しゅんGの工房 案内 | ごあいさつ この度、こんな工房を新設しました。訳はたいしたことではありません。お勤めを定年退職してから十年が過ぎました。趣味の詩もずいぶん書き続けて、念願の詩による自分史を一応完結しました。おかげさまで詩の仲間も増え、いろんな詩の情報が集るようになりました。すると、詩に対する雑感もさまざまに心を乱すようになりました。 そこで、自分自身の詩の世界での位置や姿勢を知りたくなって、ここに雑感を綴ってみようかなと思った訳です。出来ましたら、反論や批判などをいただくとありがたく思います。詩とは全く別の世界からの反論や批判も大いに結構です。 今後ともにこの「工房」をどうぞよろしくお願いします。 | 第三回 詩作について (先生のとき) 「りくつ(理屈)」の章 ぼくが中学校の国語の先生をしていた時、ある地域文集の編集員になったことがありました。その文集の「作文教室」の欄の執筆を担当した時、次のような意味の文章を書きました。
ハリーポッターbooki 7で死ぬのでしょうか? 文章での『写生』ということを考えてみます。たとえば台所で夕飯の用意をしているお母さんの写生を考えてみます。 絵ではお母さんがまな板の上でじゃがいもを切っている姿を描いたとします。ガスコンロには火が点いていて、いつもの味噌汁を煮る鍋が乗っています。中にはお湯とダシと他の具が入っています。つまりお母さんがまな板でじゃがいもを切っている時に見えるものは描こうと思えばかなりのことまで描けます。でも、絵ではお母さんがじゃがいもの味噌汁を作る作業全体のなかの一瞬しか描けません。 ところが文章の写生は、お母さんがじゃがいもを洗うところから、味噌汁ができ上がって、満足そうに味みをしている姿まで、時間を写生することができます。初めからずっとお母さんに寄り添って、お母さんの様子をつぶさに観察しながら、それをありのまま文章にしてみて下さい。 絵の写生ではお母さんが美人か、それとも『でぶ』かを一目見てわかるほどはっきりと描くことがで来ます。でも、文章では不思議にお母さんの性格や心が写生できますよ。 ・・・・・母が、まな板の上でネギを刻んでいた時、座敷でテレビの中らしい喚声が聞こえてきた。母は突然包丁を持ったまま座敷へ走った。そして「やった、やった、やったあ~。」と叫びながら、包丁を振り回して台所へ戻ってきた。今度はネギを刻む後ろ姿が踊っているようだった。「おまえっ、原が満塁ホームランだよ。すごいね~。母ちゃん、るんるん・・・。」と言った。 (中学二年生の男の子の作文より。) どんな母ちゃんか読み手も想像できます。美人かでぶかはわからないけれども・・・。
ハリー·ポッターの本のシリーズの最後で死ぬのでしょうか? 最近、詩を読んでいて、今お話をしました絵のような、断片だけの詩が多いのではないかと思っています。もちろん詩歌の場合は、小説に比べると文字数がはるかに少ないですから、絵のようにならざる得ない宿命はあると思います。そして当然それでもいいと思っています。人の生き方の中のきらりと光る断面をするどく切り取った詩の名作はたくさんあります。人生だけではなくあらゆる面で、時間の経過の中のある一瞬を作品にした名作もたくさんあります。 けれども、ぼくはこう思うのです。たとえ詩であっても時間の経過の中のある一瞬を切り取っただけでは描けないものがあるように思えてならないのです。つまり、一片の作品だけでは描けないものがあるような気がするのです。 『それはいったい何なのでしょう?』
shakespearsの劇場は彼の時間のように見えたもの 「かんせい(感性)」の章 教室の中央に大きな花瓶を置きました。その中に初夏の花をたくさん生けました。そして、作文の時間・・・。 「この花瓶の花を文章で写生して下さい。そして、この花瓶の花を見ていない学級のみんなに、きみたちの作文を読んでもらって、その絵を描いてもらいます。さあ、どんな絵ができるだろうね・・・。」 そう言って、一時間かけて花瓶の花を文章で写生して貰いました。 それから、作文の作者の名前は伏せて、まったく別のクラスの生徒に渡して、作文から想像できる絵を描いて貰いました。不思議な結果になりました。 ほとんどの生徒は花瓶の大きさや花の名前や花びらの枚数、葉や茎やつぼみの形と大きさと色をできるだけ正確に作文しました。中には物差しを使ったり美術の教科書の色環表に合わせて色を指示した生徒もいました。 けれども、どこの世界にもあまのじゃくはいるものです。彼ら三・四人は花瓶の形状や花の姿などを情感溢れる表現で作文したのです。 「花壇の中央に元気に咲いていたのに、ごめんねって言って連れてきたような濃い赤いバラが周りの花を慰めています・・・。」 例えば、こんな調子(この通りだったかどうかは忘れました。)で作文したものがあったのです。そして、こんな調子の作文を絵にした子の絵の方がはるかにはるかに、元の花瓶の花の姿に近かったのです。ぼくは本当にびっくりしました。もちろん作文を渡された生徒の方にも絵の上手、下手がありますから、こんなことで何かをわかったように分析できないのはわかっていますが、それにしても不思議でした。 読み手に分かってもらおう、分かってもらおうとするあまりに散文になってしまっている詩をときどき見かけます。昔、物語詩なんていう分類を生徒に教えたことがありましたし、太平洋戦争後に権威・権力に抗うプロパガンダのための説明的な詩のなかにも、まるでイソップのお話のような教訓的な詩の中にも名作はありましたから、読み手に分かってもらうことを第一義に考えた説明調の詩を否定などは致せません。 でも、説明だけでは花瓶の花の写生作文のように、本当の姿を分かってもらえないってこともあるように思うのです。 『どうすれば、ぼくの思いの本当の姿が読み手に伝わるのでしょう?』 | 「どぐま(独断)」の章 二年ほど前に小学校や中学校の国語の先生の研究サークルでお話をしました。「詩について」です。もちろん自分の詩論を展開するつもりなどは毛頭ありませんでした。ただ「詩がよくわからない。」という先生に、詩の何かを知ってもらおうと思ってのお話でした。その中で次のようなお話をしました。 「・・・詩人たちは、自分の思いを読み手に分かってもらうということよりも、自分の思いをどう表現すれば、真実の姿のとおりに表現できるかの方に関心があります。そのためのことばの実験を骨身を削って繰り返している詩人もいます。だから、ときには読み手にまったく分からないものを書いてしまうことがあります。・・・そんなのにぶつかったら読まずに捨ててしまえばいいのです。他人の勝手な表現に付き合う義理も人情も必要ないのです。でも、なんだかよく分からないけど、すっごくいいなあと思えるものにぶつかることがたまにあります。」 そう言って三好達治さんの「乳母車」を例にしました。先生たちにはわかって貰えました。吉田一穂さんの「母」を例にしました。一人だけとてもとても感動した先生がいました。いくつかの悪い例もあげましたが、ここでは省略します。ことばの実験に失敗した作品は「どぐま」そのものの姿だと思います。そして、自分の実験の失敗に気づいていない詩人は哀れです。詩人たちは実験の失敗に寛容であってはいけないと思います。じゃんじゃん自分の物差しで測って、分からない作品は切って捨てるべきです。お互いに失敗を慰めあっている必要はないと思うのです。 『自分のどぐま、実験の失敗に気づきたいなあ。』
「たび(旅)」の章 一枚の写真があります。それは時間のなかのある瞬間を止めたもの。それは空間の広がりのなかに枠をはめたもの。 一枚の写真だけでは思いを語り尽くせない時、写真家は「組み写真」を考えました。数枚の写真を組んで思いを語ろうとしたものです。そのように詩の場合も一編だけ(短い詩)では思いを語り尽くせない場合があります。 ぼくはどんな場合でもある一瞬の時間や枠を嵌めた空間には、その前と後、右左上下があるということを言いたいと思います。つまり詩に書かれなかった前後、左右上下があるということを忘れたくないのです。そして、その『前後、左右上下』を大事にしたいと思っています。 それを次のような例え話で説明します。 今のこの一歩は次の一歩を決めます。次の一歩はさらに次の一歩を決めます。この連続をぼくは「旅」(留まっていない)と言う概念で考えています。 一片の詩はぼくの人生の旅の途中の姿です。その詩だけで完結していないのです。ぼくの作品はぼくのすべての詩の「組み詩」です。そしてそこに現れてくる思いがぼくの思いであり主張であり主題なのです。 そこで各章の終りの命題に対するぼくの考えはつぎのとおりです。 「りくつ(理屈)」の章 『それはいったい何なのでしょう?』のぼくの答えは 『ぼくの思い・主張・主題(テーマ)。』なのです。 「かんせい(感性)」の章 『どうすれば、ぼくの思いの本当の姿が読み手に伝わるのでしょう?』 に対するぼくの答えは 『よい詩を書こうとするよりも、何を訴えようとしているのかを忘れないで推敲を重ねること。』です。 「どぐま(独断)」の章 『自分のどぐま、実験の失敗に気づきたいなあ。』についてのぼくの努力は 『下書きを書き終わったら何日も寝かせて、推敲する時はいつも自分のテーマのスタンスや姿勢から見直す。言葉の引き算や足し算はカッコイイ詩を書くためではなく、読者に分ってもらいたくてする努力。』ということです。 どんな旅にも目的があると思います。ぼくの心の旅にも目的があります。その目的がぼくの思いであり、主張であり、主題(テーマ)です。 「うんっ? あなたの心の旅の目的っていったい何なの?」 こんな質問が聞こえてきそうです。でも、一口で説明できるものではありません。誰かになんとか分かってもらいたくて、詩集「迷子と恋人たち」を作りました。これを全部読みますとそのとき初めてぼくの思いや主題が見えてくるのです。
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