだないよ。でも日本は行ってみたい国。日本と聞いて連想するのは「東京」かな。それから思い浮かぶのは、すごい数のネオンの明かりがあふれてる巨大な都市。それから僕が大好きなスシ。日本料理がすごく好きなんだ。だから日本に行って本場のスシを食べてみたいよ。だいぶアメリカのとは違うって聞いたことがあるから。

(2009年2月)

ドラマのベースになった小説のことはご存知でしたか?

台本をもらった時、小説のことは全く知らなかった。だから、正直初めてタイトルを読んだときは、これは一体何についてのドラマなんだ?って感じだったよ。女の子向けだよね。だから始めのうちはちょっと恥ずかしい気持ちがあった。役が決まって、小説の最初の40ページくらいを読んだんだ。物語のトーンはどんな感じなのかなって思って。実際に自分で読んでみて、僕たちの作っているドラマは、小説のコピーではないんだってことを感じた。小説の始まりを使わせてもらって、そこから自分たち独自のストーリーに飛び込んだ感じ。それでも第一話は、一番小説に似てるかな。

アメリカのティーンは本当にドラマみたいな感じなんですか?

2012年5月2日水曜日

チェルノブイリのある避難者の詩


反転攻勢がはじまってきています。私たち国民は、何も知らない気がつかないペットにできると思っているのかしら。
チェルノブイリ事故で同じ体験をされ強制避難になったベラルーシの方の詩をどうか読んで下さい。反論も何もいらない。
そこによりそって一緒に体験して見てください。原発など、人間ごときがコントロールできるものではありません。

ポレーシェのすばらしい地方
あなたでの生活はどんなに良かったか
あなたに抱きしめられたまま暮らした日々よ
それはかけがえのないものだった

思い出すたびに胸が痛む
そこでは私たちの人生は天国のようだった
小道、森…緑の草原
それらすべてが私たちのものだった

そこに住んでいた人たちの優しさ
仕事も友情も大切にして
パンも塩も平等にわけ
互いに訪問し合っ(飲み明かし)たものだ

ナロヴリャは静かな街
広々とした公園と
プリピャチ川が流れ
本当に天国だった

自然を誇りに思っていた
教会へ行って祈っていた
そして、爆発が地下から来るということを誰も思っていなかった

ある日、私たちは目覚め
互いに優しくほほえんだ
メーデーの朝だった
そして、天気が暑かった

パレードには風船やプラカード
人々はそれをいつものように楽しんだ
しかし人々は知らされていなかった
それを思うとなおつらいのだ

私たちの子供は花のように
晴れ着を着て、
詩を朗読していたのだ
メーデーについてだってしっかりした考え方を持っていたのだ

そして、祭りに水を差さないように
私たちに誰も真実を言えなかった
それは、たぶん、共産主義のせいかもしれない

結局、言わざるを得なかった
チェルノブイリは煙を吹き始めたから
あわてふためいてはいけません
大丈夫になりますって。

あと何日か待っていた
何も知らなくて。
何?なんで?どこ?質問がいっぱいあったが
本当のことは聞かせてもらえなかった

電話が破裂しそうだった
全国から電話をかけてきたから

2012年4月30日月曜日

UFOの秘密 第2話


「政府は態度をはっきりさせるべきだ。治安という理由でこうした問題を論じたくないというのなら、なぜそのように言明しないのだろう?」とディミックはぼやく。

だが空軍は何も言わなかった。空軍によれば円盤は群集ヒステリー≠フ1種であるのだ。メキシコ航空兵団長ロドリゲス・カルデネスは否定的な言葉をつけ加えて、この種の新聞記事に対する相互の同意ということになれば良き隣人%Iやり方はまだ生きていると言う (注:米空軍が否定すればメキシコ側も同調して否定するの意)。実際そのようになっていたので、空中に物体を観測するように訓練されたパイロット、ナビゲーター、その他の要員たちは、もはや空軍情報部へ観測結果を報告することに熱心でなくなってしまった。荒っぽい返事が多すぎたのだ。観測することは疑いをかけられることであり、知ることは罪であった。アメリカという国がみずからそんな状態にあるということは狂った状態だけれども、やはりそうなの� �ある。

責任ある地位についているほとんどの人が、まるで自分が指導者としての力を持っているかのように、公的な態度をとるようになったのである。もし米国防省がそんなふうにやってゆくとすれば、読者は肯定的な面を強調するような人を頼りにするとよいだろう。

 あちこちから出てくる肯定的な報告類のさなかにあって、シカゴ大学の天文学教授、ジュラルド・P・カイパー博士は、メキシコで報告された円盤の乗員が小人であったという説を一笑に付したけれども、いわゆる空飛ぶ円盤のパイロットなるものは利口な虫か、または小さな植物かもしれないとほのめかした。これは火星で現在生きているものはその程度だろうという理由のためである。

この種の否定は当時その筋から否定されることはないだろう。それが"正しい"方向にそっているからだ。しかもこの考え方は他の天文学者のそれと同じなのである。

ところがカイパー博士と同じほどの高い地位にある天文学者達は、これとは異なる意見を持っているのである。多数の学者はこの問題に関してオープン・マインドを維持してきた。あの物体(複数) は空飛ぶ円盤だと信じていた人々もあるが、それがどこから来るかは不可解であった。少数の人はたぶんどこかの惑星から来るのではないかと考えていた。しかしカイパーの気まぐれな発言に乗せられて、大抵の人は円盤が火星から来ると考えていたと読者は思うだろう。一体円盤が火星から来るとだれが言っただろうか。オーソン・ウェルズ? (注:タコのような姿をしした火星人が地球を侵略したというSFを書いて米国にセンセーションをまき起こした男)。とっくの昔に死んだR・A・ロックの亡霊か? それとも軍部の策略なのか ?

空軍の将官がこの円盤問題について何かを書いたことは知られていな・いが、トゥルー誌は何とかして当時の家畜囲いから2人の海軍軍人を脱出せしめた。元海兵隊パイロットのドナルド・E・キーホー、それにまだ現役の司令官ロバート・E・マックローリンは、みずから見聞した空飛ぶ円盤について記事を書いたのである。それは冗長な、くだらないものだった。それらの記事は意味のないものだったと言えば酷に聞こえるかもしれないが、貧弱な材料だったというよりもむしろ拙い文章だったために、よけいにそうだったのである。とにかくトゥルー誌は円盤の分野では最初のものではなく、私はバラエティー誌に書いた記事によってトゥルー詰よりも10週間ほど先を行っていたが、フェート誌は更に私を1年も引き離していた。しかし� ��の記事は何かの焼直しではない。それまでだれも書いたことのない材料を用いたのである。

その記事の大部分はボストン、バッファロー、カンザス・シティー、ロサンゼルスに及ぶ広範囲の各種新聞に転載されたし、1、2のラジオ局からも放送された。

こうしたすっぱ抜きが続いているあいだ、空軍情報部は空中の観測物を前にして不気味な沈黙を保っていた。だがこの出現物のために全世界の人々は冷戦の議論から空飛ぶ円盤に関する熱心な推測へと方向を変えたのである。

科学者の名前はエドガー・B・デービスだ!

ところでデンバーといえば、1950年3月8日のあのナゾの講演者についての騒ぎが広がっていった。あの科学者の講演がテープに録音されたことや、それがキーラーの働いていたKMYR局で隠されたらしいということをだれかがおぼえていた。そしてキーラーの部下がデンバー市の実業家たちにそのテープを聞かせたために、デンバー大学のスパイ行為や逆スパイ行為説のバカらしさをよく理解できたのである。

その頃までには、講演が行なわれたとき町にいなかった学長がいや味たっぶりに発言し始めていて、教授団に指令を発した。これからはもっと慎重に講演者を選べというのである。デンバー・ポスト続開係の匿名の一筆者がこの間題を取り上げようとした。そして論評の中で、訪れて来る講演者のなかで匿名を用いる者を拒絶せよと書きたてたが、これは自分のことを棚に上げて他人を批判するものであった。

ラジオ放送を聞いた市民たちのなかに、同じデンバー・ポスト紙の記者がいた。彼は大学事件をあらためて日曜版に載せたが、これは陸軍航空隊情報部をふたたび刺激することになった。そこでキーラーはたまりかねて、これ以上拷問の材料を受け入れるわけにはゆかないと言った。

「あのナゾの科学者の名前はエドガー・B・デービスだ!」 と叫んだのである。

これを聞いた人はみな、どうやらほんとうらしいと思った。しかしエドガー・B・デービスとはだれなのか?ここで新たにその探索が始せったのである。

デンバー市民が講演のテープ録音を聞いていた、ちょうどその時間に、ハリウッドで数名の人が同じ講演のテープ録音を聞いていた。これはオリジナル録音をコピーしたものである。これはハリウッドの或る医師の自宅で聞かれた。そこの夫人は大学卒の看護婦で、以前は旅客機のホステスであった。この録音テープは或る地球物理学者が保管していたもので、私はこの人を長く知っていた。

このテープを聞いた人たちは驚いてしまった。しかもテープの声と地球物理学者の声がほぼ同1であるという事実によけいに驚いたのである。 もちろんデンバーとロサンゼルス間の飛行時間はわずか6時間だから、同じ日に両方の場所にいることは無理なことではない。

ところが3月17日にデンバー大学教授団、学生たち、新聞社、空軍情報将校連は、廊下の壁に 「初心者のための空飛ぶ円盤講座」と題するポスターを貼らせた例の科学者の正体をつきとめたのである。

4名の学生とタイムライフ社デンバー支局長バロン・ベシャー(この男は招待状なしに講演会場に押し入った)は、デンバーのポスト紙に掲載された写真類から判断して、その科学者はサイラス・メーソン・ニュートンだと確信したのである。この人はニュートン・オイル・カンパニーの社長で、1942年度コロラド州アマチュア・ゴルフ選手権保持者、ベイラー大学とエール大学卒、ベルリン大学大学院修了、レンジリー油田の再発見者、美術界の後援者、そして大体に世事にたけた人で、いうなれば科学者で資産家であり、どこにもいるような典型的アメリカ人なのである。

一学生がこの講演者をおぼえていると言い出した。この学生はレークウッドのゴルフ場で何度も彼のキャディーをつとめたことがあったために以前からずっとその正体を知っていたのである。だが評判にはならないことがわかっていたので、それまでは話さなかったのだ。この間題は秘密だということになっていなかったのだろうか。

2012年4月29日日曜日

ならず者は『デスペラード』、本日のブログは『エスペラント』|鐵’sブログ


ブログネタ:ガス、電気、水道止められて一番困るのは?

ガス、電気、水道、そして…LOVE

止められて一番困るのは、LOVEでしょうね。

…

真面目に答えます。

水道です。

申し遅れました。

私には、ギターケースに武器を入れている仲間がおりません。

アルカットワンのエル・テツオ・マリアッチです。

早速ですが、皆様は、『エスペラント』をご存知でしょうか?

実は、私も今朝、専務に教えてもらうまで知りませんでした。

私事で恐縮ですが、『エスペラント』と『デスペラード』

似てませんか?

イーグルスの『デスペラード』カッコイイですよね!

…

2012年4月28日土曜日

フランケンシュタイン * MARY SHELLEY'S FRANKENSTEIN カウチ生活/ウェブリブログ


映画では古典と言われ
実在しない想像上の人物や生きもが繰り返し作品になっているというモノも多いです

今回紹介する作品も過去に30本近く映画化されている人物のひとりで
その中のひとつとなりますが少し異彩を放っている作品とも言えるかもしれません

『フランケンシュタイン』です

 MARY SHELLEY'S FRANKENSTEIN アメリカ[1994]

  北極海を目指す探検家の船に命からがらたどり着いた男性は
  目標のために努力を惜しまないその探検家の姿をみて狂人≠ニ言うが
  その男は過去に自分がした恐ろしい実験と怪物の事
  そして自分の狂人ぶりをその探検家に話すのであった

原作の小説『フランケンシュタイン』と言うのがあるのですが
※参考Wikipedia → フランケンシュタイン 
内容としてはほぼ原作に忠実につくられているようです

2012年4月26日木曜日

関塾タイムス Monthly Special


心動かされるような本との出会いは、一生の宝物です。困難を乗り越えるためのヒント、家族や友だちを大切にする心、勉強が好きになるきっかけ・・・どんな宝物が隠れているかは、本を開いてみないとわかりません。
そこで、今回は「今この時期、皆さんに読んでほしい本」を、関塾の先生方に紹介していただきました。「こんな人に読んでほしい」「ここが感動した!」など、先生方のコメントを参考に、皆さんにぴったりの1冊を探してみてくださいね。

心に染みる名作たち。
日本の物語

他国の文化も学べる
世界の物語


『星の王子さま』
(岩波書店)
著:サン=テグジュペリ/訳:内藤濯

『人間の絆』 上・下
(新潮文庫)
著:サマセット・モーム
/訳:中野好夫
サハラ砂漠に不時着した「ぼく」は、ある小惑星からやってきた王子さまと友だちになって・・・。

「物事の本質について考えるきっかけになりました」
(東京都 Dr.関塾駒込駅前校 教室長・高橋礼子先生)

主人公は体にコンプレックスを抱えながらも、自分の行く道を模索する。著者の自伝的小説。

「人生とは、ということを、考えるきっかけになりました」
(東京都 Dr.関塾駒込駅前校教室長・高橋礼子先生)


『十五少年漂流記』 (新潮文庫)
著:ジュール・ヴェルヌ
/訳:波多野完治

『秘密の花園』
(西村書店)
著:F.H.バーネット
絵:グラハム・ラスト/訳:野沢佳織
十五人の少年を乗せた船が漂流した。ようやくたどり着いた無人島での生活が始まる。

「無人島のような見たことのない世界を体験してほしい」
(大阪府 Dr.関塾南茨木校 多賀正樹先生)

10年間誰も入ったことのない花園。ガーデニングを通して、少年少女が成長する様子がみずみずしく描かれている。

「主に女の子に読んでほしい名作です」
(兵庫県 進学アカデミー北条栄智校教室長・西村雅代先生)


『イワンのばか』
(岩波少年文庫)
著:レフ・トルストイ/訳:金子幸彦

『史記列伝』
(岩波文庫)
著:司馬遷
訳:小川環樹、今鷹真、福島吉彦
純朴でまじめなイワンが、悪魔の誘惑にも負けずコツコツと働いて豊かになっていくロシアの民話。

「皆さんも、イワンのように、小さな努力をコツ
コツと積つ み重ねて勉学に励はげんでほしいです」
(東京都 Dr.関塾明治通り雑司が谷校 内藤尭夫先生)

中国最初の歴史書『史記』で紹介される政治家や武将、刺客などの人生を描く。全5巻。

「矛盾や完璧など、多くの言葉が生まれた本です。漢字や故事成語 、歴史の勉強にも役立ちますよ」
(神奈川県 Dr.関塾国分北校 教室長・西山邦生先生)