2012年5月17日木曜日

作品としての妄想あるいは作品としての生:MikS: Works & Projections:So-net Blog


  作品としての妄想あるいは作品としての生
                 

1."I was meant to be"

 自らの死期が近いことを悟ったイギリスの詩人オーデンは、1971年、死滅しつつある肉体に向かって、そこから離脱していく魂が語りかけるという体裁の詩を書き上げた。「自分自身に語りかける(Talking to Myself)」と題されたその詩の一節を引用する。


予測もつかないことであったが、君は、何十年も前に、自然の胎内から
わき出る滝のように際限もなく生まれては消えていく生物たちの間にやって来た。
ランダムな出来事だ、と科学は言う。私の根底がランダムだと言うのだ! しかし、私に言わせれば、これこそ、まぎれもない奇跡なのだ。
なぜなら、自分が存在する定めにあったと確信しない者など一人としていないからである。

"Unpredictably, decades ago, You arrived
Among that unending cascade of creatures spewed
From Nature's maw. A random event, says Science.
Random my bottom! A true miracle, say I.
For who is not certain that he was meant to be?"
」(1)。

 この「自分が存在する定めにあったと確信しない者など一人としていない」というオーデンの主張にどれほどの人が同調できるかは定かではない。自分がこの世に生まれたという事実は、誰にとっても取り返しがつかない過去に属しており、そこには自分が関与する余地のないランダムな事実の堆積があるばかりであると考える人にとって、この詩は単なるナンセンスとしか映らないことだろう。さらに言えば、単なる妄想としか映らないことだろう。
しかし、ナンセンスであると評するにせよ妄想であると評するにせよ、私にとって私が存在するという事実がある意味で必然的であるということは論理的に確かなことである。これは簡単に証明できる。私が「私は存在する」というとき、その言明は必然的に真なのであるから。このことは、私が「私は存在しない」と言うとき、それが必然的に偽であることを考えれば納得できることである。
もちろんこうした空虚な論理的思弁をオーデンが考えていたということはありそうもない。しかし自己の一生を一個の(詩)作品という形で語ろうとする者にとって、自己自身は存在しなければならないし、その自己がこの世に到来するという出来事も存在しなければならなかった。誕生という出来事は、一個の物理的事象として見ればランダムな出来事にすぎないが、作品において自らの生を語ろうとする者にとっては、その作品が有意味であるための絶対的な前提条件である。その作品が(おそらく有意義な形で)終焉を迎えようとしている今、オーデンはそれがかつて始まらなければならなかったと断言することで、自らの生が無意味に始まり無意味に閉じようとするから救い出そうとしたのだろうか? 自らの生を作品として救お� ��としたのだろうか? いずれにせよ次のことだけは言える。偶然性を否認することは思考の本姓に根ざした行為である、と。そして、こうした思考のあり方が、この詩の上掲の一節に端的に言い表されている、と。なぜなら、思考とは事実の背後に意味を求めようとするものだからである。あるいは、事実の背後に意味を作り上げようとするものだからである。偶然や無意味ほど、思考が忌み嫌うものはないからである。

さて、以下では、オーデンが直観的に掴み取ったことを思考・妄想・ナラティヴといった概念に関連づけることによって、一種の哲学的ナラティヴ論の端緒を素描することにしたいのである。まずは「思考」を俎上にのせることから始めてみよう。

思考について上に述べたような捉え方は、おそらく少なから� �人々が表明してきたのではないかと思われる。私にとっては、ある時期以降の(「詩作」として「思索」を捉えようとした)ハイデガーやそれに倣った晩年のハンナ・アレントなどがそうした見解にコミットしていたことが何よりも重要である(そもそも上のオーデンの詩も、アレントの『精神の生活』で引用されていることから、初めて私の注意をひいたのだった(2))。アレントはこの詩の一節を「真実(事実)と意味の区別」を際立たせるために挿話的にしか使っていないし注釈めいたことも記していないが、肝心なことには触れていた。つまり、「この「存在する定めにあった(meant to be)」ということは真実(a truth)ではない。しかしこれはきわめて意味のある(meaningful)命題なのだ」と言っていたのである。
事実の地平で確証できたり反駁できるような問題を真実(a truth)あるいは事実(a fact)に関わる問題だとすると、そうした問題を解決する任務は科学に帰されなければならない。しかし科学が扱うべき問題群(真実や事実の総体を「世界」と呼ぶならば、世界に関わる問題群とも言える)で人間の理性が提起する問題が汲み尽くされてしまうわけではない。このことは既にカントが「悟性(科学的な意味での知性)」と「理性」の区別で示したとおりである。魂の不死性や神の存在については、科学が解決できないからといってその問題の有意義性が否定されるわけではないし、それが「意味」のある問題であることを止めるわけでもない。それと同様に、私が存在する定めにあったという言明は科学的に言えば偽の言明にすぎないが、偽と判定されるからといってその言明が(少なくともオーデン自身にとって)意味を もつことを止めることになるわけではない。私が誕生し今に至るまで存在してきたことは一個の事実にすぎないが、その事実の意味を求めたりそれにどのような意味を与えようかと苦慮することは科学者が真理を求めるのとは別個の活動である。アレントはこの科学とは別個の活動を、ハイデガーに倣って「思考」と呼び、その活動の本質を(真実・事実の総体としての)「世界」からの「引きこもり(withdrawal from the world)」と定義した。もちろん、思考が世界から引きこもるのは、世界の意味を求めるためなのである。
アレントがこの区別によって狙っていることはカントの「悟性(知性)」と「理性」の区別をより一般化することであり、それによって哲学的思考には科学的活動とは別の存在理由があることを積極的に示すことだったのだろうが、この小論の関心はそうした大状況の方向に向かうのではなく、もっと卑近な範囲で確認できることに照準を絞っている。「世界からの引きこもり」という表現は、何か「世界没落体験」に見舞われた人が自分の部屋に引きこもって一歩も外に出られなくなるというようなイメージを喚起するかもしれない。確かにそれも「引きこもり」の一例だろうが、アレントはもう少しありきたりで、日常誰にでも起こっている現象としての「引きこもり」を念頭においている。少し長いが、アレントによる「思考」の� �え方がはっきりする箇所を引用してみよう。

2012年5月15日火曜日

ナラティブ心理学


ナラティブ心理学

 

Murray, M. (2003) Narrative psychology.

In Smith, J.A. ed., Qualitative Psychology, Chapter 6, pp 111-131. SAGE

 

第6章の内容

1. Narrative Psychology

  History of Narrative Psychology 

  Definition of Narrative     

  Function of Narrative

  Narrative Identity

  Social Dimension of Narrative

 

2. Narrative Research     

  Collecting Narrative     

  Some Logistical Issues    

  Analyzing Narratives  

 Roles of the Reader       

 

3. An Example: A Breast Cancer Story   

  Box 6.2  Stable/regressive narrative  

  Box 6.3  Progressive narrative     

  Connecting the Stories with the Content 

 

4. Further Analyses             

 

 

訳文  P111

 

 最近、英国の作家A.S.Byattはナラティブ(物語)についてのエッセイを出版し、そのなかでナラティブは人間存在の中心にあるものと述べている。彼女は、「ナラティブは人間にとって呼吸や血液の循環同様に重要なものだ」と主張した(Byatt, 2000:21)。ナラティブはわれわれの日常生活のなかのどでも行なわれている。我々はナラティブの世界に産み落とされ、ナラティブによって人生を生き、後に、その人生はナラティブによって記述されるのである。最近まで、ナラティブの研究に興味を持っていたのは、文学や民話の研究者だけであったが、社会科学の研究者によってもその重要性が認識されるようになってきた。ナラティブは、人間が常に変化して止まない世界に意味をあたえる方法と考えられる。われわれの世界の中の無秩序にみえるものに意味と秩序をあたえることができるのはナラティブを通してである。また、われわれ自身を時間的な継続としてなんらかの意味を持つものとして、そして他者とは異なるものとして、自己認識できるようになるのもナラテ� ��ブを通してである。この章の目的はナラティブ心理学の理論的問題と、ナラティブ研究の方法についての問題のいくらかを述べることである。

 

 

1.ナラティブ心理学 (Narrative Psychology)

 

1.1 ナラティブ心理学の歴史(History of Narrative Psychology)

ナラティブの研究への最近の関心は、1980年代の社会科学のなかで起った「言語」についての考え方の全般的変化の一部として起ってきた。心理学のなかではこの変換を代表する3つの古典的テキストがある。一つはNarrative Psychology, T. Sarbin ed., (1986) である。この本は心理学の変革の一つの宣言書となっている。サービンは現代の主流の心理学の大部分の根底にある「機械的な比喩」に対して、「ナラティブの比喩」を対比させた。彼は機械論に代わるモデルの意味をつぎのように要約した。

 

   われわれ自身や他者を説明するにあたって、われわれは物語の筋書き(narrative plots)に導かれてそれを行なっている。公式の伝記にせよ、自伝にせよ、心理療法にせよ、自己開示にせよ、余興にせよ、われわれは一連の出来事の目録を連ねること以上のことをしている。われわれは出来事をストーリーに纏め上げていると言ってよい(p.23)

 

 彼はHeaven(1999)との談話の回想の中で、最初は、ナラティブを表現の一つの方法と見るか、存在論的な一つの形として見るかについて、区別していなかったと述べている。しかし、時が経つにつれて、彼はナラティブについての後者の見方がより適切であると確信するようになった。彼はHeavenとの談話でつぎのように述べている。

 

    ストーリーというものは、存在論的立場を持っている。われわれは常にストーリー(物語)によって包まれている。人間存在にとってのナラティブは魚にとっての海と同じである(p. 301)

 

 この主張に従えば、ナラティブは世界を見る方法であるに止まらず、ナラティブを通してわれわれは積極的に世界を構成して(construct)いくとともに、他者そしてわれわれ自身によって語られるによって、そのなかで生きているといえる。つまり、ナラティブは存在を規定する地位を持つのである。(we also live through the stories told by others and by ourselves – narratives have ontological status)

p. 112 中段)

 

 Sarbinの編集した本のなかに1章を書いたGergen & Gergen (1986)は、ナラティブは日常の社会的相互作用のなかで発展した「社会的構成物」(social constructs)であると主張した。ナラティブ(複数)は世界の意味をつむぎ出す、人々の間に共有された手段である。そして、それらはある構造を持っている。Gergen & Gergen はナラティブを組織化していると考えられる3つの構造を特定した。@促進的・前進的(progressive):目標に向かう動きがある構造。A退行的(regressive):前者とは逆の構造。B定常的(stable):ほとんど変化がない構造。この章の後半で、このモデルがナラティブ陳述の分析に有効かどうかを検討する。

 

 第2の重要な本はBruner (1990)による'Acts of Meaning'(意味づけの行為)である。この本のなかで、ブルーナは思考には2つの形式があることを主張した。パラダイム(範列)的思考とナラティブ(物語)的思考である。前者の思考法は科学の方法であり、分類や範疇化に基づいた思考法である。一方、ナラティブ的思考は世界についての日々の解釈を物語の形で系統立てまとめていく方法である。現代の心理学の挑戦的課題はこの思考の日常的形態を理解することである。ブルーナはナラティブの特性をつぎのように定義している。

 1.ナラティブは出来事、精神状態、人間を巻き込んだ偶発事件から構成される。

 2.ナラティブは「現実」であったり「想像上のもの」であったりする。

 3.ナラティブは例外的なものと通常のものとの間の橋渡しをする。

 

 このような特性は、われわれにナラティブが現実を構成する方法であり、あいまい、あるいは普通ではない何ものかに意味をあたえる方法であるということを理解させる助けになる。

 

 第3の重要な本は、Polkinghorne (1988)Narrative Knowing and the Human Sciencesである。この本の重要なポイントはポール・リクール(P. Ricoeur)の解釈学の哲学を心理学の中に紹介したことである。リクールは意味の構築におけるナラティブの重要性についての著作を多く残した。その代表作のTime and Narrativeのなかで、リクールは、われわれは時間的世界の中に生きているために、絶え間なく変化していく現実に秩序と意味をあたえるためにナラティブを作りだす必要がる、と主張した。さらに、われわれは世界についてナラティブを作り出すだけではなく、われわれのアイデンティティを了解するためにもナラティブは中心的な役割をする。われわれの諸行為の間の関連性の認識にも、自己と他者の区別にもナラティブは働いている。

 

 1990年代までにナラティブは心理学のさまざまな分野で研究されるようになった。パーソナリティーや発達研究の分野でもナラティブはわれわれの自己定義において重要な働きをしていると、McAdams (1985)は述べている。

 

 臨床心理学のではナラティブ・セラピーが発展してきた(Neimeyer, 1995)。健康心理学では、ナラティブは病気での日常生活の断絶に意味をあたえるために役立っていることを示している(Crossley, 1999)。心理学のなかでのナラティブの研究は、人文学(Fulford, 1999)や他の社会科学との連携(Maines, 1993)を深めることになる。

 

p. 113  下から7行目

 

 

1.2 ナラティブの定義 (Definition of Narrative)

  ナラティブ理論によれば、われわれは物語られた世界に産み落とされ、ナラティブを作り出し、あるいはやり取りすることを通して、われわれの生を生きているのである。ナラティブは一連の出来事の系統だった解釈と定義することができる。このことは、ナラティブのなかで活動の主体を特定し、出来事の因果関係を推定することを含んでいる。古典的な公式では、ナラティブは、開始、中期、終結の3つの要素を含んだ陳述である。

(p. 114)

ナラティブは出来事の統合された説明を提示する。限定のない談話(discourse)とは違って、ナラティブは完結した構造を持っている。この構造の全体の次元は、日常の会話では詳細に語りつくされることはないかもしれない。文脈にもよるのだが、話の終りは完結されないままに置かれることもあり、ナラティブを完結させるのは、むしろ、聴き手あるいは読み手の仕事である。われわれは語られた世界に住んでいるので、出来事を解釈したり、特定の物語を完結させたりするために、確立された社会的ナラティブを利用することができる。しかし、このプロセスは常に意識されて行なわれるとはかぎらない。

 

 

1.3 ナラティブの機能 (Function of Narrative)

  ナラティブの第一の機能は混沌に秩序をもたらすことである。物語(ストーリー)を語るなかで、語り手は組織化されていないものを組織化し、それに意味をあたえようと試みる。これは単純な仕事ではない。リクール(1987)はつぎのように述べている。

     『ナラティブは・・・・・異質なものの統合である。しかし、不調和なしには調和はない。悲劇というものはこのようなものの典型である。悲劇というものは、複雑な葛藤をはらむ状況、変わりやすい運命、恐ろしくかつ悲しい運命、不注意によって起った修復できない失敗などによって生起するものであり、必ずしも悪意の結果ではない。調和が不調和より優位になったならば、両者の間に拮抗が起り、そこに物語(ストーリー)が生まれてくる(p.436)

 

 われわれの日常生活に秩序をあたえるためにさまざまな混沌に意味をあたえようとするときには、この拮抗的緊張感が持続する。ナラティブに固有のこの緊張はナラティブの陳述の分析の中にも持ち込まれる。この分析は試案的なものであり、さらなる異議申し立てに対して開かれている。

 

2012年5月14日月曜日

ヴェルサイユの花 ~Fleur De Versailles~                         :パリ




昨日からの雨が、いまだしとしとと降り続いています。

雨の中マリー・アントワネットの眠る
「サン・ドニ大聖堂」に行ったことを思い出しました。


ゴシック建築の原型ともいわれるサン・ドニ大聖堂
その名は守護聖人、聖ドニに由来します。

ここサン・ドニ大聖堂にはフランス王家の霊廟があり
フランス革命時暴かれましたが、革命後に修復
王族の遺骨や歴代国王の心臓などが納められています。

1815年1月21日、ルイ16世の22回目の命日に
マドレーヌ墓地で発掘されたルイ16世と
マリー・アントワネットの遺体はここサン・ドニに埋葬されました。

2000年4月DNA鑑定によりルイ17世と証明された
ルイ・シャルルの小さな心臓もここに納められています。

-2008年パリ旅行第9日目-

2008年11月1日土曜日の朝、私はこの日
ヴェルサイユに行くかサン・ドニに行くか
正直決めかねていました。
雨のヴェルサイユに気乗りしなかったからです。

帰国日は火曜日。
あともう一度ヴェルサイユに行っておきたかった私。
月曜日は宮殿が休み、となると今日の土曜日か日曜日。

いつ何があるかわからないフランス。急なストもあり得る。
やっぱり今日しかないと思いながらも
モヤモヤ感いっぱいの心持でアパルトマンを出発
秋雨に震えながらRER・C線 Pont-de l'Alma 駅に
向かいました。


アルフレッド·テニスン卿によってsplender滝の背景

この駅からヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュへは乗り換えなしで
約20分ちょいぐらいで着いてしまいます。非常に便利です。

しかしこの駅で切符を買うのは要注意です。
改札がある地下には切符売り場がありません(2008年の話ですが)。
下まで降りてから、また階段を昇るはめになります。

2012年5月12日土曜日


</head><body id="readabilityBody" > <h3>好きな詩(歌詞)を紹介する 06−3C</h3> <hr size="2"/><p>紹介者</p> <p>1.タイトル 作者<br/>2.原文<br/>3.紹介&鑑賞文</p> <hr/><p>ペンネーム ジュニーニョ・ペルナンプカノ</p><p>1.逢いたい 藤井敬之</p><p>2.涙の理由も聞かずに<br/>あとほんの少しで僕はこの町を出て行くよ<br/>さみしくなるけど・・・</p><p>久々かけた電話の声<br/>元気そうで何よりです<br/>忙しいの?<br/>思い出がポケットから溢れた</p><p>ずっと前に君が言ってたコトバがひとつ この胸の中<br/>言ってしまえばよかった 本当の気持ちをもっと</p><p>逢いたいよ<br/>ホントに出来ればなんだけど<br/>曖昧にしてたそんな僕の気持ちが<br/>答えをひどく鈍らせてるんだ<br/>逢いたいなぁ<br/>やっぱり 自分にウソはつけないから<br/>明日には君に会いに行くからね</p><p>いつもの悪いクセなんです<br/>言いたい事も言い出せないまんまで<br/>タイミングをいつだってはずしたまま・・・</p><p>ずっと僕 がいない間も 君は変わらずにいてくれるかなぁ<br/>答えなんていらないと あの時 言わなきゃよかった</p><p>逢いたいよ<br/>ホントにできればなんだけど<br/>曖昧にしてたそんな僕の気持ちが<br/>君を僕から遠ざけてるんだ<br/>逢いたいなぁ<br/>やっぱり 自分にウソはつけないから<br/>明日には君に会いに行くから</p><p>逢いたいよ<br/>ホントにできればなんだけど<br/>曖昧にしてたそんな僕の気持ちが<br/>答えをひどく鈍らせてるんだ<br/>逢いたいなぁ<br/>やっぱり自分にウソはつけないから<br/>明日には君に会いに行くからね</p><p>待っててよ 僕の本当のところ<br/>君はどんな風に 僕を見てくれるかな?</p><p>3.この逢いたいと言う歌詞は、音速ラインというバンドの曲である。音速ラインは元スーパーリラックスの藤井敬之(Vo)と菅原 健<br/>生(Dr)がスーパーリラックス解散後、新たに大久保剛(B)を向い入れ2003年4月に結成されたバンドである。このバンドのボーカル<br/>がこの曲を作詞した藤井敬之である。この歌詞を読むと、まず第一印象としては切ない気持ちになった。そして書いてあることは難し<br/>くなく、分かりやすいので作詞者は自分の気持ちを感じたままに文章に表しているなと思った。特に「逢いたいよホントに出来ればな<br/>んだけど曖昧にしてたそんな僕の気持ちが答えをひどく鈍らせてるんだ」の部分が印象に残っている。この文章を読むとそのとおりだ<br/>なと思うし、いいなと思う。でも僕は、この詩はあくまで歌詞なので曲とあわせて聞いてこそ涙が出るようなすばらしい詩になるなと<br/>感じた。実際、この曲はメロディーと歌詞が絶妙� �あっているのでぜひ聞いてみてほしい。この詩を読んだほかの人の意見としては<br/>「センチメンタル、胸にしみる、泣ける、切ない、涙が出そうになる」などいろいろな意見があったがどれもそのとおりだと思った。<br/>僕は特に「逢いたいよホントに出来ればなんだけど曖昧にしてたそんな僕の気持ちが答えをひどく鈍らせてるんだ」の部分が印象に<br/>残っている。この文章を読むとそのとおりだなと思うし、いいなと思う。<br/></p> <hr/><p>森田能次</p><p>1<br/>萩原朔太郎   遺伝<br/> <br/>2<br/>人家は地面にへたばつて<br/>おほきな蜘蛛のやうに眠つてゐる。<br/>さびしいまつ暗な自然の中で<br/>動物は恐れにふるへ<br/>なにかの夢魔におびやかされ<br/>かなしく青ざめて吠えてゐます。<br/>  のをあある とをあある やわあ</p><p>もろこしの葉は風に吹かれて<br/>さわさわと闇に鳴つてる。<br/>お聴き! しづかにして<br/>道路の向うで吠えてゐる<br/>あれは犬の遠吠だよ。<br/>  のをあある とをあある やわあ</p><p>「犬は病んでゐるの? お母あさん。」<br/>「いいえ子供<br/>犬は飢ゑてゐるのです。」</p><p>遠くの空の微光の方から<br/>ふるへる物象のかげの方から<br/>犬はかれらの敵を眺めた<br/>遺伝の 本能の ふるいふるい記憶のはてに<br/>あはれな先祖のすが� ��をかんじた。</p><p>犬のこころは恐れに青ざめ<br/>夜陰の道路にながく吠える。<br/>  のをあある とをあある のをあある やわああ</p><p>「犬は病んでゐるの? お母あさん。」<br/>「いいえ子供<br/>犬は飢ゑてゐるのですよ。」</p><p>3<br/>萩原朔太郎は群馬県前橋市出身で高村光太郎ともに口語自由詩を完成させたと言われており、<br/>現代詩人にも多大な影響を与えた。この遺伝は『青猫』の中にあり、萩原朔太郎がこの『青猫』<br/>発表後は詩論に力を入れ始めるとともに文語評価の言及が増え始め、初期文語詩をまとめた『純<br/>情小曲集』を大正14年に刊行。そして昭和初期のモダニズム詩流行を横目で見ながら昭和9年<br/>に文語詩集『氷島』を発表する。しかしこの詩集は朔太郎の弟子を自認する三好達治によって酷<br/>評 され、朔太郎自身もこれを口語詩からの「退却(レトリート)」と認めるに至るのである。</p><p>この詩中の表現で、『おほきな蜘蛛』は『人家は地面にへたばって』をうまくたとえている。<br/>後者だけだと情景が描きにくいが前者があることによって人がどのように暮らすようになった<br/>のか鮮明に描写していると思う。また『のをあある とをあある やわあ』の意味は理解でき<br/>なかったがこれを使うことによって場面の転回がうまくできていると思う。一般的な、ほかの<br/>接続詞が入るとこの詩全体のイメージが一般的なものになると思う。この独特な接続詞により<br/>この詩が不思議な感じにもとまっているように感じた。<br/>この詩の内容については、人間は一定なところで生活し何からも恐れずに眠っているが、自然<br/>� ��中で生きている犬は何かの夢魔におびえて遠吠えしている。そのことに対して親は子と見方<br/>が違って、遺伝の本能である、ふるい記憶つまり先祖のあわれなすがたを感じ、おびえている<br/>と考えられず常識的にただ飢えているか吠えていると考えている。子供は純粋に「何か悩んで<br/>いるんでは?」と疑問をもった。人々は平和になりすぎたのかもしれない。何か、つまり生死<br/>にかかわることでおびえるなど現代ではない。人々は安全になりすぎたかもしれない。この詩<br/>を読んでこんなことに気づかされた。「人間も自然で生きている動物の一部であり大人になっ<br/>ても子供のような純粋に物事を見ていきたい」と思った。</p><p>≪KimTatsu wrote:夢の中では、人間の遠い祖先から遺伝している、あらゆる原始的記憶が回復する。<br/>僕等の憐れな先祖達が様々な他の動物に襲われ、脅かされ続けてきた。その恐怖は夢の中で、<br/>永久に尚も僕等の記憶の中に残っている。これは人間だけのことではなく、他の動物たちも同様なのだ。<br/>だから夢の中では、人間も犬も平等である。萩原自身の心のなかの不安や恐怖が、特異な擬声語(オノマトペ)<br/>によって表現されています。この擬声語は、詩を読んだり聞いたりする人の主観によって、<br/>どのようにも音表することができます。 そうそう、中也もよくこの手法を用いていますよね。<br/>また、言いようのない不安を、「母親」 より 「子供」の方が直感的に汲み取っているように思えます。<br/>なぜなら、幼い子供には人と他の動物とを同一の次元で考えることができるからではないでしょうか。<br/>私たちを縛っている常識や社会慣習から解き放たれて、自由な発想を持って生きたいものですねえ。<br/>(</p><p> KimTatsu wrote の文章を読んで、擬声語とは『のをあある とをあある やわあ』のこと<br/>なんだろうか。もしそうなら、これが作者の不安や恐怖を表している部分であることに気づけた。<br/></p> <hr/><p>PN、まんゆう</p><p>1,25個目の染色体 </p><p>2、あなたがくれたモノ  たくさん僕持ってる<br/>それをいまひとつずつ数えてる<br/>1,2,3個目が涙腺をノックする<br/>131個目が瞼にのったよ</p><p>忘れてた泣き方  でも<br/>今ここのある何か  目を閉じても零れそうな気がして</p><p>I will die for you,and I will live for you<br/>I will die for you,there is nothing more than <br/>I could really say to you</p><p>あなたが死ぬその  まさに一日前に<br/>僕の  息を止めてください  これが一生のお願い</p><p>あなたが生きるのその最後の日に僕は<br/>ソラからこの世が何色に染まるか当てたいんだ</p><p>この場所(ここ)と天国のちょうど真ん中 月から手のばすあのあたりかな<br/>あそこから見える景色  目を閉じても覗けそうな気がして</p><p>I will die for you,and I will live fou you<br/>I will die for you well you never ever told me to</p><p>次の世の僕らはどうしよう  生まれ変わってまためぐり合ってとかは<br/>もうめんどいからなしにしよう  一つの命として生まれよう<br/>そうすりゃケンカもしないですむ  どちがかが先に死ぬこともない</p><p>そして同じ友達を持ち  みんなで祝おうよ誕生日<br/>あえてここでケーキ二つ用意  ショートとチョコ  そこに特に意味はない<br/>ハッピーなときは2倍笑い  2倍顔にシワを残すんだい<br/>これが僕の2番めのお願い  2つ目の一生のお願い</p><p>I will die for you,and I will live fou you<br/>I will cry for you because you're the told me how</p><p>いつか生まれる二人の命  そのときが来たらどうか君に<br/>そっくりなベイビーであって欲しい  無理承知で100%君の遺伝子<br/>伝わりますように  俺にはこれっぽちも似ていませんように<br/>寝る前に毎晩  手を合わせるんだ</p><p>そんなこと言うといつも  君は僕に似てほしいなんて言うの<br/>そんなの絶対いやだよ  強いて言うなら俺のこの<br/>ハッピー運とラッキー運だけは一つずつ染色体に<br/>のせて  あげて  ほしいな</p><p>3、<br/>01年、横浜で高校生活を送っていた桑原彰(g)と野田洋次郎(vo)の二人の出会いから活動は始まり、バンド名にRAD(強烈、良い)と<br/>WIMP(弱虫、軟弱な)を繋ぎ合せて作り出した単語"RADWIMPS"と命名。ちなみに、メンバー達はバンド名を自ら「かっこいい弱虫」<br/>「見事な意気地な し」「マジスゲーびびり野郎」と説明している。2005年から2006年にかけて、もっとも注目を集めることになった<br/>超新星バンド、RADWIMPSのメジャー・デビュー・アルバム。西海岸メロコア〜エモコアのエッセンスを血肉化した彼らのロックは、<br/>激しくて楽しく、繊細にしてダイナミック。キュートな旋律もいい。<br/>この歌のタイトルでもある25個目の染色体とは自分が体験した幸せなことや嬉しかったことなどを残せる25個目の染色体があったら<br/>いいなという願いが込められている。生と死に重みをおいた、究極のラヴ・ソングである。まず、歌詞だけをじっくりと読んで歌詞<br/>をサラリと聴き流す程度にはするべきではないと思った。<br/>"あなたが死ぬその まさに一日前に 僕の 息を止めてください これが一生のお願い� � <br/>誰もが思う事、それは愛する人の死を目の当たりにはしたくはないと言う事。そんな思いと、それ以上の前向きな願いがこの曲には<br/>詰まっている。過去の作品を聴いてみても、彼等は生と死をテーマに唄っている事が多い。<br/></p> <hr/><p>ペンネーム:ピークロス</p><p>1.「会いに行くよ」 草野正宗(スピッツ)</p><p>2.届くはずない想いばかりが でかくなって陽をさえぎる<br/>  君が住む街 窓から窓へ 見えない鳩 解き放つ</p><p>  捨てそうになってた ボロボロのシャツを着たら<br/>  外に出てみよう</p><p>  会いに行くよ 全てを捨てるバカになれる 心のまま<br/>  広げた手は 当たり前じゃない風をつかみ どんな夢も叶えてみせる</p><p>  孤独な雲に語りかけたり 弱気なネコ追いかけたり<br/>  何気ないこと 頭の中で やけに詳しく浮かべた</p><p>  明日が来るよ 同じような明日が来て…<br/>  僕はもう決めた</p><p>  会いに行くよ 赤い花咲く真夏の道を 振り向かず<br/>  そしていつか 同じ丘で遠い世界を知る 感じてみたい君のとなりで</p><p>  会いに行くよ 全てを捨てるバカになれる 心のまま<br/>  広げた手は 当たり前じゃない風をつかみ どんな夢も叶えてみせる</p><p>  会いに行くよ 会いに行くよ<br/>  会いに行くよ 会いに行くよ</p><p>3.この詩はスピッツの草野正宗さんが書いたものです。彼は、現在スピッツにおいてギタリスト、ボーカルとして活躍中です。中学<br/>一年の時に母のカットギターを弾いたのがきっかけで音楽に惹かれたそうです。また、福岡県福岡市出身で福岡県立城南高等学校・武<br/>蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業しています。また、スピッツメンバーで唯一の未婚者です。清涼感のある歌声と、独自の世界感を<br/>持った詞・曲、地味な人柄が魅力とされています。デビュー当初はビートルズを彷彿とさせるマッシュルームカットの地味な雰囲気が<br/>人気を催していたましたが、アルバム「フェイクファー」あたりから髪が少し短くなり、意外と端正で顔立ちの整った容姿である事が<br/>知られるようになったようです。� �去に組んでいたことのあるバンドは、「ラディッシュ」→「からす屋」→「チーターズ」→「スピッツ」だ<br/>そうです。また、スピッツというバンド名は「弱い犬ほどよく吼える」愛玩犬種のスピッツから取ったそうです。 以上はWikipedia<br/>(ウィキペディア)より引用しました。<br/> さて、感想ですが他の方々の感想は、いい雰囲気だがまぁ普通という感想が多いように感じます。私としては気に入っています。君<br/>に会いたい、会いたいなぁという感じが歌詞全体に感じられるような感じがします。7,8行目がなんか上の空って感じがします。同<br/>じような毎日、同じような明日。君のことを考える。君への思いが強くなる。会いたい、会いたい。そして、会いに行くことに決め<br/>た。すべてを捨てれる、バカになれる、どん� ��夢だって叶えてみせるという心持ちを感じました。まぁ歌詞そのまんまですが。そんな<br/>感じをうまく表しているような詩で、好きです。<br/></p> <hr/><p>      Ar</p><p>1、雨ニモマケズ       宮沢 賢治</p><p>2、</p><p>雨ニモマケズ<br/>風ニモマケズ<br/>雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ<br/>丈夫ナカラダヲモチ<br/>慾ハナク<br/>決シテ瞋ラズ  <br/>イツモシヅカニワラツテイル<br/>一日ニ玄米四合ト<br/>味噌ト少シノ野菜ヲタベ<br/>アラユルコトヲ<br/>ジブンヲカンジョウニ入レズニ<br/>ヨクミキキシワカリ<br/>ソシテワスレズ<br/>野原ノ松ノ林ノ蔭ノ<br/>小サナ萱ブキ小屋ニイテ<br/>東ニ病気ノ子供アレバ<br/>行ツテ看病シテヤリ<br/>西ニ疲レタ母アレバ<br/>行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ<br/>南ニ死ニソウナ人アレバ<br/>行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ<br/>北ニケンクワヤソシヨウガアレバ<br/>ツマラナイカラヤメロトイヒ<br/>ヒデリノトキハナミダヲナガシ<br/>サムサノナツハオロオ� �アルキ<br/>ミンナニデクノボートヨバレ<br/>ホメラレモセズ<br/>クニモサレズ<br/>サウイウモノニ<br/>ワタシハナリタイ</p>

2012年5月10日木曜日

無題ドキュメント


しゅんGの工房     案内
  

ごあいさつ
 この度、こんな工房を新設しました。訳はたいしたことではありません。お勤めを定年退職してから十年が過ぎました。趣味の詩もずいぶん書き続けて、念願の詩による自分史を一応完結しました。おかげさまで詩の仲間も増え、いろんな詩の情報が集るようになりました。すると、詩に対する雑感もさまざまに心を乱すようになりました。
 そこで、自分自身の詩の世界での位置や姿勢を知りたくなって、ここに雑感を綴ってみようかなと思った訳です。出来ましたら、反論や批判などをいただくとありがたく思います。詩とは全く別の世界からの反論や批判も大いに結構です。

 今後ともにこの「工房」をどうぞよろしくお願いします。

 第三回 詩作について
       
(先生のとき)

     
 「りくつ(理屈)」の章
 ぼくが中学校の国語の先生をしていた時、ある地域文集の編集員になったことがありました。その文集の「作文教室」の欄の執筆を担当した時、次のような意味の文章を書きました。

2012年5月8日火曜日

乱読乱文多謝 『ボードレール』


乱読乱文多謝 『ボードレール』
乱読乱文多謝


記事の内容

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『ボードレール』
2012/03/22 00:00

ボードレール
(2011/12/21)
テオフィル・ゴーチエ

商品詳細を見る

ボードレールの位置、ゴーティエの位置

   完全なる詩人
   フランス文学の練達な魔術師
   心から敬愛する
   師でありまた友である
   テオフィル・ゴーティエに
   世にも深い
   謙遜の気持と共に
   これらの病める花々を
   捧げる
               C・B
(堀口大学 訳)

 これは謂わずと知れた、ボードレールの『悪の華』冒頭に掲げられた献辞である。このフランス文学史、のみならず、世界文学史上の一大事件ともいうべき詩集を捧げられた人物、ということで、私はテオフィル・ゴーティエなる文学者の名を知ったのだった� ��

 きっと私と同じく、ボードレールからゴーティエを知った、というひとは多かろうと想像する。少なくとも、ゴーティエを先に知り、その繋がりでボードレールを知ったのだというひとよりは確実に多いことだろう。

 ただ、このゴーティエという作家、決して「ボードレールの周辺の人」で済ませられるような人物ではないことは、実際にその著作を読んでみたならば誰でも納得できることだ・・・と、エラそうなことがいえるほど、私も彼のものを読んでいる訳ではない。岩波文庫の短編集を一冊読んだきりだ。しかしそれでもなお、この作家には大きな魅力が、すなわちボードレールの「ついで」扱いはできない魅力があるのだ、ということを確信できた。

2012年5月6日日曜日

Online Gaming In China To Increase 39%! Asia Too!


According to Pearl Research, China's online gaming market is going to reach US$9.2 billion by 2014, up from around US$6.6 billion sometime last year which is around a 40% increase. Another proof to how well they are doing can be attributed to the fact that the top 5 gaming companies made a combined US$5.3 billion in revenues.

2012年5月5日土曜日

マルケスのいる風景


マルケスのいる風景

マルケスのいる風景

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青木冨貴子
 
 その年、夫ピート・ハミルはわたしの誕生日に何か特別のプレゼントを用意している様子だった[…]
 そして、その日の午後、垂れ下がった大きな耳をもつ黒い子犬が到着した。犬好きのわたしのために、彼が前から欲しかったラブラドル・リトリバーの子犬を贈ってくれたのである。[…]
 当時、わが家にはチェックオフという老犬がいた。チェックオフというのは、ロシアの文豪チェーホフを英語読みにした名前で、ピートの娘の犬だった。[…]
 翌朝、子犬を抱いたわたしは彼の名前を考えはじめた。チェーホフに対抗するわけではないが、同じ屋根の下に住む一方� �ロシアの文豪であれば、片方もそれなりの品位と風格を兼ね備えた名前にしたいものである。[…]
 わたしはひとりで「ソウセキ、伏せ」とか「オウガイ、お手」などと反復していたが、半年前にキューバで会ったノーベル賞作家、ガルシア・マルケスのニックネームが「ガボ」であることを思い出した。「ガボって、良いと思わない?」
 彼のプレゼントとはいえ、わたし名義の犬の名前について、あくまで口を出さないよう努めていた夫が、ついにニヤリとした。
『ガボものがたり―ハミル家の愛犬日記―』

[補遺]この時のマルケス訪問については「ハミル、ピート」の項参照。

青野聰

 ぼくはミラーの一作目の「北回帰線」から順を追って読もうとしていた。二十世紀を� �表するこの小説を取りこむ袋が、自我がまだ貧弱なために備わっていなかった。すごさの片鱗にふれたと感じたのは三年ぐらいたってからで、そのまえにジュネを読みふけった。これはミラーを「あんなものは、アンチャンの文学だ」とこきおろした、暗黒舞踏系のダンサー石井満隆の勧めによるものだ。女装して、肌を小麦粉で白くして優雅に踊る彼とのつきあいは、おもえばジュネをよむことからはじまった。彼のなかにジュネが住みついてしまっていたので、ジュネとしゃべることが、すなわち彼としゃべることだった。マルケスの「百年の孤独」は彼の知人のフランス人におしえられた。こうしていても目が真っ青でやぎひげを生やした、すこぶる善良なそのフランス人が、スペイン語で書かれた今世紀最良の小説のひとつなんだ よ、と子供に話すようにして「百年の孤独」の魅力を説明してくれた、パリのアパートの薄暗い一室がおもいだされてきてキーを打つ手がとまる。いくたびもいくたびも転がりこみ、集まってくる文無しと安いワインを飲んで、少ない材料でうまいものをつくって食べ、いい季節になるとばらばらに散っていた歳月を……。
「今までに読んだ本の量は……。」

青山南

 ジョン・アーヴィングの日本での『ガープ』タイトル戦争については前に書いたとおりだが、アメリカでも似たようなことがあったのを知った。モノはガブリエル・ガルシア・マルケスの『百年の孤独』。この「百」の処理にかんして、訳者と批評家がけんかしていた。[…]
「こないだマイケル・ウッド教授が『百年の孤独』に言及� ��た文章を書いていた。その内容を云々する気はない。ただ、どうしても気になったことがあるので、それを書く。ウッド教授よ、あなたはなぜ、
 "A Hundred Years of Solitude"
と表記するのかね。わたしは、
 "One Hundred Years of Solitude"
と記したはずだ。確かに、原題は、
 "Cien años de soledad"
であるからして、数字の意味はアイマイである。しかし、この小説の結末を読んだとき、これは"One"であって"a"ではない、とわたしは確信した。ガボ(マルケスの愛称)にも問い合わせてみたが、ガボも、その通り、と言ってましたよ。"one"こそ、自分の考えを体現している、とね。ウッド教授よ、答えなさい!さあ、どうだ」
 ウッド教授はこう答えていた。
「悪気はなかったですよ。ただ、わたしはあなたの翻訳であの小説を読んだわけじゃないので、つい、"a"とやっちゃったってことです。ほら、"one"だとなんかおおげさで、いばってるかんじがしますでしょ。だから、もっとカジュアルな"a"を採りました。でも、こんなことを言ってたら、ラバッサさんも御存知のとおり、翻訳なんてできゃしません。あなたはえら� �よ。なにしろ、できないことをやってるんだから」[…]
 ある日、偶然、洋書店の棚にウッド教授が書いた『「百年の孤独」論』を見つけた。表紙には、"100 Years of Solitude"と、なんと、数字で表記してあった。
『ピーターとペーターの狭間で』

安部公房

 ドナルド・キーンさんから「『百年の孤独』を読んだか」と聞かれ「知らない」と答えると、「とんでもないことだ。これはあなたが読むために書かれたような小説だからぜひ読みなさい」と教えられた。「僕は英語が読めない」と言うと、「冗談じゃないよ、翻訳があるじゃない」。あわてて新潮社に電話して手に入れました。読んで仰天してしまった。これほどの作品を、なぜ知らずにすませてしまったのだろう。もしかするとこれは一世紀に一人、二人というレベルの作家じゃないか。
                *
 まるで魔術師みたいにギュッと魂をとらえてしまうあの力は解説でつくせる� �のではありません。とにかくマルケスを読む前と読んでからで自分が変ってしまう。一番肝腎なことは、ああ読んでよかった、という思いじゃないか。もし知らずに過したらひどい損をするところだった、見落さないでよかった、という、これこそ世界を広げることだし、そういう力を持っている作家との出会いというのはやはり大変なことです。文学ならではの力というべきかもしれない。
『死に急ぐ鯨たち』

 遅ればせながらでちょっと恥ずかしいけれど、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を最近読んで、非常に驚嘆すると同時に、やはり、今世紀の傑作の一つではないかと思った。あの小説の場合、マルケスは意識してか、意識しなかったか、非常に素朴なスタイルを取っているように見える。しかし、それでいて、書 くということがなぜ作者の中で成り立ったのか、成り立たせているのかという依りどころを失わずに、しかも非常に構造的に、「なぜ読むのか」という問いに対する答えを出していると思う。「昔あるところに」と言ってしまうと、作者が神様になってしまうけれど、あの作品はそうじゃない。年代記風になっているけれど、作者は超越した存在ではなくて、書かれている世界と同じ次元に自分を埋め込んでいる。
『都市への回路』

 こういう方法でしかとらえられない世界があるってことね。単におもしろかったり奇をてらったりしているわけじゃないんだ。こういうおもしろさがつかめないような感受性では、現代文学のすぐれた部分をそっくり見逃してしまうことになる。とくにこの『百年の孤独』は、一世紀に何冊かしか� ��ないレベルの作品だからね。
『マイブック』

〔補遺〕安部公房についてのマルケスの文章がある。
来日した折り、辻井喬や大江健三郎らと会合を持ったことに触れ、「安部公房だけが見あたらなかったが、彼は後日、ひとりきりでやってきて私を誘い出し、プライベート・クラブのひっそりとした片隅で話をした。私はそれまでお茶とビスケットだけを取りながらあんなに笑ったことはなかったように思う。」(「アミーゴ健三郎」(田村さと子訳)《新潮》平成7年3月号)

〔参照〕文献抜書帖

アルモドバル、ペドロ

 夜、街に出て、ひっきりなしに人にほめられるなんて気持ちわるくてうんざりよ。やれパディなしじゃ『ラ・ルナ』は廃刊になるだろうとか、ヘ� ��ベバ・ブラバンテからこっちスペイン文学ではパディほどのキャラクターは存在しなかった、なんてね。このあいだなんか、マドリードの日刊紙がインテリや文化人と称してる連中に、『ドン・キホーテ』以後スペイン語で書かれた小説のベストテンをあげるようにアンケートしたんだけど、なんとひとり残らずわたしの告白を選んだのよ。なかには『百年の孤独』より上位にわたしの作品をあげる者もいたくらいなの。いったい、あの連中はわたしを何だと思ってるのかしら。
『パディ・ディスプーサ』(杉山晃訳)

アレナス、レイナルド

国家公安局は生贄の羊としてエべルト・パディージャを選んだ。パディージャは公的なコンクールに『オフサイド』という批判的な本をあえて提出したこ とのある、体制にとっては不遜な詩人だった。[…]
一九七一年、パディージャは妻のべルキス・クサ=マレとともに逮捕された。独房に閉じ込められ、脅され殴られて三十日後にその独房からぼろぼろの人間となって出てきた。そのパディージャの話を聞くために、キューバの知識人たちのほとんどがUNEACを通じて国家公安局から招かれた。[…]
国家公安局に拘留されているあいだに革命の美しさを理解し、春をうたう詩をいくつか書いた、と言った。パディージャの話だとそれまでの作品をすべて否定しただけでなく、自分の妻をも含めて反革命的な態度をとっている友人全員の名をおおやけにしてしまったという。パディージャは一人ずつその人物の名を挙げていった。ホセ・ヤネス、ノルべルト・フエンテス、レサ マ=リマ。[…]
パディージャに反革命的と指摘された人物はみんな後悔するかのように胸をたたき目に涙を浮かべながら、パディージャのいるマイクのところに駆けつけ、自分の罪を認
め、自分がつまらない人間、体制に対する裏切り者であることを認めなくてはならなかった。むろん、そのありさまは国家公安局に残らず撮影され、そのフィルムは世界のありとあらゆるインテリ層を巡り、とりわけパディージヤの不当逮捕を非難する手紙に署名した作家たち全員に見せられたのだった。その中には、マリオ・バルガス"リョサ、オクタビオ・パス、フアン・ルルフォ、そして、いまやフィデル・カスト口が抱える最も重要な操り人形の一つとなったあのガルシア=マルケスさえいたのだ。
『夜になるまえに』(安藤哲行訳)

飯島耕一

 草原のたてがみいろの黄昏にけり    赤黄男
一九八二年ノーベル文学賞を受賞した中米(ママ)コロンビアの作家、ガルシア・マルケスの小説は、わたしにはちょっと読み難かった。『百年の孤独』も『族長の秋』もはじめのほうを読んだだけで早々になげだしてしまっていた。それがこの間、マルケスがシナリオを書いた映画『エレンディア』の試写を見てまことに面白く、帰ってすぐに『百年の孤独』をみ読み始めると今度はどんどん作品に入って行ける。色彩ゆたかな国の、近代文明のやって来るのが遅かった国の、しかもホラ話なのだ。話が少しずつ、いや大いに大げさなのだ。そこから人間臭とユーモアが奔出するのであった。まだ三分の一ほど残っていて、目下読みつつあると ころなのだが、こういう時、俳句のことに頭を切りかえるのはいささかつらい。
送られて来る句集や俳誌を開いてみるのだが、どれもが息の短い、小手先のきれいごとにしか見えないのだ。
先回は西東三鬼について述べた。と、三鬼と同年代で、三鬼とは互いに意識し合っていた宮澤赤黄男のことを思い出した。
赤黄男の句ならば、ガルシア・マルケスの濃厚な色彩にも拮抗してくれるかも知れない。赤黄男の句には濃い色彩というものがありそうだ。
『俳句の国徘徊記』

〔補遺〕飯島耕一がマルケスについて言及していることは、やはり詩人の平出隆による『光の疑い』で知った。

石原慎太郎

あなたの『けものがれ、俺ら』は、すごい映画になるよ。ガルシア・� ��ルケス原作の『予告された殺人の記録』という映画、あれを思い出したよ。猿と肉食虫、嫌なイメージの小説だよなあ(笑)。あれは撮ったらすごい映画になる。
「文学と発イメージ力」(町田康との対談)

池澤夏樹

 この小説が繁茂する木々といった自然物の印象を与える理由もこのプロットの多岐にある。作者の創作の意図はからみあう無数の枝と葉と蔓の間に隠れている。[…]
 先程の木のパターンの比喩をもう少し先へ延ばした読者は、『百年の孤独』という邦訳にして千枚ほどの小説は実は発表されざる一万枚の大作の要約であると同時に、百枚からなる高密度の短編のパラフレージングであり、それはまた十枚のあらすじの拡大ではないのかと夢想に至るだろう。あるいはそれは、メ� �キアデスの羊皮紙文書に誘導された夢想かもしれない。
『ブッキッシュな世界像』

 ただ話の筋だけをなぞるのはまだ本当に民話的とは言えないかもしれない。大事なのは民話を語る精神の方であり、聞き手の熱意についつい促されてとんでもない話を紡ぎ出してしまう物語の勢いの方である。そういう意味で、二十世紀の文学で民話的手法を徹底して用いて大成功をおさめたのはガルシア=マルケスということになる。
『海図と航海日誌』

 ガルシア=マルケスは事件だったんですよ。ぼくにとっては…。ガルシア=マルケスとぶつかったというのは、やっぱりその後の自分にとっては非常に大きな、いまだにすっかりは表面化していない事件でした。
『沖にむかって泳ぐ』

〔参照〕文献抜書帖

井上荒野

 若いときには、どうしても筋を追うんですよね。どうなるんだろうと思いながら読んでいて、どうにもならなかったりすると、なんだこれは?つて憤然としたりする。でも、だんだん読んでいくうちに筋じゃないところがおもしろいということがわかってくるんです。フォークナーなんかはそうだと思うし、マルケスなどでも、小さな子供がもし読んでもきっとわからないと思うけど、案外細かな描写なんかは残っていくんじゃないですか。[…]
 でもきっと、雨の中にカニがいるとか、牛が川を流れていくとか、そういう感じが残っていくような気がする。それは決して悪いことではないと思う。
                *
 マルケスの『予告された殺人の記録』は ちょっと衝撃的でした。生活と風土と殺人事件がまったく渾然一体となっていて。えっ、南米ってこうなの?と(笑)。あれは南米という土地自体が持っている独特な何かなんだと思うんですけど、日本の小説でいうと大江健三郎さんの四国とか、中上健次さんの熊野とか思い出したりもしました。
「名作を見る楽しみ、読む喜び」(三木卓との対談)

井上光晴

 ドストエフスキーとソルジェニーツェン、或いはフォークナーとヘミングウェイがもし存在しなかったならと考えると、世界文学と読者の関係は見事に照射されてこよう。ロシア、アメリカ文学に限らず、カフカは「虫」に変身しても不屈な精神のありかを証しだててくれたし、カリブ海の沿岸に生まれたマルケスは、愛と死にまつわる飢えに 似た『百年の孤独』を、蝶を食う植物のように花開いてみせた。
『世界名作文学館』

上野千鶴子

 タイトルについて説明しておこう。『百年の孤独』は、ガルシア・マルケスの著書からとった。荒唐無稽な英雄物語だが、ここに(メキシコ・編者註)いるとどんなことか起きても不思議はない、と感じられる。『千年の愉楽』は、中上健次の作品のタイトル。うまい名をつけるものだと、一瞬嫉妬した。「千年の」は、非歴史的な無時間を思わせるが、「百年」なら、長い中断のようなものだ。ふと「百年の孤独」から醒めたら、まわりの景色がすっかり変わってしまっていた、というように。またたくうちに変貌していく周囲の景色に、ひとり取り残される英雄の孤独はきっと深いに違いない。「百年」 は、わたしにとって意味がある。
「百年の孤独」

エリクソン、スティーヴ

─あなたの作品をはじめて読んでまず思ったのは、"この作家はフィリップ・K・ディックとラテンアメリカ文学を読んだフォークナーだ"ということだったんですが。
「僕もまさにそういう反応が出てきていいと思うんだが、アメリカではまずそう読んでもらえない。較べられるのはたいてい、J・G・バラードとトマス・ピンチョン。バラードはほとんど読んでいないし、ピンチョンは素晴らしい作家だと思うけれど僕とは全然違う。一番影響を受けているのは、君が言ったようにフォークナー、ディック、ガルシア=マルケス、それにヘンリー・ミラー、エミリー・ブロンテ。ずっと前、漱石の『こころ』とブロンテの� ��嵐が丘』を二晩で読んだのは強烈な体験だった(笑)」
『愛の見切り発車』柴田元幸

大江健三郎

 コロンビアのというより、すべてのラテン・アメリカの国ぐにの作家としての、ガブリエル・ガルシア・マルケス。メキシコシティ北縁の住宅地の、高い石造りの壁に囲まれた家に移ったばかりのマルケスを僕は訪ねたが、かれにもまた独自のアイデンティティーを達成した作家の印象があった。憂わしげに疲れたところと、生き生きと活発なところとが表裏一体をなしている点で、このブーツをはいたコロンビア人は、モカシンの大靴をはいたダンツィヒ人と似たところがあった。かれは翌日キューバに発つはずで、キューバ大包囲の時期を描く方法の、その底柢にデフォーの『ペスト年代記』を置くこ� ��を考えついたが、どうだろう?と訊ねた。
 この時すでにマルケスは、『族長の秋』を書きあげていたのだろう。かれは小説の語り口の選び方に、複雑な手つづきを集中する作家だが、自分が書きあげたばかりの『族長の秋』の語り口の工夫に、うしろから呼びかけられるように気をとられているふうでもあった。一年おくれて、英訳でこの小説を読んだ僕は、その語り口の確実な達成に、感銘をあたえられた。ラテン・アメリカの社会の、多様な、しかし統一的なものを求めているその総体が、表現者に対して望むところは複雑にちがいない。しかもマルケスは、過剰なほどに個性を輝かせながら、作家としてのアイデンティティーを成就している。それはスペイン風の中庭をへだてて母屋に対する、大工の仕事場のような書斎で、 旧式の大きいタイプライターよりは他はなにも置いていない机の前に坐っていた、ガブリエル・ガルシア・マルケスから、僕が感じとっていたところと、同一のものに思える。
(文中、ダイツィヒ人とはギュンター・グラスを指している)
『表現する者』

[補遺]大江のこの時の訪問についてマルケスも後に次のように記している。
「それまでに彼の名前を耳にしたことはなかった。しかし、自分と非常に似かよった個性の核をもっている人と出会うことができた、まれな神秘的出来事のひとつとして彼の存在を忘れたことはない。」(「アミーゴ健三郎」田村さと子訳,《新潮》平成7年3月号)

 コロンビアの作家ガブリエル・ガルシア・マルケスも、長篇『族長の秋』では、やはり層をなす多様� ��意味をはらむ独自の再生を描いていた。ラテン・アメリカの一独裁者が影武者の死を機会に、いったん自分も姿をかくす。かれの名における葬儀は国家規模でおこなわれ、ナイーブに死を悼む者と死体を辱かしめようとする者とがある。死んだ人間としてすべてを隠れ場から見た独裁者は、突然公けの場に帰って、報奨し報復する。そして心底怯えた民衆からそのいきさつは、再生と受けとめられるのである。およそ独裁者たる者に共通の惧れと夢をないまぜてあらわす、この再生の劇は、またラテン・アメリカの情況を典型的に体現しているマルケスの、大きく根柢的な緊張をあらわすものであった。
『小説の方法』

大岡玲

2012年5月3日木曜日

ゴシップガール GOSSIPGIRL


「ゴシップガール」シーズン1で最も印象に残っているシーンは?

シーズン1で一番思い出深いシーンといえば何かな・・・。何だかすごく昔のような気がして思い出せないんだけど、第10話だったかな。デビュタント舞踏会のシーン。ダンがその会場からセリーナを連れ去るんだ。周りのみんなは高級ドレスとかタキシードを着ていて、すごくロマンチックなシーンだった。カメラワークとか音楽とか、すべてが印象的だった。特に僕にとってはね(笑)。

シーズン1の一番の見どころは?

ダンとセリーナの関係じゃないかな。ダンにとっては、新鮮でワクワクするような出来事続きだったから。今はお互い不安定なんだ。セリーナを追い求めていたシーズン1の前半が僕にとってのハイライトだよ。

日本の視聴者にメッセージを一言!

とにかく、文化の違いを超えてみんなが楽しんで見てくれたらいいと思う。すでに世界中の人がインターネットでドラマを楽しんでくれてるし、多分受け入れられると思うな。僕は日本の文化はよく知らないけど、このドラマは日本のみんなにも楽しんでもらえるドラマだと思う。テンポの速い展開も魅力のひとつだと思う。みんなが気に入るはずだからぜひ楽しんでほしいな。

日本には来たことありますか?

まだないよ。でも日本は行ってみたい国。日本と聞いて連想するのは「東京」かな。それから思い浮かぶのは、すごい数のネオンの明かりがあふれてる巨大な都市。それから僕が大好きなスシ。日本料理がすごく好きなんだ。だから日本に行って本場のスシを食べてみたいよ。だいぶアメリカのとは違うって聞いたことがあるから。

(2009年2月)

ドラマのベースになった小説のことはご存知でしたか?

台本をもらった時、小説のことは全く知らなかった。だから、正直初めてタイトルを読んだときは、これは一体何についてのドラマなんだ?って感じだったよ。女の子向けだよね。だから始めのうちはちょっと恥ずかしい気持ちがあった。役が決まって、小説の最初の40ページくらいを読んだんだ。物語のトーンはどんな感じなのかなって思って。実際に自分で読んでみて、僕たちの作っているドラマは、小説のコピーではないんだってことを感じた。小説の始まりを使わせてもらって、そこから自分たち独自のストーリーに飛び込んだ感じ。それでも第一話は、一番小説に似てるかな。

アメリカのティーンは本当にドラマみたいな感じなんですか?

2012年5月2日水曜日

チェルノブイリのある避難者の詩


反転攻勢がはじまってきています。私たち国民は、何も知らない気がつかないペットにできると思っているのかしら。
チェルノブイリ事故で同じ体験をされ強制避難になったベラルーシの方の詩をどうか読んで下さい。反論も何もいらない。
そこによりそって一緒に体験して見てください。原発など、人間ごときがコントロールできるものではありません。

ポレーシェのすばらしい地方
あなたでの生活はどんなに良かったか
あなたに抱きしめられたまま暮らした日々よ
それはかけがえのないものだった

思い出すたびに胸が痛む
そこでは私たちの人生は天国のようだった
小道、森…緑の草原
それらすべてが私たちのものだった

そこに住んでいた人たちの優しさ
仕事も友情も大切にして
パンも塩も平等にわけ
互いに訪問し合っ(飲み明かし)たものだ

ナロヴリャは静かな街
広々とした公園と
プリピャチ川が流れ
本当に天国だった

自然を誇りに思っていた
教会へ行って祈っていた
そして、爆発が地下から来るということを誰も思っていなかった

ある日、私たちは目覚め
互いに優しくほほえんだ
メーデーの朝だった
そして、天気が暑かった

パレードには風船やプラカード
人々はそれをいつものように楽しんだ
しかし人々は知らされていなかった
それを思うとなおつらいのだ

私たちの子供は花のように
晴れ着を着て、
詩を朗読していたのだ
メーデーについてだってしっかりした考え方を持っていたのだ

そして、祭りに水を差さないように
私たちに誰も真実を言えなかった
それは、たぶん、共産主義のせいかもしれない

結局、言わざるを得なかった
チェルノブイリは煙を吹き始めたから
あわてふためいてはいけません
大丈夫になりますって。

あと何日か待っていた
何も知らなくて。
何?なんで?どこ?質問がいっぱいあったが
本当のことは聞かせてもらえなかった

電話が破裂しそうだった
全国から電話をかけてきたから