夢のもつれの作品批評:三島由紀夫 バルザックほか
三島由紀夫への三章
豊饒の……
仮面と告白
金閣寺と子猫
建礼門院右京大夫集
バルザック:ラブイユーズ
P.K.ディック:アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
ユルスナール:東方綺譚
マハーバーラタ
シェークスピア:マクベス
泉鏡花:化銀杏
上田秋成:春雨物語
織田作之助:夫婦善哉
鈴木道彦:プルーストを読む
石丸晶子:式子内親王伝〜面影びとは法然
ポオ:作詩の哲学または構成原理あるいは作曲のコツ
三島由紀夫への三章
1.豊饒の……
いわゆる三夕の歌の一つ、藤原定家の「見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦のとま屋の秋の夕暮」について、三島由紀夫は「なかりけり」でこの歌がもっている、つまり要の字句だと主張しています。花も紅葉もと言いかけて、それを言葉の上で否定していても、花や紅葉という言葉が出てきた以上、そのイメージは残る。なかりけりと言うことによって、かえって寂しげな海岸風景にうっすらと華やかなヴェールがかかったようになると。……
この文章は定家の歌の珍解などと冗談めかしていますが、それは謙遜か韜晦であって、本当は大真面目なもので、彼の最後の小説、「豊饒の海」の末尾と明白な関係があると私は思っています。
「豊饒の海」四部作は、ほとんどが本多繁邦の視点� �語られ、第三作の「暁の寺」からは次第に彼がドラマ自体の主人公になっていくのですが、その最後に至って彼のかつての親友(松枝清顕)の恋人(綾倉聡子)と――第一作「春の雪」は清顕と聡子の許されない恋を描いたものです――六十年の時を隔てて再会します。しかし、落飾して月修寺の門跡となった聡子はあろうことかこう言います。
「松枝清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。そんなお方は、もともとあらしゃらなかったのと違いますか?」
自分が仏門に入った契機でもある、恋人を知らないと言う門跡に対し、本多は彼女が白を切っているとしか思えないものの、次第に不安に駆られます。
「しかしもし、清顕君がはじめからいなかったとすれば……それなら、勲もいなかったことになる。ジン・ジャンもいなかったことになる。……その上、ひょっとしたら、この私ですらも……」
第一作のみならず、第二作、第三作の主人公、すなわち自分の人生と深く関わった人々がいなかったとすれば自分も存在していなかったことになる。うろたえる本多に、門跡ははじめてやや強く彼を見据えて――ということはあたかも審判を下すようにと言っていいでしょう――こう言います。
「それも心々ですさかい」
心ごころ――あると思えばある、ないと思えばない、すべては相対的なものでしかない。ということだけなら、相対主義か独我論みたいなもので、ある意味ありふれた言明だとも思えます。実際、全編の通奏低音をなしている唯識論は、「暁の寺」で正面から取り上げられていますが、その煩瑣な議論自体が「それでも世界は存在しなければならない」から行われていると何度も繰り返されています。その執拗さは、逆に言えばこの世界の存在基盤の危うさを示しているようにも感じられます。三島は、現実世界の空虚さを実感していたのでしょうか。
しかしながら、そういう見方は小説の中のことと外の生の世界での哲学的な議論をごっちゃにしていると言わなければならないでしょう。世界が� ��在するかどうかなんてことは、小説家である三島にはどうでもいいことだったはずです。小説が書ければ世界が存在しなくても別に問題はないよと。
「豊饒の海」というタイトルは、月の「海」の名前で、当然水もなく、魚などが住めるところではありません。それを豊饒というところに皮肉というか、逆説があるわけですが、要は初めから「この小説はカラカラの砂漠みたいに何もないんですよ」と言っているわけです。「でも、言葉で、言葉だけで何もないところに豊饒なイメージを醸しだしてあげましょう」と。
もうおわかりでしょう。主要登場人物と何より物語の全体を見渡していた、本多がいなければ……もちろんこの小説全体は存在しえなくなります。しかしながら、小説は元々愚にもつかないことを言葉だけ で成り立たせ、読者にうかうかと読ませ、納得させることが本義だと、三島は考えていました。この作品自体が輪廻転生という現代人にとっては、およそ真面目には信じられないことを主題にしています。その延長線上に、言葉によってできた大伽藍を最後になっていったん否定することによって、読者にこの小説の存在をかえって強く印象づけているのです。まさに定家の歌のように。
「豊饒の海」の後には、藤原定家についての小説の構想を三島は持っていたと言われていますが、私はこうしたことからもう既に成されていたのだと思っています。海の上に横雲がたなびくように、見えるとも、見えないとも定かならずとも。……
蛇足を付け加えることになりますが、「豊饒の海」の本当の最後に注目してみましょう。
「そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……
「豊饒の海」完。
昭和四十五年十一月二十五日」
先ほど述べた小説全体の否定が心象と情景の描写となって締めくくられているわけですが、問題は最後の日付です。これは言うまでもなく、彼が市ヶ谷で決起し、自決した日です。実際にはかなり前に原稿は完成していたそうですが、そんなことはどうでもいいことです。この日付の記載は、この小説が作者の死の日に終わっていることを告げているわけですし、それ以外の理解は困難でしょう。例えばその朝に原稿用紙に書き終えて、軍服のような楯の会の制服に着替えて出発する、そういったイメージを喚起するものです。
しかしながら、そんなことを他ならぬ三島が、他ならぬこの小説で言う必要があるのでしょうか。作者の事情(たとえそれが生死に関わることであっても)などとは無関係に純粋に言葉だけで小説を作 り上げてきた彼の姿勢から言って、幕切れで作者がひょいと顔を出しているような一行は、蛇足であると言わざるをえません。
2.仮面と告白
再び三島由紀夫の小説について書きます。今度は初期の代表作「仮面の告白」を取り上げます。この作品の有名な出だしは何を意味しているのでしょうか。 「永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。」
生まれたばかりの赤ん坊にはっきりとした視覚と記憶があるなんて、ありえないことです。主人公もそのように受け取られることを意識していて、それを言わばモメンタムにして、この小説を展開していきます。
単純に考えればこういう『大嘘』をつくことが仮面の告白たる所以であると思えるでしょう。私自身の経験で言いますと、姉と話をしていて、この小説の題名から内容は「告白を装った真っ赤な嘘」というように理解していると知って、びっくりした記憶があります。
つまり姉(あるいは少なからぬ人びと)は、「仮面=偽りの顔→告白=偽の発言」というふうに定式化しているのでしょう。
しかしながら� ��それでは『告白』の意味合いがあまりにも希薄だと思えます。さすがに専門家は私の姉のようには理解していません。肉に食い入る仮面という言い方があるそうですが(誰が言ったかは知りません)、「仮面=別の人格(ペルソナ)but告白=(作者自身の)真実の発言」というのが文芸評論家などの常識でしょう。
話がだいぶこみいってきました。かつては、こういうのが文芸評論らしいと思われたふしもありますが、別に大した話ではありません。前回、小説の本義は愚にもつかないことを言葉だけで成り立たせ、読者にうかうかと読ませることにあると、三島は考えていたと言いましたが(それは三島の一貫した姿勢だったと思います)、それが彼自身に向かった場合にどうなるのか、ということです。もっと簡単に言えば、� ��小説を(近代小説の本家である)ヨーロッパの小説の流儀で書いたらどうなるのか、ということです。
私小説とは何か。私の勝手な理解では、作家自身に起こったことをほぼそのまま書いた大正時代から昭和時代に隆盛を極めた日本独特の文学形式となります。「ほぼそのまま」というのがポイントで、小説としての虚構なり、方法論なりを持たずにということですが、これには異論があるでしょう。「日記(今ならブログ?)じゃあるまいし、実体験をそのまま書くわけはないだろうが!」という文句があの世から来そうです。でも、私は言います。「じゃあ、その虚構性はなんのためだったんですか? 実体験が持つ真実性をより高めるために施したものだったんじゃないんですか?」と。
小説の真実性。これは私小説 作家も、三島もずっと悩んできた問題で、たぶん現在の心ある作家もみんな悩んでいる問題だと思います。私小説作家は、その拠り所を最終的には実体験こそが最もリアルなもので、真実だということで解決していたのだと思います。すなわち、ありのままに書く、そのように見せるということです。……たぶんリアリズムという言葉をどこかで勘違いしていたのでしょうし、狂言綺語をものした紫式部が地獄に落ちたという伝承に見られる古臭い倫理観に捕らわれていたせいでしょう。
三島の場合は、全く異なります。これは嘘っぱちだ、虚構だということを第一行目から押し出しながら、その中で真実性を成り立たせようとします。この小説には、エピグラフとして、「カラマーゾフの兄弟」がかなりの長文で引用されています 。それ自体が若い三島の並々ならぬ意気込みを示すもので、またいろんな意味でこの小説と深く関連しているのですが、とりあえず注目したいのは、最後の「しかし、人間て奴は自分の痛いことばかり話したがるものだよ」です。
美と悪行(ソドム)との逆説的な関係について、ドストエフスキーらしい異常な熱とめまぐるしい論理の屈折の後に、ぽんとこの言葉が出てきます。論理的にはつながりがないにもかかわらず、この文章で抽象的な議論がいきなりリアルなものとなり、まさしく真実性を獲得していると思います。この個所とドストエフスキーの実体験は表象上は何の関係もなく、いわゆるリアリズムでもないにもかかわらず、圧倒されてしまうのです。……脇道に逸れますが、こういうドストエフスキーがぬっと出てきて いるところを読むと、地鳴りのような低音部がドライヴするチャイコフスキーの交響曲を思い起こしてしまいます。
これが三島の目指したものではないでしょうか。こうしたヨーロッパの小説の底力を見ると、我が私小説は何とも貧相な、中途半端なものに映ったのだと思います。「自分の痛いこと」を虚構の中で言うこと、これが仮面の告白の意味でしょう。
私小説は、表面的には絶滅したようです、少なくともレッテルとしては。でも、まだまだ自伝的小説とかいうものは多いようですし、何より小説を読んで「私」とか「ぼく」とかの一人称で書かれていれば(もしかしたらそうでなくても)、作者のことだと思ってしまう読者は、現在でも53%(当社調べ)はいます。ミステリー作家の場合は、この数字は下がるそうで すが。……よけいなことばかり言って恐縮ですが、全集の解題にこの作品を「自伝的告白小説」としていたのには、思わず笑ってしまいました。
では、三島がそんな手の込んだことをしてまで言いたかった「痛いこと」というのは、何だったのでしょうか。その答えもエピグラフが示していると思います。美とソドムの関係について述べられているわけですから、美とソドミー(同性愛、もう少し広くとれば性的逸脱)の関係と理解してよいでしょう。つまり聖セバスチャンです。さらに(これは三島が意識していたかどうかははっきりしませんが)、美と同じ意味合いで出てくる「聖母(マドンナ)の理想」からすると、母あるいは母性との関係があるように思います。この点は、彼の中ではおそらく「禁色」を経て、「サド侯爵 夫人」において終着点を見出しのでしょう。それらは、この作品と違って、「熱烈なる心の懺悔」とも「詩」とも言いがたいと私は思いますが。
3.金閣寺と子猫
三島由紀夫の最後の作品の末尾、初期の代表作の冒頭の順で取り上げてきましたから、最後は中期の代表作の真ん中でなければなりません。こうしたやり方は三島が最も好んだはずですから。
「金閣寺」は三島の作品中、最もポピュラーなものの一つでしょう。足利義満による創建当初のまま残っていた金閣寺が放火されたという衝撃的な事件に取材したこと、最初から主人公の僧侶が犯罪を犯すことが読者にわかっていて、いわゆる倒叙もののスタイルをとっていることなどが人気を呼んだのだろうと思います。このわくわくするような(ミステリーのおもしろみのかなりの部分は犯罪を疑似体験する楽しみです)ストーリーを貫いているのが美(その象徴としての金閣寺)に対する三島独特の議論であり、それにリズムと興趣を与えているのが「南泉斬猫」という禅の公案です。
昔々、ある禅寺で修行僧たちが紛れ込んできた子猫があんまりかわいらしかったので、二手に分かれて争っていました。これを見て、南泉和尚(歴史上有名な禅僧ですが)が子猫を斬ってしまった。これはどういうことか? 禅僧が猫と言えども殺生していいわけはありません。これが第一の公案です。公案とは、まあ悟りを開くための手がかりとなる質問と言ったらいいでしょうか。
次に副住職である趙州(これも名僧の誉れの高い人です)が外出先から帰ってきて、南泉から子猫を斬ったことを聞き、意見を訊かれて、黙って頭に靴を載せてすたすた歩いて出て行った。それを見て、南泉は「ああ、今日おまえがいれば子猫は死なずにすんだのに」と嘆じます。これが第二の公案ですが、こうなってくるといわゆる禅問答、訳のわからない話らしいでしょう?
これを主人公の溝口とアンチヒーロー(メフィスト・フェレス?)的な大学の同級生の柏木(彼も臨済宗の禅家の息子です)がいろいろと議論します。柏木は子猫を美そのものだと見立てます。美は誰にでも身を委せるが、誰のものでもないから、僧侶たちの争いの元になったのだと。さらに、美は虫歯のように舌にさわり、引っかかり、痛み、自分の存在を主張するのだと言います。しかし、痛みに耐えかねて抜くと、虫歯はもう死んだ物質にすぎず、美ではなくなる。南泉が子猫を斬ったのは、美を内部から抜こうとしたからであり、それでは猫の美しさは死んでいないのではないかと考えた趙州は、痛みを耐えるしか解決はないことを示すため、靴を頭に載せたのだと。……
わかりにくいですが、話はある意味単純で、禁欲を強いられる修行僧にとって美は苦痛を与える存在であり(主人公たちは戒律を破るようなことをしていますが、精神的には縛られています)、それを斬って捨てるか、それに耐えていくかということでしょう。
最初は柏木が南泉で、美に憧れる溝口は趙州だと柏木は言いますが、後では南泉=行為者、趙州=認識者という、三島の読者にはおなじみの定式が現われ、「君は今や南泉を気取るのかね」と柏木に挑発された溝口は、「美は……美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ」と応えます。つまり猫を斬ることと金閣寺を焼くことが同値なものとして扱われ、南泉の行動が溝口の行動を正当化するという構図になっているわけです。
しかし、この構図は小説の中の話としても大きな問題があると思います。まず趙州の行動が結局は解き明かされていないため、子猫=美=金閣寺が救われる途が放置されています。これが謎として残るのならいいのですが、読者にとっては消化不良になっていると思います。
次に子猫を美と捉える基本的な枠組み自体、観念的で公案への解答としては落第です。どんな駄目な禅寺でも柏木たちは直ちに痛棒を食らってしまうでしょう。つまり禅僧のタマゴを主人公としているのに、リアリティがないのです。
三島はここでは禅の公案を、「豊饒の海」では唯識論を扱っていますが、仏教、もっと広く言って宗教がわかっていたとは思えませんし、やめておいた方がよかったと思います。いろいろ彼なりの理由はあったのでしょうけど。
じゃあ、そんなに偉そうなことを言うおまえは宗教がわかっているのか、この公案が解けるのかと言われそうです。……もちろんわかりません、解けませんw。だって、私は宗教を外側からしか見てませんし、公案は座禅を組んでいない者が解ける筋合いのものではないからです。つまり宗教は理解するものではなく、体験し、体得するものだからです。
私が好きな公案を紹介したいと思います。うろ覚えで恐縮ですが、ある高僧が弟子たちの様々な問いに対し、無言で人差し指を一本立てるだけで答えていました。これを小僧が真似をします。和尚さんのジェスチャーが修行上の悩みへの回答になるなら、自分もと考えたのでしょう。大げさに言えば言葉を超越しようとする禅の方法論への諷刺とも取れます。小僧が自分の真 似をして兄弟子たちを困らせているという噂を聞いた高僧は小僧を自室に呼び、公案を投げかけます。もちろん得意になっている小僧は、指を一本立てて答えます。
高僧は、いきなりその指を斬り捨てます。ぎゃぁと叫びながら逃げ出そうとする小僧。それに向かって、小僧の名前を呼びます。振り返った小僧に向かって、指一本が立てられます。その瞬間、小僧は悟りを開くのです。これはどういうことか。……
指を斬るという一見戒律を破るような行為が小僧の悟達を助けるという大きな菩薩心に発しているといった平板な解説とか、斬り落とされた指と立てられた指は何を表しているのかといった構図とかでは、すなわち外側から考えていては、この公案を会得することは決してできないでしょう。
小僧は激痛の中で、呼びかけられ、師匠のジェスチャーの真の意味、世界とそれを超えたものの姿を見たのだろうと思います。それは禅宗のみならず、すべての宗教に共通の直接的な体験、超越者との出会いなのです。それなしで宗教について語っても空虚なものでしかありません。
……三島の指を斬ってあげる人がいればあのようなことは起きなかったのではと思うのは、今さら言っても仕方のないことでしょう。
建礼門院右京大夫集