『ボードレール』
2012/03/22 00:00
ボードレール
(2011/12/21)
テオフィル・ゴーチエ
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ボードレールの位置、ゴーティエの位置
完全なる詩人
フランス文学の練達な魔術師
心から敬愛する
師でありまた友である
テオフィル・ゴーティエに
世にも深い
謙遜の気持と共に
これらの病める花々を
捧げる
C・B(堀口大学 訳)
これは謂わずと知れた、ボードレールの『悪の華』冒頭に掲げられた献辞である。このフランス文学史、のみならず、世界文学史上の一大事件ともいうべき詩集を捧げられた人物、ということで、私はテオフィル・ゴーティエなる文学者の名を知ったのだった� ��
きっと私と同じく、ボードレールからゴーティエを知った、というひとは多かろうと想像する。少なくとも、ゴーティエを先に知り、その繋がりでボードレールを知ったのだというひとよりは確実に多いことだろう。
ただ、このゴーティエという作家、決して「ボードレールの周辺の人」で済ませられるような人物ではないことは、実際にその著作を読んでみたならば誰でも納得できることだ・・・と、エラそうなことがいえるほど、私も彼のものを読んでいる訳ではない。岩波文庫の短編集を一冊読んだきりだ。しかしそれでもなお、この作家には大きな魅力が、すなわちボードレールの「ついで」扱いはできない魅力があるのだ、ということを確信できた。
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と、いいつつ、彼のものをずっと読んでこなかったのもまた事実なのではあるが、昨年末、ゴーティエによるボードレール評、という本作の新訳が、こうして出版されたことは、今、ボードレールを考え直そうとしている最中の私にとってはとても嬉しいことだった。これはもう、読まずにはいられない。
ボードレールは詩人であると同時にすぐれた批評家であり、その鋭く独創的な観察眼で同時代の美術家、文学者等を多く論じており、そのどれもが注目に値することはいうまでもないことだが、そのボードレールが自らの処女詩集を献じ、また、批評の対象ともしているテオフィル・ゴーティエが、逆に、ボードレール� �方を論じている、というのがこの本の面白いところだ。
互いが互いについてどう論じ合っているのか、それを逐一比較してみるのもとても面白そうだとは思うのだが、それをブログという規模の文章でやるのは、あまりに煩雑に過ぎる怖れがあるので諦める。ボードレールと同時代を生きたひとりの作家が、この「問題児」をどう観ていたのか、論点はそこに絞ろうと思う。
ゴーティエは、文学史的にざっくりみるならば、ボードレールよりは少し前、ユゴーよりは少し後の、ロマン派の最後の世代、ということになるだろうか。私は以前、『ニーチェ コントラ ボードレール』という本についての記事の中で、ボードレールにいわば近代の最後を担わせ、一方において現代の発端ともいうべき立ち位置にあるニーチェと� ��比する、という形で、ちょっとそのさわりの部分だけを書いてみたけれども、今回は、あるいはボードレール以前の世代が、この「新時代の詩人」(特に象徴主義の発端という意味において)をどう感受したのか、それを考えるのだということになるのかもしれない。
この評伝は、1868年に出版された、ミシェル・レヴィ版『ボードレール全集』の序文として書かれた。即ち、まだまだボードレールの評価なるものが世間的に定まったとはいえない時期に書かれたものなのである(ちなみに詩人の没年は1867年)。ボードレールといえば、無理解と不遇と困窮の内に生き、死んでいった多くの天才たちの代表格みたいなイメージだが、読みはじめてまず驚かされるのは、その彼が、これほどまでに同時代人であるゴーティエに理解さ� �ていた、ということだ。
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それはつまり、我々のような後代の人間が、例えば「19世紀の西洋文学史」というような、大きな時間枠を俯瞰して初めてみえるような、詩人ボードレールの「位置」というものを、ゴーティエが捉え得ている、ということなのだが、それをもって、「当時のパリにはすでにボードレールを受容し得る「土壌」があったのだ」とみるのか、それとも、その「「土壌」が先にあり、それがボードレールという天才を育んだのだ」とみるのかでは、同じようでいてかなり意味合いが違ってくる。
それをどう判断するのか、というと様々な見解があるのだろうけれど、当のゴーティエとしては、どうやら後者であるとみているようだ。本書23ページに曰く。
「文学にも、朝、昼、夕、夜がある。黄昏よりも明け方を好むべきか否かといった虚しい議論は措いて、今この瞬間に在る時刻に立ち、この時のもたらす効果の表現に欠かせない絵具を盛ったパレットを手にして描かねばなるまい。黎明の美があるように、落日には落日の美があるではないか?」
この部分には、非常に重要なものが含まれているように思われる。この一文の少し後の文章を読むと、その意味はさらにはっきりしてくる。
「『悪の華』の詩人は、人が軽率にデカダンスの文体と呼んだものを好んだ。それは老いゆく文明の傾く太陽の光線で明確に示唆される、最後の爛熟期に達した芸術に他ならない。(中略)つまりこのデカダンスの文体とは、万事を言い尽くす使命をおびて、極度 の誇張に至った「言語表現」の究極の言葉である。」
こうしてゴーティエは、19世紀中葉という時代、即ちあるひとつの「最後の爛熟期」を迎えた時代におけるパリに特有なものの、善き代弁者、あるいは表現者としてボードレールを位置づける。ここからボードレールの所謂「ダンディ」の概念や、さらには「現代性(モデルニテ)」の概念をも導き出すことは容易ではないだろうか。
ここまでの深い理解は、やはり、単に読者としてボードレールを研究することではなく、ある時代精神を共に生きたが故に得られるものだろう。そう、確かにゴーティエはボードレールと共に生きた。あるいは、「先行して」生きた、とさえいえるのかもしれない。ただ、彼らの生きた時代精神は、その表現者として最終的にボ� �ドレールを選び、ゴーティエを選ばなかった。天才詩人として世界文学史に大文字で記されたのは、シャルル・ボードレールの名前であった。
しかしここで、時代の頂点という意味での天才としての地位を、弟分に譲らなければならなかったゴーティエの名誉のために、という訳でもないが、ひとつ、彼が「時代の先をゆく者」であったことを証明するものについて、触れておきたい。
「見者」といえば、勿論真っ先に思い出されるのはアルチュール・ランボーであり、その有名な「見者の手紙」(ポール・ドムニー宛書簡)では、ボードレールが「第一の見者であり、詩人の王者であり、「ほんとうの神」」などといわれているのだが、「第二期の浪漫主義者もなかなかの見者」だとして、ルコント・ド・リールやバンヴィルと並んで、ゴーティエの名前も挙げられている。
しかし実は、この「見者(voyant)」という語 の使用ということになると、ゴーティエは「先駆者」だったらしい。いや、実際に本評伝においても、ゴーティエはこの語をボードレールのために使用しているのである。
この本には、本文の他に、訳者の井村実名子による、詳細な註と小論が幾つか併録されているのだが、分量的には本文以上のボリュームがあり、なかなか読み応えがある。そのなかの『ゴーティエと見者voyant』という小論に、この辺りのことが論じられている。
それによると、ゴーティエがまずバルザックを「見者」と呼ぶ以前に、ポーラン・ルメラックなる批評家がすでにバルザックをそう呼んでおり、ゴーティエは言葉としてそれを真似て使った可能性があるらしいが、単なる言葉としてではなく、現在我々が知る意味での「見者」という概念をあ� �わすものとして使い始めたのは誰か、というと、やはりゴーティエ、ということになる、らしい。
そして、ランボーが「見者の手紙」を書いたのは1871年であり、それはつまり、他ならぬこのゴーティエによるボードレール論を序文とした、『ボードレール全集』の第一巻『悪の華』が出版された1868年の三年後だ、ということになる。
即ち、きっとこのミシェル・レヴィ版の『悪の華』を読んだであろうランボーが、直接的にゴーティエからこの「見者」なる言葉を得たことは、ボードレールをその筆頭として挙げていることからほぼ確実だろうと、訳者は推測しているのだが、これは実に面白い話だ。
この「見者」という概念をどう解釈するのか、それもまた実に難しいものではあるのだが、認識主体としての詩人たる自分というものの「在りかた」を強く意識する、という意味において、極めて「実存的」であり、よって極めて現代的といえるこの言葉が、その発端をランボー以前の、ゴーティエに見出すことができるのだとしたならば、やはり、ゴーティエの批評家としての文学史的地位は、ボードレールと比較しても決して見劣りするものではない、ということになる。
実際この評伝においても、まずは『悪の華』について、そしてエドガー・アラン・ポーの翻訳、さらには美術批評や『人工楽園』等、という具合に、ボードレールの生涯の仕事を丁寧に辿り、そこに見出され るべきボードレールの「偉大さ」を語っていく様を一瞥するだけでも、ゴーティエの眼の確かさというものは、見事に証明されている、といえるだろう。それは、ボードレールというのはいかなる詩人であったのか、全く知らないひとが、さあこれから知ろうというときに、まず読んでみるべき評伝たるにも相応しい、といえるものですらあると、私には思われた。
私の主眼はあくまでもボードレールにあるのだが、今回の読書によって、ゴーティエへの興味も大いに駆り立てられた。そういえば、積ん読本の山の中に何冊か、彼の本があった、はずだ。引っ張り出してみるのも悪くない。部屋の整頓ついでに、ちょっと探してみようか、と思う。
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