「二人で写真を撮った事なんてあったかしら。」
ホスピスの屋上でお揃いの麦わら帽子をかぶった奥様は、嬉しそうに微笑みました。ご主人は照れています。
初秋の風は心地よく頬をなで、日差しも和らいできた頃でした。
告知を受けて日も浅く、十分なフォローも受けられずに来られたはずなのに、ご主人は冷静に「死」を見つめておられました。病状は大変悪化しておりましたから会話することはお辛いはずです。でも、ご主人は堰を切ったようにお話をされました。まるで自分史を語るように・・・。
残された時間をはっきり自覚しておられたご主人にとって、少しでも多く自分の事を、そしてご家族のことを知ってほしかったのです。元来は無口な方だったとのこと。もう少し時間があれば、きっといろいろと書き留めて置いたことでしょう。
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我慢強さも相当なもので、なかなか苦痛を訴えません。「我慢は美徳なんて考えずに、ナースコールを押すことが美徳と改めましょう」と言う私の冗談を快く受け入れて下さり、すぐに痛み止めを使ったこともありました。
全身の浮腫が強く、痛み以上にその重苦感は辛いだろうと思いました。でも、私たちが行えるケアは全て拒否なさいました。触られること、それ自体がもう苦痛でしかなかったからです。
聴いてもらえるだけで良かったのです。自分が話す全てのことを、一言も漏らさず聴いてほしかったのです。奥様もお子様方も傍を離れず介護しておられました。私たち以上に話しておられたでしょう。でも、ご家族への感謝の言葉は私たちにしか話されませんでした。ご家族が居ない時を見計らったように・・・。
marjane satrapi月"モンスターは恐れている"
「家族とは殆ど会話をしなかったような気がする。だから息子からは煙たいオヤジだったかもしれない。だけどね、がんになった途端、みんな優しいんだなぁ。不思議だよね。短い時間だったけど何時も家中に笑顔が溢れていた。」不思議そうに話された時、「病気が家族を一つに纏める・・・そういうことは多いんです。悲しいような嬉しいような、複雑な事ですが・・・。」私がそのように答えましたら、「いや、良いことだよ。私は嬉しいね。息子の優しさやしっかりした考えを聞いていたら、ああ・・・俺の育て方は間違っていなかったなと、しみじみ思えたからね。」
ご自分に残された時間を、精一杯の力で掴んでいると感じました。
八日間の入院でしたが、いのちの重みやそのいのちが受け継がれることを深く感じた時間だったでしょう。
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入院された時の事が忘れられません。手に小さなアルバムを持っておられました。開口一番、「これなんだか分かる?」「どなたの写真でしょう。きっと大切な方が写っておられるんでしょうね。」
笑いながら私に手渡したアルバムは、ワンちゃんの写真で埋め尽くされていました。「しんちゃんって言うのよ。」奥様も笑いながらおっしゃいました。小さいときから可愛がってきた大切な家族でした。「うるさいから申し訳なくて・・・」と遠慮なさいましたが、半ば強引に面会に来てもらいました。
ご主人もしんちゃんも大喜びでした。
「これが見納めだよ。」そうおっしゃったご主人は、二日後に旅立って逝かれたのです。
私たちにはもう何も出来ないと思うときがあります。でも、聴くこと・・・「傾聴」という、ホスピスナースだからこそ出来る看護があるのです。
ご家族と一緒に最期の入浴介助をしていた時、ご主人が話されていたことをお伝えしました。
「もう、この人ったら・・・。照れ屋だから直接言えなかったのね。」
悲しみの涙は、ほんの少しうれし涙に変わったようでした。
写真のご主人は、なお一層照れています。
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