ナラティブ心理学
In Smith, J.A. ed., Qualitative Psychology, Chapter 6, pp 111-131. SAGE
第6章の内容
1. Narrative Psychology
History of Narrative Psychology
Definition of Narrative
Function of Narrative
Narrative Identity
Social Dimension of Narrative
2. Narrative Research
Collecting Narrative
Some Logistical Issues
Analyzing Narratives
Roles of the Reader
3. An Example: A Breast Cancer Story
Box 6.2 Stable/regressive narrative
Box 6.3 Progressive narrative
Connecting the Stories with the Content
4. Further Analyses
訳文 P111
最近、英国の作家A.S.Byattはナラティブ(物語)についてのエッセイを出版し、そのなかでナラティブは人間存在の中心にあるものと述べている。彼女は、「ナラティブは人間にとって呼吸や血液の循環同様に重要なものだ」と主張した(Byatt, 2000:21)。ナラティブはわれわれの日常生活のなかのどでも行なわれている。我々はナラティブの世界に産み落とされ、ナラティブによって人生を生き、後に、その人生はナラティブによって記述されるのである。最近まで、ナラティブの研究に興味を持っていたのは、文学や民話の研究者だけであったが、社会科学の研究者によってもその重要性が認識されるようになってきた。ナラティブは、人間が常に変化して止まない世界に意味をあたえる方法と考えられる。われわれの世界の中の無秩序にみえるものに意味と秩序をあたえることができるのはナラティブを通してである。また、われわれ自身を時間的な継続としてなんらかの意味を持つものとして、そして他者とは異なるものとして、自己認識できるようになるのもナラテ� ��ブを通してである。この章の目的はナラティブ心理学の理論的問題と、ナラティブ研究の方法についての問題のいくらかを述べることである。
1.ナラティブ心理学 (Narrative Psychology)
1.1 ナラティブ心理学の歴史(History of Narrative Psychology)
ナラティブの研究への最近の関心は、1980年代の社会科学のなかで起った「言語」についての考え方の全般的変化の一部として起ってきた。心理学のなかではこの変換を代表する3つの古典的テキストがある。一つはNarrative Psychology, T. Sarbin ed., (1986) である。この本は心理学の変革の一つの宣言書となっている。サービンは現代の主流の心理学の大部分の根底にある「機械的な比喩」に対して、「ナラティブの比喩」を対比させた。彼は機械論に代わるモデルの意味をつぎのように要約した。
われわれ自身や他者を説明するにあたって、われわれは物語の筋書き(narrative plots)に導かれてそれを行なっている。公式の伝記にせよ、自伝にせよ、心理療法にせよ、自己開示にせよ、余興にせよ、われわれは一連の出来事の目録を連ねること以上のことをしている。われわれは出来事をストーリーに纏め上げていると言ってよい(p.23)。
彼はHeaven(1999)との談話の回想の中で、最初は、ナラティブを表現の一つの方法と見るか、存在論的な一つの形として見るかについて、区別していなかったと述べている。しかし、時が経つにつれて、彼はナラティブについての後者の見方がより適切であると確信するようになった。彼はHeavenとの談話でつぎのように述べている。
ストーリーというものは、存在論的立場を持っている。われわれは常にストーリー(物語)によって包まれている。人間存在にとってのナラティブは魚にとっての海と同じである(p. 301)。
この主張に従えば、ナラティブは世界を見る方法であるに止まらず、ナラティブを通してわれわれは積極的に世界を構成して(construct)いくとともに、他者そしてわれわれ自身によって語られるによって、そのなかで生きているといえる。つまり、ナラティブは存在を規定する地位を持つのである。(we also live through the stories told by others and by ourselves – narratives have ontological status)
(p. 112 中段)
Sarbinの編集した本のなかに1章を書いたGergen & Gergen (1986)は、ナラティブは日常の社会的相互作用のなかで発展した「社会的構成物」(social constructs)であると主張した。ナラティブ(複数)は世界の意味をつむぎ出す、人々の間に共有された手段である。そして、それらはある構造を持っている。Gergen & Gergen はナラティブを組織化していると考えられる3つの構造を特定した。@促進的・前進的(progressive):目標に向かう動きがある構造。A退行的(regressive):前者とは逆の構造。B定常的(stable):ほとんど変化がない構造。この章の後半で、このモデルがナラティブ陳述の分析に有効かどうかを検討する。
第2の重要な本はBruner (1990)による'Acts of Meaning'(意味づけの行為)である。この本のなかで、ブルーナは思考には2つの形式があることを主張した。パラダイム(範列)的思考とナラティブ(物語)的思考である。前者の思考法は科学の方法であり、分類や範疇化に基づいた思考法である。一方、ナラティブ的思考は世界についての日々の解釈を物語の形で系統立てまとめていく方法である。現代の心理学の挑戦的課題はこの思考の日常的形態を理解することである。ブルーナはナラティブの特性をつぎのように定義している。
1.ナラティブは出来事、精神状態、人間を巻き込んだ偶発事件から構成される。
2.ナラティブは「現実」であったり「想像上のもの」であったりする。
3.ナラティブは例外的なものと通常のものとの間の橋渡しをする。
このような特性は、われわれにナラティブが現実を構成する方法であり、あいまい、あるいは普通ではない何ものかに意味をあたえる方法であるということを理解させる助けになる。
第3の重要な本は、Polkinghorne (1988)のNarrative Knowing and the Human Sciencesである。この本の重要なポイントはポール・リクール(P. Ricoeur)の解釈学の哲学を心理学の中に紹介したことである。リクールは意味の構築におけるナラティブの重要性についての著作を多く残した。その代表作のTime and Narrativeのなかで、リクールは、われわれは時間的世界の中に生きているために、絶え間なく変化していく現実に秩序と意味をあたえるためにナラティブを作りだす必要がる、と主張した。さらに、われわれは世界についてナラティブを作り出すだけではなく、われわれのアイデンティティを了解するためにもナラティブは中心的な役割をする。われわれの諸行為の間の関連性の認識にも、自己と他者の区別にもナラティブは働いている。
1990年代までにナラティブは心理学のさまざまな分野で研究されるようになった。パーソナリティーや発達研究の分野でもナラティブはわれわれの自己定義において重要な働きをしていると、McAdams (1985)は述べている。
臨床心理学のではナラティブ・セラピーが発展してきた(Neimeyer, 1995)。健康心理学では、ナラティブは病気での日常生活の断絶に意味をあたえるために役立っていることを示している(Crossley, 1999)。心理学のなかでのナラティブの研究は、人文学(Fulford, 1999)や他の社会科学との連携(Maines, 1993)を深めることになる。
p. 113 下から7行目
1.2 ナラティブの定義 (Definition of Narrative)
ナラティブ理論によれば、われわれは物語られた世界に産み落とされ、ナラティブを作り出し、あるいはやり取りすることを通して、われわれの生を生きているのである。ナラティブは一連の出来事の系統だった解釈と定義することができる。このことは、ナラティブのなかで活動の主体を特定し、出来事の因果関係を推定することを含んでいる。古典的な公式では、ナラティブは、開始、中期、終結の3つの要素を含んだ陳述である。
(p. 114)
ナラティブは出来事の統合された説明を提示する。限定のない談話(discourse)とは違って、ナラティブは完結した構造を持っている。この構造の全体の次元は、日常の会話では詳細に語りつくされることはないかもしれない。文脈にもよるのだが、話の終りは完結されないままに置かれることもあり、ナラティブを完結させるのは、むしろ、聴き手あるいは読み手の仕事である。われわれは語られた世界に住んでいるので、出来事を解釈したり、特定の物語を完結させたりするために、確立された社会的ナラティブを利用することができる。しかし、このプロセスは常に意識されて行なわれるとはかぎらない。
1.3 ナラティブの機能 (Function of Narrative)
ナラティブの第一の機能は混沌に秩序をもたらすことである。物語(ストーリー)を語るなかで、語り手は組織化されていないものを組織化し、それに意味をあたえようと試みる。これは単純な仕事ではない。リクール(1987)はつぎのように述べている。
『ナラティブは・・・・・異質なものの統合である。しかし、不調和なしには調和はない。悲劇というものはこのようなものの典型である。悲劇というものは、複雑な葛藤をはらむ状況、変わりやすい運命、恐ろしくかつ悲しい運命、不注意によって起った修復できない失敗などによって生起するものであり、必ずしも悪意の結果ではない。調和が不調和より優位になったならば、両者の間に拮抗が起り、そこに物語(ストーリー)が生まれてくる(p.436)』
われわれの日常生活に秩序をあたえるためにさまざまな混沌に意味をあたえようとするときには、この拮抗的緊張感が持続する。ナラティブに固有のこの緊張はナラティブの陳述の分析の中にも持ち込まれる。この分析は試案的なものであり、さらなる異議申し立てに対して開かれている。
ナラティブをこのように使用することは、混乱の日常の理解の際に特に行なわれる(Becker, 1997)。われわれは誰でも日常の慣行(routines)の混乱に出会う。このような混乱には、個人的問題や、家族の問題や、経済的問題や、健康の問題などが含まれる。われわれの日常の慣行を混乱させる刺激は、われわれに秩序の感覚を回復する努力を試みることを促す。ナラティブはこの秩序の感覚を回復させる重要な手段である。
Heider & Simmel (1944)による古典的実験は、人間のナラティブへの衝動を示している。この実験では、被験者は異なった場所に置かれた一連の抽象的な絵文字を見せられた。絵文字について記述するように求められた被験者は、短いストーリーで応えた。それらのストーリーは短いものあったけれども、古典的なナラティブの基本的要素である、開始、中期、終結の要素を含んでいた。
われわれはナラティブを生命のない物体の運動を記述するために使うことができるけれども、Heiderらの実験が示すように、そのためにはわれわれはその物体に活動作用(哲学では「作因」)をあたえる必要がある。人間はいくつかの限界のなかで自分の世界を作り出そうと努力する行為のセンターである。そのような作因(agency )の反対は苦痛(suffering)である(Ricoeur, 1984)。われわれは作因としての主体性を表現する機会を阻まれたときは、苦痛を感じる。苦痛についての陳述は、われわれの自由な作因へのこのような制限を明らかにしている。苦痛はなんらかの個人の不幸に起因するが、真実の作因となる機会を否定する社会的抑圧に起因することもある。
混乱の後に秩序の感覚を取り戻したいという欲求は、特に西欧社会では顕著であり、その社会では秩序と合理性が重要視されている。
秩序をもたらす中心的プロセスは、リクールによって'emplotment'(筋書き化)と名づけられた。これは、一連の出来事を一つの筋書きに統合することを意味する。われわれは買い物に行くストーリーも作れるし、世界を創造するストーリーを作ることもできる。そこでの共通のテーマは、それらの出来事にナラティブの形をあたえることである。出来事はただ生起するだけではない。ナラティブにおいては、開始から終結に導いていく連鎖が存在する。しかし、出来事は、語り手がナラティブを構成し始める以前に終わっている。Freeman (1993)はこのプロセスについて注意を喚起している。
『'recollection'という言葉自体を、もう一度考えてみなさい。're'は過去についての言及であり、'collection'は現在の行為について述べている。recollectionという行為は、それをしなければ消散してしまったり、あるいは失われたりしたかもしれないもの(記憶)をまとめることである(p.40)』(an act ….. of gathering together what might have been dispersed or lost)
ストーリーを語る際には、語り手は終結を意識しており、そこを始点として陳述を構成する。人生において、すべてのナラティブは仮のものである。ナラティブは新しい情報が利用できるようになると、変化しやすいものである。この変化は語り手が聴き手を欺こうとするために起るのではなく、観点が広がったために、物語の構成のためにそれまでとは異なった情報の利用が可能になるためである。
1.4 ナラティブ同一性 (Narrative Identity)
ナラティブはわれわれの日常生活に秩序と意味をもたらすばかりではなく、逆に、われわれの自我の意識に構造をあたえる。われわれはわれわれの人生の物語をわれわれ自身に対しても他者に対しても語っている。そのような意味で、われわれは「ナラティブ同一性」を作り出している。『主体は彼ら自身について語るものがたりのなかで、彼ら自身を確認する』(Ricoeur, 1988: 247)。われわれは多様なナラティブ同一性を持つことができる。そしてそれぞれの同一性は異なる社会的関係と結びついている。各ナラティブ同一性はわれわれをさまざまな社会的関係に結びつけるだけでなく、われわれに局所的な一貫性と安定性の感覚をあたえる。不安定を感じるときには、われわれはわれわれのナラティブ同一性の異なった側面への結びつきを作ることができる。(ここの英語の表現は不十分)
われわれが自己を定義し始め、われわれの生活の連続性を明らかにし、他者にもその考えをあてはめるのは、ナラティブを通してである。
個人的なナラティブを構成するにあたっては、われわれは生活(人生)のいくつかの側面を選択し、それらを他者と関係づけている。このプロセスは、われわれの人生は関連のない出来事の集合ではなく、なんらかの秩序を持ったものだという確信をわれわれにあたえる。
ナラティブ同一性の形成のこのプロセスはダイナミックなものであり、変化する社会的脈絡と個人的脈絡の中で生起する。そのような脈絡のなかでの異なった経験にあたえられた価値は、回想された出来事の性格と語られた物語の形に影響をあたえる。Ricoeur (1987: 437)が強調するように、このことは『われわれはわれわれ自身の人生の著者に完全になりきるのではなく、われわれのストーリーの語り手になること学ぶ』のである。われわれはわれわれのライフヒストリーを語ることができる一方、われわれの人生の実際の形も、われわれが語るストーリーの構造そのものも、意識的にも無意識的にも、多面的な社会的・心理的力によって構成されていく(Hollway & Jefferson, 2000)。
1.5 ナラティブの社会的次元 (Social Dimension of Narratives)
ナラティブの陳述は真空のなかでは発せられない。むしろ、社会的脈絡の中で育ち、形作られる。語り手はストーリーも物語るが、語られるストーリーの性格は、誰に対して語られるかということや、語り手と聴き手の関係や、社会的・文化的脈絡によって変わってくる(Murry, 1997a)。そこに、psycho-socialな複合的研究領域ができる。語り手は社会的世界の一部をなす活動的な作因となる主体(エージェント)である。ナラティブを通してその主体は世界と掛かり合う。ナラティブ分析を通して、われわれは語り手と世界の両方を理解し始めることができる。
ナラティブはしばしば個人的なものであると考えられているが、われわれはグループや、コミュニティーや、社会のナラティブを考えることもできる。集団のナラティブはその集団の歴史や希望について語られ、他の集団のそれらと区別する。さらに、集団的ナラティブは個人のナラティブと重複し、それによって、個人は集団の一員として自分を位置づけることができる。ナラティブ分析では、われわれは分析のレベルを考える必要がある(Murry, 2000)。そして、個人的なナラティブの分析においては、それが作られるより広い社会的ならの性質について考察を試みる必要がある。
まとめとして言うならば、われわれはナラティブの世界に編みこまれており、われわれはわれわれの世界とわれわれ自身を、ナラティブを通して理解するのである。そのように、ナラティブの研究は、われわれが世界とわれわれ自身をどのように意味づけているかを理解する方法を与える。さまざまな異なるナラティブの意味はつねに特定されているわけではない。それは、異なる研究者によって異なる方法で探り出されることができる。
P 117-121
2. Narrative Research (物語の研究)の章
2.1 Collecting Narratives (物語の収集)
ナラティブ研究者の資料の主たる出どころはインタビューである。伝統的な構造化されたインタビューでは一連の詳細な質問項目が準備されていたが、ナラティブ・インタビューでは、参加者(被面接者)は特定の経験について詳細な物語を述べる機会があたえられる。ライフヒストリー・インタビューは個人のナラティブ・インタビューの最も拡張された形態である。老人学者たちは加齢の経験を理解するために、このライフヒストリー・アプローチを好んで用いる。
その名の示すように、ライフヒストリー・インタビューの目的は参加者に彼らの人生(生活)について幅広く詳細な説明をするように仕向けることである。研究者はインタビューの開始に当たって、研究の目的は個人の人生について知ることであるということを、説明することになる。このことは簡単そうにみえるが、実際には参加者は、最初は緊張したり、不快を感じたりする。そのために、インタビューアは参加者に数回会って信頼関係をつくったり、参加者たちの人生経験を深く省みることを励ましたりする必要がある。
しかし、ナラティブは一般的にはライフヒストリーにとどまらずに、日常生活の経験、特に日常生活の混乱や崩壊についての物語であったりする。われわれはインタビューの状況で、参加者に人生のなかでの変化の経験や混乱のエピソードを物語るように促される。時間と機会があたえられれば、参加者たちは喜んでさまざまな経験のナラティブでの陳述を披露する。BOX6.1はインタビューの指針の例である。
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BOX6.1 簡単なインタビューの指針
1.あなたにご自身のことを話してもらいたいのですが。どこで生まれて、どこで育って、といったようなことです。あなた自身のことについてできるだけなんでも話してください。こんなことを言うべきではないなどと、自分を抑えないで話してください。
2.私は、このセレクション・インタビューの間に起っていることを知りたいと思っています。このインタビューのために家をところから話し始めても結構です。そうしたら思い出せるだけのことを話してください。
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研究者に課せられた課題は、参加者のナラティブの報告に研究者が興味を持っているということを、はっきりと分からせることである。こうすることで、研究者は参加者の言っていることを深く理解し、語られたことを明確にするように意図された付加的な質問を挿入しなければならない。たとえば、「あなたはどうしてそれが真相だと考えるのですか?」とか、「そのことの実例を話してくれませんか?」といった質問である。ときには参加者たちをグループの集会に参加させ、そこで一つの出来事について物語を話す機会を共有することも有効である。このフォーカス・グループ・アプローチによって自己コントロールと自信の感覚を高める参加者もいる。このようなグループ・インタビューは、個人的インタビュ� ��によって補足・補充することができる。もう一つのアプローチは、参加者に討論すべきキーとなる問題の書かれたリストをあたえることである。このことは参加者が持つかもしれない悪意のある質問が来るのではないかという疑念を軽減させる助けになる。
P117 第2フレーズ
インタビューアは参加者に個人的日誌を付けることや、写真を集めることや、ビデオを撮ることなどを励ますような方法を使うこともできる。これらの目的は参加者にナラティブの報告をしやすい状況を作るためである。さらに研究者はすでに公にされていて、入手可能なナラティブの資料を分析することもできる。たとえば、出版された回想録やフィルムを分析することができる。
物語というものは、特定の社会的脈絡の中で形成され、ある一人の聴き手に対して語られるものであるので、ナラティブの陳述を収集するにあたってはそのようなことについての詳細が記録されることが大切である。Misher (1986)はインタビューのやり方を配慮することの重要性についてつぎのように述べている。
インタビューアの関わりかたは、反応者の陳述に対して極めて重要な影響をおよぼす。影響をおよぼす要因には、インタビューアの聴き方、注意の向け方、話のさえぎり方、話をわき道にそらすやり方、話題の始め方、そして終わり方などである。そのような意味では、「物語」とは一つの共同制作なのである(P.82)。
研究者は物語の背景にある情報を、インタビューアについても参加者についても集めておくべきである。このような情報が、ナラティブの分析を開始するときに重要となる。
質問紙のフェイスシートで集められるような、性別、年齢などの情報や、インタビューの行なわれた時と場所の情報などのメモを残すことは、分析の役にも立つ。録音機のスイッチを切った後になって、参加者が追加のコメントを話し始めることがあるが、これは全体のナラティブの解釈に大きな影響をあたえる内容を含んでいる場合がある。インタビューを終わった直後の印象やコメントをメモとして残しておくことも大切である。
2.2 インタビュー実施上のいくつかの問題
1.参加者に研究の目的を説明し、同意を得ること。
2.テープレコーダーの操作に慣れること。
3.参加者に礼儀正しく接すること。
4.文書への転記は、録音後なるべく早く行なうこと。
5.ナラティブの転記は、感嘆詞、間投詞、休止、強調などを含めること。
6.インタビューアの言葉も含めること。
など。詳しい話は、省略。
2.3 ナラティブを分析する
ナラティブ・アカウント(narrative accounts =物語を話すこと、あるいは「物語の陳述」)で説明すること)を分析することは2つの局面に分けられる。1つは「記述」の局面であり、2つは「解釈」の局面である。これらの2つの局面に先立って、転記されたナラティブ(物語)を通読することが行なわれる。ナラティブの陳述を通読することの目的は、物語の構造と内容についてのおおよその様相を把握することである。有用な一つの方法はナラティブについての短い要約を作ることである。その要約は「開始」「中期」「終結」などの主要な特徴を区分し特定する。分析者はテキストに含まれる主要な問題を浮かび上がらせ、異なった部分を結びつけるナラティブの連関を確認することができる。また、分析者はある広がりを持ったナラティブのなかにいくつかの下位� �語(sub-plots)となっている筋書きを見分けることができ、それらの下位物語の間の関係を考察することができる。このような要約は、研究者が関心を持っている特定の特徴や要点を浮き彫りにしていき、ナラティブのなかで何が主要な問題となっているのかについての理解を進める第一歩となることができる(Mishler, 1986)。さまざまなナラティブに適用できるコーディング・フレイム(coding frame=記号化の枠組み)は、この原典に忠実な読み込みの過程を通して作られる。このコーディング・フレイムはナラティブの全体的意味を把握するとともに、それぞれのナラティブのなかで取りあげられている特殊な問題も把握するようにデザインされている。
第2のステップは、物語を解釈するために使われている理論的知識とナラティブの関係をつけることである。このことにより、研究者は「記述」の局面を越えて解釈を発展させていく。このことができるためには、ナラティブの陳述を吟味することと、各ナラティブを関連づけることができるような理論的知識に通暁する必要がある。分析のこの局面は特定の陳述に理論的内容に基づいてラベリングをする(名前を付ける)ことになる。たとえば、われわれはある人が人生のある危機状況に対処しようとしていることに関心を持っているとしよう。そのようなナラティブを読むにあたっては、中心的関心は、語り手が人生における危機をどのように述べたか、どのように援助を頼りにしたか、物語を聴き手にどのように� ��いて欲しいとしたかというようなことになる。さらに、特定のナラティブの要素がそれぞれの物語にどのように現れているかが調べられる。ナラティブのなかの諸要素がどのように結びついているか、どのような問題が強調されたか、どのような比喩が用いられたかなどが調べられる。
(P121 第1フレーズの終わり)
P121 9行目より
2.4 読み手の役割 (Roles of the Reader)
ナラティブ分析のプロセスは受身のプロセスではない。むしろ、研究者は(語られた)テキストに彼らの仮説や信念を持ち込む。それらはナラティブの分析のために使われる仮説や信念である。テキストを読むプロセスの議論に関してRicoeur (1987)(*)は、同じ考えを表明している。
(*)ポール・リクール (Paul Ricoeur, 1913- 2005) は、20世紀フランスを代表する哲学者の一人。解釈学、現象学、宗教哲学などに業績を持つ。
『物語の意味あるいは意義は、テキストの世界と読者の世界の交流する場所に湧き上がってくる』
Ricoeur(1991a)はナラティブの解釈のプロセスを表現するのにappropriation(位置付け。専門的には「領有」という言葉を使う)という言葉を使った。彼はこのプロセスを、それまで自分にとって異質で、相容れなかったものを、自分の中に受容していくプロセス(process as making one's own what has been alien)と定義した。研究者はナラティブの中にある考えを持ち込むだけではなく、同時に、語り手も自分の物語の内容(特質)を聴き手に信じさせようとする。リクールはつぎのように強調している。
『われわれは計画を持ってプレーし、考えを持ってプレーすると同時に、われ
われはプレーされる。重要なことはプレーの中の「行ったり来たり」(Hin und
Her:訳注、ドイツ語で往復切符を買うとき、このように言う)である。この際、プレーはダンスに似ている。そこでは、ダンスはダンサーを運んでいく運動である』
このように、ナラティブの分析は、ナラティブに枠組みを当てはめることではなく、ナラティブの陳述を単純に記述することでもなく、それは分析者が陳述とプレーすることを要求する。ナラティブ分析においては、どのような理論的仮定が分析を導いて行っているかを意識することが重要だが、同時に、新しい考え方や、対立する考え方にも心を開いていることが大切である。
2.5 ナラティブの内容と構造
ナラティブ分析の独特の関心は、ナラティブがどのように構成され系統立てられているかということである。ナラティブの時間的特性を表わすためにさまざまな方法が開発されてきた。Gergen ら(1984)によって開発された3元分類法は有用な分析法であるが、この方法は規範的に適用するよりは、ナラティブの陳述のなかに生起するさまざまな変動を要約するために柔軟に適用することが望まれる。たとえば、悲劇的なナラティブというものは発展的・前進的な構造で始まるが、奮闘・努力のかいなく、その前向きな中心的特徴(central character)は打ちのめされ、ナラティブは退行的になっていく。この退行は、出来事に背景を与えるために使われていた解釈の次元を変化させることで、克服することが可能である。たとえば、経歴が順調に上り坂にある人は経歴についての発展的なナラティブを表現するだろう。しかし、もし、解雇されるような事態に陥った場合には、目標を変えて前進的ナラティブを表明し続けるのでなければ、より退行的なナラティブが表明されることになろう。目標のこのような再設定は一つのナラティブの中での変換点でもあるのだが、それはエピファニー(単純素朴な日常の中に本質的意味を直感するような認識)にも似たものがある。これは、語り手が世界をいままでとは異なって見たときに、陳述の中に現れる瞬間である。反対に� �喜劇は、語り手が変化した人生の価値を再評価し、積極的な価値に気づくというように、退行的なナラティブが発展的なナラティブに転換したような場合である。
Robinson (1990)は硬化症の患者のナラティブ分析に、彼の時間的配列法を利用した。彼は硬化症の患者のナラティブは3つの大きなカテゴリーを含んでいることを発見した。一つのカテゴリーは、硬化症の発症によって人生は終わったと考えている人たちの退行的ナラティブであり、二つ目のカテゴリーは、人生は変わったけれども依然として続いていると考える人の安定したナラティブ(stable narrative)であり、三つ目のカテゴリーは、病気が新しい機会を与えてくれたと考える人の発展的ナラティブである。
Gee (1991)は一般的なナラティブの陳述の詩的な構造を分析する有用性を述べた。彼は、韻文(詩)は日常のナラティブの報告に内在する重要な部分であり、詩というものはそのような報告・陳述の発展したものに他ならないと主張した。特に、彼はよく語られるナラティブの中にあるリズムや隠喩の用法に関心を持った。Becker (1999)による研究は、個人のナラティブを研究するためにこの方法を有効に使った一つの例である。高齢者の痛みのナラティブを通して読んでいく中で、彼女はそのナラティブが詩的な特徴を持っていることに気づいた。そこで、彼女はナラティブの陳述を、似たような構造を持った一連の詩の節に書き換えることができた。ナラティブを研究者が書き換えるにあたって、インタビューアの質問は除外され、テキストは韻文に構成された。このような形の分析は、ナラティブの根底にある全体的なリズムと、特定の経験を語る際に使われる隠喩に注意を向ける必要がある。たとえば、ナレーター(物語る人)は、その陳述の中で、あるリズムを作り出すようにある言い回しを繰り返す。(and then I …)とうように繰り返すことがある。
研究者はまた、ナラティブの語られる脈絡を、個人、個人間、グループ、社会の観点から考慮することができる(Murray, 2000)。個人的脈絡は、ナラティブが個人の経験にどのように係わっているかに関係する。個人間とグループの脈絡は、ナラティブの聴き手と共同制作者を考慮に入れる。社会的脈絡は、我々の日常の陳述をする広い社会的ナラティブと係わっている。これらのすべてのレベルの脈絡を統合することは困難であるが、一つ、あるいは他の脈絡にも注意を向けることは、ナラティブの報告・陳述の構造を理解する上で特に重要である。
この章では、われわれは個人的なナラティブの構造と異なる分析方略の価値を考察することにしたい。われわれは事例のまとめから始め、ナラティブがどのように構成されているかに進み、そのナラティブが特定の社会的脈絡のなかでどのように位置付けられているかを考察することに進もう。われわれは一つの事例しか詳細に考察することができないが、議論を進めるにあたっては、反対の事例を調べてみることは有益であろう。われわれは、反対の事例の一つを簡単に考察する。このプロセスは、参加者が彼らのナラティブを作り出すにあたって使用する特定の方略を、研究者が明白に理解することを助けるであろう。
3. 分析例: 乳がんの物語
この例はMurray の未発表のローデータからのものである。乳がんを患った結果の人生の途絶に彼女たちがどのように対応したかを分析している。われわれの関心は彼女たちが病気をどのようにして彼女たちの日常生活の中に統合していくか、つまり病気にどのような意味を与えていくかということであった。(How women integrated the disease into their everyday lives ---- how they gave it meaning?) また、われわれは、このような物語が特定の社会的、対人的脈絡の中で、どうのようにして構成されていくかということにも関心を持った。この意味で、われわれはより広い社会的脈絡が個人のナラティブにどのように関係しているかに興味を持った。
インタビューを受けたすべての婦人は乳がんの手術を受けていた。彼女たちは、最近の検診では再発の徴候は見られず、彼女たちの経験についてインタビューを受けることに同意した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
女性たちの多くのものにとっては、インタビューは情動的な経験であった。何人かは、手術のことについて他者と話す機会はほとんどなかったと述べた。彼女たちは夫や家族の前では強気の態度を示していなければならないと感じていた。そこで、出来事(乳がんと手術)について自由に語る機会は大いに歓迎された。経験の浅い研究者は、ナラティブ・インタビューではときに強い情動が示されることを前もって説明されていることと、インタビューでの経験をスパーバイザーと話し合うことが大切である。
われわれは、それぞれのナラティブの陳述のサマリーを準備することから始めることができる。すべての物語には、それらの物語に標準的な構造を与えるある共通の特徴が存在していた。それらは:
1. Biginning (開始):これはがんになる前の生活の話しである。それぞれの女性は彼女たちの生活の異なる側面を強調した。それらは、家族生活であったり、結婚であったり、仕事であったり、子どもであったりした。主たることは、がんが生活の中ではなにも問題になっていないことだった。何人かは、初期の経験のなにかが、後の病気の発症に関係があったのかを調べようとした。
2. Middle (中期):ストーリーの主要な部分はがんの診断、手術、患者の反応、そして家族や友人や仲間の反応に関するものであった。
3. End (終結):これは、彼女らの人生の崩壊を振り返ってみることを含んでいた。いかにして自分を病気の生存者として見つめるか。生活の期待や経験はどのように変わったか。
研究者にとっては、すべてのインタビューを要約することは、単調で退屈な仕事である場合がある。しかし、それは研究者に異なったナラティブに精通する機会を与えるので、重要な仕事である。すべてのナラティブの陳述を要約できる分析枠組みを作り上げるためにも、すべてのインタビューを要約することは重要である。このようにして、われわれは最初の分析枠組みを作り、さらに他のナラティブの陳述の理解に取り掛かるのだが、つねに枠組の適切さと、その修正の可能性を念頭において分析を進めることになる。
ナラティブの分析ができたならば、インタビューに基づいてレポートないしは論文を書く段階に進むことができる。ナラティブの読み込んだ結果伝えたい重要な主張あるいはメッセージはなんであるのかを心に留めておくことは重要である。そのようにすることで、研究者による中心的主張を最もよく例示している事例を選ぶことが可能になってくる(Becker, 1997; Gray et al., 2002)。この章では2つの事例が選ばれている。それらは、人が現在の経験と人生の初期の経験を結びつけることを通して、病気に意味を見出そうとした試みを例示している。ナラティブの選択はGergen & Gergew (1984)の時間的モデルに従って行なわれた。ナラティブの最初の通読は、このモデルが資料の大部分を組織化できそうであることを示唆していた。
定常的で退行的なナラティブは人生を悲惨のうんざりするほどの繰り返しと描写した。これらのナラティブでは、幼年時代はほとんど進歩のない困難なものであったと、成人してから述べられた。さまざまな困難を克服しようとした努力にもかかわらず、困難は絶えることがないように思われた。これらの困難は繰り返されるだけではなく、よくなる気配は無かった。がんはこのような厳しい試練の一つであった。ミセズ・ブラウンのケースは囲み6.2の中に示されるが、定常的かつ退行的なナラティブの例として見ることができる。
退行的なナラティブとは反対のナラティブでは人生は進歩の機会をあたえる挑戦の連続であるとして描写される。がんの診断のように人生に脅威をあたえるような出来事であっても、一つのチャンスとして性格づけられよう。ミセズ・ジョンズの事例は囲み6.3の中に前進的なナラティブとして例示されている。彼女は幼いときに自尊心を育てたので、人生を向上の機会にあふれたものと感じるようになっていた。がんもこのような機会の一つであった。
これらの対照的な2つのナラティブに加えて、他の多くの女性が定常的な安定したナラティブ陳述と考えられる報告を行なった。彼女たちは、人生の特定の出来事をハイライトするのではなく、平凡な言葉でその出来事を述べた。がんの診断もそのように、日常的な出来事のひとつのようであった。がんについての陳述の3元的特長(定常的で退行的、前進への機会、そして定常的で日常的)は、語り手の人生上での文脈的前後関係と、彼女たちの陳述の中で作られる異なるナラティブの意味づけの解明のために役立つ観点となる。
(P127の中段)
BOX 6.2 Stable / regressive narrative 定常的・退行的ナラティブ
要約: ミセズ・ブラウン(*)は50歳のシングルマザーだった。彼女は困難な状況で育ったと話した。彼女の母は彼女が2歳のときに死に、兄弟たちは別々の孤児院に送られた。彼らは係員からとてもひどい扱いを受けた。孤児院を出ると、彼女は看護婦になる訓練を受けた。彼女は打ち解けた人間関係を作ることが難しかったが、子どもを持ちたいと思った。彼女は独身のままで異なる父親の3人の子をもうけた。子どものうち2人は成長して家を離れていた。3番目は12歳だった。ミセズ・ブラウンは10年ほどフルタイムの仕事についていなかった。約10年前彼女は乳がんと診断され、乳腺の摘出手術を受けていた。彼女は苦しい生活をしていたので、がんの告知は彼女を打ちのめした。ここに示す要約はナラティブの3つの部分をカ� �ーしている。これらの3つの部分はナラティブ全体の把握することに役立つであろう。
(*) Mrs の発音は「ミセス」(ファッション雑誌の名)ではなく[misiz]。アガサ・クリスティー・シリーズの翻訳標記は「ミセズ」 なお、英国の標記は Mr & Mrs のようにドットをつけないのが普通。Mr. & Mrs. は American version of English (これ、冗談)
開始: 始まりの陳述の全体を通して、ミセズ・ブラウンは彼女のさまざまな問題を強調した。彼女は孤児院での幼少期をきわめて苦渋に満ちた経験であったと述べた。兄弟から離されただけではなく、そこの教師たちはとても厳しいと感じられた。孤児院を離れたあとで、彼女は人間関係をつくることに困難を感じていた。全般的に言って、彼女の人生は困難なものであった。
中期: がんの診断は彼女にとってあらたな試練であった。そのとき彼女は働いていなかったが、3人の子どもを持ち、生活をしていくのに困難を感じていた。外科医が彼女にがんを告知したとき、彼女はとても動転した。
B: Mrs Brown; I: Interviewer
B:それは本当にショックでした。
I:はー
B:ほんとにショックだったのよ。だってあまりにも突然じゃないですか。
I:うん、うん
B:落ち着いて考える時間もなかったのですから。
I:はい
B:あの人たちに言われたあとで、3週間も泣き続けたわ。そして、そのつぎの週には病院に入って、言われたとおりに手術を受けました。
彼女は乳腺摘出を受けた。退院後の適応には大変困難を感じていた。
I:手術は乳房切除ですか、乳腺摘出ですか?
B:いや、乳腺摘出ですみました。
I:OK
B:いですか。私はすべてやったのですよ。化学療法も放射線も、がんばりましたよ、それも一人でね。
I:うん、うん。
B:ごぞんじのように、夫はいませんし、3人の小さな子どもでしょう。ほんとうに、まだ手がかかる子ばかりですよ。
I:オー、大変だったでしょうね。
B:ええ、ひどいことでした。まったくひどいことでした。気持ちの支えもありませんでした。だれも支えてくれる人がいませんでした。
ミセズ・ブラウンは家族や友人からの社会的サポートのない状態であり、幼児期の困難な生育の中で宗教的信条を失っていた。このことががんの経験を不安に満ちたものにした。
終結: 過去を振り返ってみると、彼女はなんとか生きてきたが、全体の経験は困難なものであった。時折は、自分の不運を思って神を呪いもした。
I:あなたは「なぜ私だけが」と思ったりしたことがありますか?
B:ええ、しょっちゅうですわ。
I:ヤー
B:しょっちゅうです。なんということでしょう。その思いが止まらないのです。本当に止まらない。床を磨きながら、お風呂を磨きながら、子どもの一人をお風呂に入れながら、「なぜ、なぜ」と思い続けるのです。この子達を面倒見てくれる人は、ここには誰もいません。
I:うん、うん。
B:神様、どうして私だけがこうなんでしょう? 私は死にそうですと、思いました。
I:うーん
B:そう思ったって仕方がないじゃありませんか。
I:うん、うん。
B:「あなたはガンだ」と言われたときのことを考えてください。最初は、誰だって、もうだめだと思うんじゃないですか。
死への絶え間ない恐怖が彼女の日常生活をおおった。「不安になると、それが頭を離れません。何をしていてもだめなのです。パンを焼いているときでも、いつでも考えてしまいます。多分、私が一人でいるためかもしれません」と彼女は言った。彼女は、がんが再発したときに子どもたちが巻き添えになることを極度に心配していた。
B:あした死んだら、あの子はまだ12歳なのです。気が狂ってしまいます。本当に、本当に、クレージーになってしまいます。
I:うん、うん。
B:えー、だって、彼はどうなるか分からないではありませんか?
I:ヤー。
B:福祉機関の人たちが来て彼を連れて行くでしょう。そんなことが、とても心配なのです。そんなこと全部が心配なのです。
彼女は将来のことを思うと気が滅入った。
B:もう少し長生きさせて下さい。どうか、このままもう少し、殺さないでおいて下さい。―――これだけですよ。
I:うーん
B:あのね、私、何も高望みなぞしていないのです。
I:うん、うん。
B:本当に違うんです。仕事に戻って、新しい生活を始めて、また旅行をしてなんて、思っていないのです。そんなことは考えていません。それは夢みたいなことです。
ナラティブの構成に関して言うならば、ミセズ・ブラウンの物語は定常的で退行的である。彼女の人生全体は困難なものであり、がんの診断はこのような困難な諸問題に光を当てクローズアップさせる働きをしたに過ぎなかった。社会的サポートのないこと、宗教的信仰の欠如は彼女に孤立した感情を与えた(to leave her feeling isolated)。彼女は家族に対する責任を感じていた。そして、がんはその責任を全うする力を彼女から奪おうとしていた。彼女は、これまでなんとかやってきたが、がんの再発の心配が脅威となって残っていた。
(BOX6.2の終わり)
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BOX6.3 促進的(前進的)ナラティブ
要約: ミセズ・ジョーンズは45歳の既婚女性。5人の子持ちである。教師をしていたが、乳がんの手術の後、宗教的な仕事に専念した。彼女は若いとき、カトリックの協会と学校にいっていたが、特に信仰深わけではなかった。彼女は16歳のとき将来の夫と出合った。彼はとても信仰深い新教徒だった。ミセズ・ジョーンズは改宗し、以来、深い信心はがんの時期も含めて生涯にわたって続いた。彼女にとっては、乳がんを患うことは彼女の信仰心を高める機会であり、そのような機会として受け入れられた。
開始:インタビューの初期の段階で、ミセズ・ジョーンズは改宗のことについて詳細な説明を行なった。初めはSalvation Army church 行っていたが、Pentecostal churchに行くようになった。結婚後もPentecostal church に行き続け、信仰を深め、以来、ずっとそこに行き続けている。
中期:彼女は乳がんの診断を受け乳腺摘出手術を受けた。最初の徴候は良好であった。しかし、追跡検査では再発の徴候が見られた。ミセズ・ジョーンズは信仰の重要性を語った。手術は上手くいってインタビューをした頃には再発の徴候はなかった。彼女はとても楽観的に感じていた。「私は癒されていると感じています。主は私を癒していると感じています」
((*) 訳注:日本で流行っている癒しと、この場合のheal (癒す)が同じ意味かどうか不明。多分、違う。ペンテコステ派は「神による治癒」を重視する)
終結:振り返って、ミセズ・ジョーンズはがんを患ったことのポジティブな経験を強調した。「人生のすべてのことは私を成長させる経験でした。そしてすべてのことは私を主に近づけてくれたと感じています」
このナラティブの陳述は促進的・前進的なものである。がんは大きな試練であったが、ミセズ・ジョーンズはこの経験を、宗教的経験を高める機会に転換していた。彼女のナラティブの陳述はそれ自体がほとんど一つの信仰の告白であり、主の存在の証言(testimony)となっていた。彼女は主をあがめその栄光を称えていた。彼女のナラティブは一つの解放であった。病気は彼女の信仰を固めた。回復は宗教の力の確認であった。
(BOX6.3の終わり)
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(P127の中段)
3.1 物語を脈絡(文脈)と結びつけること
がんの経験のナラティブの陳述の例は、人々が「異例の事態と通常の事態の間につながりをつける」ためにナラティブを用いることができることを示している(Brunner,1990; 47)。インタビューの中で機会があたえられると、女性たちは詳細なナラティブを話そうととても熱心になった。実際、いったん彼女たちが主題となる話を始めると、インタビューアのやる役目はほとんどなかった。しばしば女性たちは自分たちの経験の詳細を語ることに熱心であった。時には彼女たちは陳述をすることはセラピューティック(治療的)であると述べた。
個人的な脅威を切り抜けた後での、語ることへのこの情熱はよく見られる現象である。宗教の言葉で言えば、この現象は「証言を与える」という言葉として知られている。公に証言を表明することは、最初の宗教的な形から、「カミング・アウト=表明、公にすること」の現象として、現代のより世俗的な形にまで発展している。この現代的「表明」は性的同一性に関して行なわれるだけではなく、虐待や拷問の生存者などに関しても広く使われている。このような形の公のナラティブはサポーター(援助者)の輪を広げる手段になるだけでなく、ある種の社会的に退行的なナラティブを修正する手段にもなる。
構成に関して言うならば、女性たちの物語は典型的な「開始」「中期」「終結」を含んでいた。「開始」は状況を示し、「中期」は乳がんの経験の詳細を述べ、「終結」は病気が彼女たちの人生にあたえた衝撃に関係していた。上に示した例の中では、定常的で退行的なナラティブは、ナラティブの独自の同一性を作りだす過程で、がんの説明と、彼女のそれまでの諸経験や、対人的脈絡やより広範な社会的信念を結び付けていた。ミセズ・ブラウンにとって人生は困難なものであった。彼女が、サポートがほとんどないと感じたとき、彼女はがんの告知を受けたのであった。これは公平なことではなかった。彼女は人生にそれほど望みをかけていたのではないと感じていた。彼女のナラティブは、せめて一番幼い子ど� ��が育つまでは健康をあたえてもらえるように請願することで終わっていた。
P128 下から2行目より
分析を個人のレベルで見ると、ナラティブは女性たちの異なった経験を反映している。ミセズ・ブラウンの主たる困難は彼女の子どもたちへの責任であった。がんの発病はこの責任への最大の脅威であり、彼女の人生の将来への脅威でもあった。ナラティブの陳述を作りあげていくなかで、ミセズ・ブラウンは現在から過去へと遡って話を作っていって、小さいときの困難や支援の欠如を語った。彼女が話したナラティブの同一性には一貫性(coherence)が存在していた。
対人関係のレベルにおいては、ナラティブの分析者は研究参加者がどのようにして彼女の物語をインタビューアに伝えるかに興味を持っている。彼女の物語のなかで、どの問題を彼女は強調したのだろうか。彼女の人生の全体は試練の連続であり、彼女は将来に多くを期待はしていなかった。「大きなことは望まないわ」と彼女は言った。彼女に比べれば、若いインタビューアは仕合わせであった。乳がんの診断はミセズ・ブラウンにとっての、ついていないことのもう一つの証しであった。インタビューの間、彼女は幼少期の虐待の経験を詳細にかたること、そのことを現在の境遇に結びつけることに多くの時間を費やした。彼女のナラティブは、より苦痛の少ないライフヒストリーとして語られるものと� �反対の方向性を持って語られた。
社会的なレベルで見るならば、これらのナラティブは女性たちの精神的世界と絡み合っている。精神的観点からみれば、ナラティブは善悪の物語としても、試練の時期に有徳のことを試みる物語とも見ることができる。ミセズ・ブラウンにとっては、精神的世界は空虚で絶望的なものであった。神はたびたび彼女を絶望させた。がんも彼女が世界から拒絶されていることを示す証拠の一つであった。聖なるものへの信心ない状態で、経験の中に超越的(卓越的)特性を見つけることは困難であると、彼女は感じていた。逆に、ミセズ・ジョーンズは強い宗教的信念を持っていた。精神的な満足が彼女の世界に行き渡っていた。彼女にとって、がんの経験は、それを神によってあたえられた人生を再評価する一つの機会と� ��置付けられていた。
4. さらなる分析 (Further Analyses)
上に示した例は、ナラティブ分析のプロセスの実例を示している。このような分析方法は唯一の方法ではない。他の質的分析のようにインタビューをいくつかのテーマに分割するのではなく、ナラティブ分析の方法は、ナラティブ陳述の全体を取り上げ(take)、それがどのように構成されているのか、さらに広い脈絡とどのようにつながっているのかを調べようとする。重要な課題は、研究者が最初の理論構成において十分に自分の立場を明示しており、その上でナラティブの陳述に取り組むことである。
ナラティブ研究者は、語られたストーリーの意味づけをする助けとして異なった理論的枠組みを援用することができる。Hollway & Jefferson (2000)は理論の扱い方を、石ころを池に投げ入れることになぞらえている。適切な理論は、ナラティブ陳述によってその波紋を広げて行き、他の理論では無視されていた特長を明らかにしていく。彼らは精神力動論的枠組みを用いた。その枠組みは、ナラティブの基底に横たわっている隠された不安を探り出した。この枠組みをすでに語られた乳がんのナラティブに適用することによって、われわれは、幼少期に遺棄された彼女の経験から来る不安を、がんの結果が彼女の子どもにあたえるであろうことへの恐怖と結びつけることができるようになった。
フォーカスグループの中で形成されるナラティブのなかでは、集合的物語がどのように形成されていくかに注意することが重要である。「われわれは=we」や「われわれに=us」のような集団に関する言葉の確認は、このようなより社会的なナラティブを同定するのに役に立つ。これらの言葉はまた、「彼らは」や「彼らに」のような言葉で語られる集合的「他者」の物語とは対照的なナラティブが構成されていくなかでも見出される。これらの言葉は個人のナラティブのなかでも明らかに見られ、個人がある社会的物語と共鳴する(同一視する)程度、あるいは対立的なナラティブを構成しようとする意図の強さを示している。
研究者は研究参加者をナラティブ分析の中に取り込むこともできる。たとえば、ナラティブの転記や個人の日誌を吟味し、コーディングの計画を立てる前に、興味ある要点をクローズアップすることを参加者に依頼することができる。この吟味によって、参加者は、個人としてあるいは集団の一員として、分析のプロセスを開始することができる。研究者もまた、参加者に対する省察を勧める過程で、ナラティブの研究を利用することができる。上に示したようながんの研究への拡張的応用は、彼女らの共通の経験を省察するためのグループに女性たちを招きいれることになろう。このようなプロセスは、研究者にとっても参加者にとっても、情動を喚起するものであるが、このプロセスはナラティブ研究をアクション� ��サーチへ変換する可能性を持っている(本書10章参照)。この形式の研究では、参加者は、彼らの経験に意味を与え、グループとしてさらに積極的なナラティブを考慮する際の、支配的な社会的ナラティブの影響力に気づき始めるようになる。
結論として言うと、ナラティブ研究によって与えられる機会は流動的であり、発展的である。研究を進めるにあたって、研究者は、参加者が何を理解しようとしているのか、何を言おうとしているのか、なぜそれを言おうとしているのかを問題としなければならない。目的は、われわれや他者の行為の説明を形成するだけでなく、われわれのアイデンティティを形成するナラティブの報告の根底にある構造を明らかにすることである。
(了)2007年4月15日
東京成徳大学大学院 臨床心理学 MC,DC 「心理学研究法」2007年度講義資料
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