好きな詩(歌詞)を紹介する 06−3C
紹介者
1.タイトル 作者
2.原文
3.紹介&鑑賞文
ペンネーム ジュニーニョ・ペルナンプカノ
1.逢いたい 藤井敬之
2.涙の理由も聞かずに
あとほんの少しで僕はこの町を出て行くよ
さみしくなるけど・・・
久々かけた電話の声
元気そうで何よりです
忙しいの?
思い出がポケットから溢れた
ずっと前に君が言ってたコトバがひとつ この胸の中
言ってしまえばよかった 本当の気持ちをもっと
逢いたいよ
ホントに出来ればなんだけど
曖昧にしてたそんな僕の気持ちが
答えをひどく鈍らせてるんだ
逢いたいなぁ
やっぱり 自分にウソはつけないから
明日には君に会いに行くからね
いつもの悪いクセなんです
言いたい事も言い出せないまんまで
タイミングをいつだってはずしたまま・・・
ずっと僕 がいない間も 君は変わらずにいてくれるかなぁ
答えなんていらないと あの時 言わなきゃよかった
逢いたいよ
ホントにできればなんだけど
曖昧にしてたそんな僕の気持ちが
君を僕から遠ざけてるんだ
逢いたいなぁ
やっぱり 自分にウソはつけないから
明日には君に会いに行くから
逢いたいよ
ホントにできればなんだけど
曖昧にしてたそんな僕の気持ちが
答えをひどく鈍らせてるんだ
逢いたいなぁ
やっぱり自分にウソはつけないから
明日には君に会いに行くからね
待っててよ 僕の本当のところ
君はどんな風に 僕を見てくれるかな?
3.この逢いたいと言う歌詞は、音速ラインというバンドの曲である。音速ラインは元スーパーリラックスの藤井敬之(Vo)と菅原 健
生(Dr)がスーパーリラックス解散後、新たに大久保剛(B)を向い入れ2003年4月に結成されたバンドである。このバンドのボーカル
がこの曲を作詞した藤井敬之である。この歌詞を読むと、まず第一印象としては切ない気持ちになった。そして書いてあることは難し
くなく、分かりやすいので作詞者は自分の気持ちを感じたままに文章に表しているなと思った。特に「逢いたいよホントに出来ればな
んだけど曖昧にしてたそんな僕の気持ちが答えをひどく鈍らせてるんだ」の部分が印象に残っている。この文章を読むとそのとおりだ
なと思うし、いいなと思う。でも僕は、この詩はあくまで歌詞なので曲とあわせて聞いてこそ涙が出るようなすばらしい詩になるなと
感じた。実際、この曲はメロディーと歌詞が絶妙� �あっているのでぜひ聞いてみてほしい。この詩を読んだほかの人の意見としては
「センチメンタル、胸にしみる、泣ける、切ない、涙が出そうになる」などいろいろな意見があったがどれもそのとおりだと思った。
僕は特に「逢いたいよホントに出来ればなんだけど曖昧にしてたそんな僕の気持ちが答えをひどく鈍らせてるんだ」の部分が印象に
残っている。この文章を読むとそのとおりだなと思うし、いいなと思う。
森田能次
1
萩原朔太郎 遺伝
2
人家は地面にへたばつて
おほきな蜘蛛のやうに眠つてゐる。
さびしいまつ暗な自然の中で
動物は恐れにふるへ
なにかの夢魔におびやかされ
かなしく青ざめて吠えてゐます。
のをあある とをあある やわあ
もろこしの葉は風に吹かれて
さわさわと闇に鳴つてる。
お聴き! しづかにして
道路の向うで吠えてゐる
あれは犬の遠吠だよ。
のをあある とをあある やわあ
「犬は病んでゐるの? お母あさん。」
「いいえ子供
犬は飢ゑてゐるのです。」
遠くの空の微光の方から
ふるへる物象のかげの方から
犬はかれらの敵を眺めた
遺伝の 本能の ふるいふるい記憶のはてに
あはれな先祖のすが� ��をかんじた。
犬のこころは恐れに青ざめ
夜陰の道路にながく吠える。
のをあある とをあある のをあある やわああ
「犬は病んでゐるの? お母あさん。」
「いいえ子供
犬は飢ゑてゐるのですよ。」
3
萩原朔太郎は群馬県前橋市出身で高村光太郎ともに口語自由詩を完成させたと言われており、
現代詩人にも多大な影響を与えた。この遺伝は『青猫』の中にあり、萩原朔太郎がこの『青猫』
発表後は詩論に力を入れ始めるとともに文語評価の言及が増え始め、初期文語詩をまとめた『純
情小曲集』を大正14年に刊行。そして昭和初期のモダニズム詩流行を横目で見ながら昭和9年
に文語詩集『氷島』を発表する。しかしこの詩集は朔太郎の弟子を自認する三好達治によって酷
評 され、朔太郎自身もこれを口語詩からの「退却(レトリート)」と認めるに至るのである。
この詩中の表現で、『おほきな蜘蛛』は『人家は地面にへたばって』をうまくたとえている。
後者だけだと情景が描きにくいが前者があることによって人がどのように暮らすようになった
のか鮮明に描写していると思う。また『のをあある とをあある やわあ』の意味は理解でき
なかったがこれを使うことによって場面の転回がうまくできていると思う。一般的な、ほかの
接続詞が入るとこの詩全体のイメージが一般的なものになると思う。この独特な接続詞により
この詩が不思議な感じにもとまっているように感じた。
この詩の内容については、人間は一定なところで生活し何からも恐れずに眠っているが、自然
� ��中で生きている犬は何かの夢魔におびえて遠吠えしている。そのことに対して親は子と見方
が違って、遺伝の本能である、ふるい記憶つまり先祖のあわれなすがたを感じ、おびえている
と考えられず常識的にただ飢えているか吠えていると考えている。子供は純粋に「何か悩んで
いるんでは?」と疑問をもった。人々は平和になりすぎたのかもしれない。何か、つまり生死
にかかわることでおびえるなど現代ではない。人々は安全になりすぎたかもしれない。この詩
を読んでこんなことに気づかされた。「人間も自然で生きている動物の一部であり大人になっ
ても子供のような純粋に物事を見ていきたい」と思った。
≪KimTatsu wrote:夢の中では、人間の遠い祖先から遺伝している、あらゆる原始的記憶が回復する。
僕等の憐れな先祖達が様々な他の動物に襲われ、脅かされ続けてきた。その恐怖は夢の中で、
永久に尚も僕等の記憶の中に残っている。これは人間だけのことではなく、他の動物たちも同様なのだ。
だから夢の中では、人間も犬も平等である。萩原自身の心のなかの不安や恐怖が、特異な擬声語(オノマトペ)
によって表現されています。この擬声語は、詩を読んだり聞いたりする人の主観によって、
どのようにも音表することができます。 そうそう、中也もよくこの手法を用いていますよね。
また、言いようのない不安を、「母親」 より 「子供」の方が直感的に汲み取っているように思えます。
なぜなら、幼い子供には人と他の動物とを同一の次元で考えることができるからではないでしょうか。
私たちを縛っている常識や社会慣習から解き放たれて、自由な発想を持って生きたいものですねえ。
(
KimTatsu wrote の文章を読んで、擬声語とは『のをあある とをあある やわあ』のこと
なんだろうか。もしそうなら、これが作者の不安や恐怖を表している部分であることに気づけた。
PN、まんゆう
1,25個目の染色体
2、あなたがくれたモノ たくさん僕持ってる
それをいまひとつずつ数えてる
1,2,3個目が涙腺をノックする
131個目が瞼にのったよ
忘れてた泣き方 でも
今ここのある何か 目を閉じても零れそうな気がして
I will die for you,and I will live for you
I will die for you,there is nothing more than
I could really say to you
あなたが死ぬその まさに一日前に
僕の 息を止めてください これが一生のお願い
あなたが生きるのその最後の日に僕は
ソラからこの世が何色に染まるか当てたいんだ
この場所(ここ)と天国のちょうど真ん中 月から手のばすあのあたりかな
あそこから見える景色 目を閉じても覗けそうな気がして
I will die for you,and I will live fou you
I will die for you well you never ever told me to
次の世の僕らはどうしよう 生まれ変わってまためぐり合ってとかは
もうめんどいからなしにしよう 一つの命として生まれよう
そうすりゃケンカもしないですむ どちがかが先に死ぬこともない
そして同じ友達を持ち みんなで祝おうよ誕生日
あえてここでケーキ二つ用意 ショートとチョコ そこに特に意味はない
ハッピーなときは2倍笑い 2倍顔にシワを残すんだい
これが僕の2番めのお願い 2つ目の一生のお願い
I will die for you,and I will live fou you
I will cry for you because you're the told me how
いつか生まれる二人の命 そのときが来たらどうか君に
そっくりなベイビーであって欲しい 無理承知で100%君の遺伝子
伝わりますように 俺にはこれっぽちも似ていませんように
寝る前に毎晩 手を合わせるんだ
そんなこと言うといつも 君は僕に似てほしいなんて言うの
そんなの絶対いやだよ 強いて言うなら俺のこの
ハッピー運とラッキー運だけは一つずつ染色体に
のせて あげて ほしいな
3、
01年、横浜で高校生活を送っていた桑原彰(g)と野田洋次郎(vo)の二人の出会いから活動は始まり、バンド名にRAD(強烈、良い)と
WIMP(弱虫、軟弱な)を繋ぎ合せて作り出した単語"RADWIMPS"と命名。ちなみに、メンバー達はバンド名を自ら「かっこいい弱虫」
「見事な意気地な し」「マジスゲーびびり野郎」と説明している。2005年から2006年にかけて、もっとも注目を集めることになった
超新星バンド、RADWIMPSのメジャー・デビュー・アルバム。西海岸メロコア〜エモコアのエッセンスを血肉化した彼らのロックは、
激しくて楽しく、繊細にしてダイナミック。キュートな旋律もいい。
この歌のタイトルでもある25個目の染色体とは自分が体験した幸せなことや嬉しかったことなどを残せる25個目の染色体があったら
いいなという願いが込められている。生と死に重みをおいた、究極のラヴ・ソングである。まず、歌詞だけをじっくりと読んで歌詞
をサラリと聴き流す程度にはするべきではないと思った。
"あなたが死ぬその まさに一日前に 僕の 息を止めてください これが一生のお願い� �
誰もが思う事、それは愛する人の死を目の当たりにはしたくはないと言う事。そんな思いと、それ以上の前向きな願いがこの曲には
詰まっている。過去の作品を聴いてみても、彼等は生と死をテーマに唄っている事が多い。
ペンネーム:ピークロス
1.「会いに行くよ」 草野正宗(スピッツ)
2.届くはずない想いばかりが でかくなって陽をさえぎる
君が住む街 窓から窓へ 見えない鳩 解き放つ
捨てそうになってた ボロボロのシャツを着たら
外に出てみよう
会いに行くよ 全てを捨てるバカになれる 心のまま
広げた手は 当たり前じゃない風をつかみ どんな夢も叶えてみせる
孤独な雲に語りかけたり 弱気なネコ追いかけたり
何気ないこと 頭の中で やけに詳しく浮かべた
明日が来るよ 同じような明日が来て…
僕はもう決めた
会いに行くよ 赤い花咲く真夏の道を 振り向かず
そしていつか 同じ丘で遠い世界を知る 感じてみたい君のとなりで
会いに行くよ 全てを捨てるバカになれる 心のまま
広げた手は 当たり前じゃない風をつかみ どんな夢も叶えてみせる
会いに行くよ 会いに行くよ
会いに行くよ 会いに行くよ
3.この詩はスピッツの草野正宗さんが書いたものです。彼は、現在スピッツにおいてギタリスト、ボーカルとして活躍中です。中学
一年の時に母のカットギターを弾いたのがきっかけで音楽に惹かれたそうです。また、福岡県福岡市出身で福岡県立城南高等学校・武
蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業しています。また、スピッツメンバーで唯一の未婚者です。清涼感のある歌声と、独自の世界感を
持った詞・曲、地味な人柄が魅力とされています。デビュー当初はビートルズを彷彿とさせるマッシュルームカットの地味な雰囲気が
人気を催していたましたが、アルバム「フェイクファー」あたりから髪が少し短くなり、意外と端正で顔立ちの整った容姿である事が
知られるようになったようです。� �去に組んでいたことのあるバンドは、「ラディッシュ」→「からす屋」→「チーターズ」→「スピッツ」だ
そうです。また、スピッツというバンド名は「弱い犬ほどよく吼える」愛玩犬種のスピッツから取ったそうです。 以上はWikipedia
(ウィキペディア)より引用しました。
さて、感想ですが他の方々の感想は、いい雰囲気だがまぁ普通という感想が多いように感じます。私としては気に入っています。君
に会いたい、会いたいなぁという感じが歌詞全体に感じられるような感じがします。7,8行目がなんか上の空って感じがします。同
じような毎日、同じような明日。君のことを考える。君への思いが強くなる。会いたい、会いたい。そして、会いに行くことに決め
た。すべてを捨てれる、バカになれる、どん� ��夢だって叶えてみせるという心持ちを感じました。まぁ歌詞そのまんまですが。そんな
感じをうまく表しているような詩で、好きです。
Ar
1、雨ニモマケズ 宮沢 賢治
2、
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキ小屋ニイテ
東ニ病気ノ子供アレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオ� �アルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ
どのようにPOAMに参加するには?
3、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」と言われて何も思い浮かばない人は珍しいのではないだろうか。それほどこの
詩は有名であり、一度聞いたら忘れない独特の魅力を備えている。今回は一般的に言われているこの詩の解釈と
私が考えた現代的な解釈を述べたいと思う。
現代最も一般的にこの詩の解釈として言われていることはこの詩は一人の貧しい農民題材にした詩であり人間
の本質的な強さを表現しているといったことである。
その解釈から雨ニモマケズ≒戦争といった連想もされている。なぜなら戦後、荒れ果てた大地を復興させた
人々の強さがこの詩と一致するからである。
次に私が考えた現代版解釈を述べたいと思う。 私はこの詩の中の「ワタシ」がなりたい農民を中年の窓際社員
と考えることにした。自分より若い同僚から木偶の棒扱いされ、空気のような存在であるが、なぜか憎まれな
い。なぜなら彼はこれといって仕事はできないけど、とても優しく、できないなりに皆に気を配っているから
だ。そんな人がいてこそ会社はうまく機能するのである。こんな誰も気づかない窓際社員(=農民)の必要性に
作者は着目し、この詩を作ったのではないだろうか。世にいる窓際社員のほとんどがこんな風に思われていない
がここでは優秀なな窓際社員のみを考えることにした。
そんな事を考えつつ、最後にこの詩の作者、宮沢賢治を紹介しようと思う。
宮沢賢治は裕福な質屋の息子として生まれた。自分は貧乏な農民から金を� �き上げることにより裕福で何不自
由ない生活を送っているのに、同郷の友人は貧しい農民であるがために悲惨な生活をしている。この自分と友人
の対比による罪悪感や自己犠牲精神が彼の作風に大きな影響を与えているのである。今回取り上げた「雨ニモマ
ケズ」はそんな貧しい農民を題材に彼がメモ帳に書き残したものであり、彼の死後に発表された。
裕福な宮沢賢治は貧乏な農民を尊敬し、この詩を書いたのである。
参考URL
ソラ
1 動物たちの恐ろしい夢のなかに 川崎 洋
2 犬も
馬も
夢をみるらしい
動物たちの
恐ろしい夢のなかに
人間がいませんように
3 この詩は、作者がふだん心にいだいている願いをそのまま表した詩である。第一連は、第二連の
「恐ろしい夢」をひきだすための前置きの役目をしている。第二連では、優しくて簡潔な表現の中に、
作者の動物に対するこころあたたかい愛情が、「願い」のかたちにえがかれている。そして、これを
述語の省略によっていっそう印象的に表現している。夢を動物たちがみるというのをどうやって知っ
たのか。夢をみるということは動物たちも疲れるということである。普段馬はどんな夢をみるのであ
ろうか。草を食べ� ��夢でもみるのであろうか。それを邪魔する人間たちが出てきていやなことをする
のであろうか。確かにそんなふうに人間は出てきてほしくない。人間以外の動物たちから人間は、い
いイメージでとらえられていてほしい。
作者は東京都出身。八女高校卒、西南学院専門学校英文科(現:西南学院大学)中退。ラジオ・テレ
ビ・映画のシナリオも手がけている。長く読売新聞朝刊家庭面にて『こどもの詩』の選考を務めた。
参考文献
力の5000題 小学高学年 国語 500頁
α萬
1.傷だらけのhero 前田亘輝
2.ボロボロになったって 昨日の自分には負けられない
たとえ打ちのめされようとも 休むワケにいかない
いつでも 時間は待っててくれやしないから
強くなきゃ守れない 夢も愛も
何度泣いても あきらめないでね
カッコよく 思うようにはいかない 最初から
誰だって 傷だらけのhero
投げ出してしまうのは簡単だけど
寂しすぎるね
君にもあるだろう 言葉じゃ伝えきれない
痛みや 悔しさ 悲しみ 込み上げる想いが
弱ければ失う 僕も君も
落ち込んでばかりいたんじゃダメだね
転んでも構わない 汗まみれでもう一度
輝いて 泥だらけのhero
いつか笑い飛ばせる そん� �日が来るまで
今は どんなに辛くても歩き続けよう
強くなきゃ守れない 夢も愛も
何度泣いても あきらめないでね
カッコよく 思うようにはいかない 最初から
誰だって 傷だらけのhero
3.この詩は、4人組のロックバンド「TUBE」の「傷だらけのhero」という曲の歌詞です。
作詞者の前田亘輝さんはTUBEのヴォーカリストであり、作詞も手掛ける人物です。これまでに47作のシングルを発表しており、
夏の風物詩として有名で、だれでも一度はTUBEの曲を聞いたことがあると思います。
この詩には、前向きで、一途な気持ちがとても分かりやすく、飾らずに、本当にストレートに込められています。
難しい表現もまったくなく、すごくシンプルな詩です� �読んだ瞬間に詩がスッと体の中に入ってきて、
だからどんな人でも共感でき、励まされる詩だと思います。
きっと前田さんもあえてそういう詩にしたんだと思います。
この曲の詩の評価をインターネットで調べてみると、批判はまったくといっていいほどなく、勇気付けられている
人がほとんどでした。落ち込んだり、元気のない人にはぜひこの詩に元気をもらってほしいと思います。
みやさか
1
題名不明 花の詩画集「鈴の鳴る道」より引用 作者:星野 富弘
2
一日は白い紙
消えないインクで文字を書く
あせない絵の具で
色をぬる
太く、細く
時にはふるえながら
一日に一枚
神様がめくる白い紙に
今日という日を綴る
3
作者の星野さんは、体育教師をしていたが、部活動の指導中に起きた事故で首から下を動かせないという障害を負った。
今までやっていたことのすべてが、一瞬にして出来なくなってしまう。
こんな、自分には想像もつかないような状況の中で、現実を受止めて、自分の人生を真っ直ぐに見つめて生きているんだということが、この詩をみてもとひしひしと伝わってくる。
体の自由が利かないなかでも、口で筆をくわえて絵を� ��き、詩を詠い、今日という日を噛み締めて生きている。
それに比べ、自分は勉強も、まともな生活も碌にせずに毎日をただ送り続けているだけだという事に気付かされ、情けなくなった。
車椅子がなくても歩けるし、鉛筆を持って字をかくこともできる、学校だって親が行かせてくれる、何一つ不自由なことなんてないはずなのに、何もせずに怠けた生活をしている。
こんな贅沢で勿体無いことはない。
彼は人間の一日を白い紙に例えている。紙をめくるのは神様で、自分ではめくれない。一日が終わってしまえば紙は勝手にめくられてしまう。時間は止めることもできないし、待っ
てもくれない。
この白い紙を沢山の文字で埋め尽くすことがいいことなのか、色とりどりの絵の具で色を塗ることがいいことなのか� �そんなことは決まっていない。
何をかくのが一番いいのかなんて考えず、自分のかきたいことを思ったようにかいて、豊かな一日を綴れればよいと思う。あとでページをみるようなことがあっても後悔をしない日
を綴れるようにしようと、この詩を通して考えることができた。
☆ミッキー☆
1.ソメイヨシノ:ENDLICHERI☆ENDLICHERI(堂本剛)
2.叫ぶ声がまた墜落した…
この眼がこの滴を零す意味を
誰か教えてはくれませんか
誰も知らない僕も知れない
理由が無いからぬぐえなかったよ
君もそうなの?
抱いてあげたい
ソメイヨシノ
君はこの季節抱くたび
どんな想いを僕らに
ピンクの花びら美しく
身に纏って風にもたれて
叫ぶ声がまた墜落した…
会えなくなる日は来る
どこかで待ってる
マイナスな歌は小鳥が嫌う
潜めていこうか 潜めて寝ようか
綺麗に整列している姿が
優しくにじみ熱くさせたよ
ソメイヨシノ
君がこの季節泣くたび
どんな想いを僕らに
まさか天へ上っ た
あなたの分身とかではないよね?
叫ぶ声がまたあなたを過らせた
ソメイヨシノ
君はこの季節抱くたび
どんな想いを僕らに
ピンクの花びら
美しく身に纏って風にもたれて
叫ぶ声がまたあなたを愛させた
3.これはENDLICHERI☆ENDLICHERI(堂本剛)の'ソメイヨシノ'という曲の歌詞で、本人作詞のものです。
彼は奈良出身の人で、この歌は昔奈良で母と見た、奈良の有名な桜の木'ソメイヨシノ'を元に書かれたらしいです。
彼の曲はメロディーに不思議な独特感を持っていますが、その歌詞もまた表現の個性が強いように思われます。
彼の曲で多く使われる言葉が'季節を抱く'。
巡り来る季節を自然に来るというような表現ではなく、自ら行くような表現が良いと思 います。
また、母と見たソメイヨシノ,ソメイヨシノの想い,声が墜落するという言葉などを考えて歌詞を読むと、
とても切ないです。
悲しい悲しい意味が込められているように思えます。
彼はTVで目に涙を浮かべながらこの曲を歌っていました。
もしかすると本当に悲しい悲しい歌なのかもしれないと思いました。
この曲は私が知ってる歌の中で心から感動する曲でした。
ペンネーム;Heaven Star 51号
1 紹介する詩の題名;「生きる」 作者名;谷川 俊太郎
2 詩の原文;
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木(こ)もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由と いうこと
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声(うぶごえ)があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと
生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
(39行)
3 紹介+鑑賞文;
今まで生きていてほとんど「生きる」という事について考えたことなどなかったので、この詩を見た時はこの作者は
「生きる」という事についてここまで� �えれるものなのか、と感銘を受けました。普段なにげなくやってたり、現象と
でしか捉えてなかった出来事などがまさに生きているからこそできるのだから、今まで抱えていた悩み事などとても
小さなものにさえ感じられます。ただ、この詩の中に不可解な部分があって、それはヨハン・シュトラウスやそれは
ミニスカートなど、なぜそれが生きるということなのかがわからない。そこは私の感性の不足や思考不足などがある
ということにしましょう。
最後に作者の紹介します。谷川 俊太郎は1950年 三好達治の紹介によって『文学界』に「ネロ他五編」
掲載。 1952年 処女詩集『二十億光年の孤独』刊行。 1962年「月火水木金土日の歌」でレコード大賞作詞賞受賞。
1975年『マザー・グースのうた』で日本翻訳文化賞受賞。
ペンネーム @@@
1、題名 マイペース 作者名 石田順三
2、一つ!数えて 進めばいい、
二つ!数えて 休めばいい、
三つ!数えて 考えりゃいい マイペースで進めばいい
学ぶ事の本当の理由 分からず失う僕らの自由
臆病者と呼ばれても一歩ゆずれる それが勇気
オフェンス!まわりなど気にせず 声を出して行こう
オフェンス!肩の力を抜いて さあ向かおう
空に描いた未来図には 今は届かなくても
いつの日にか両手をのばし 掴みに行こう Keep My Pace
3、この詩はsunset swishというグループが歌っている曲の歌詞であり作詞者である石田順三はsunset swishの一
人で1981.1.28生まれで今年で25の人です。この詩は見たらわかるように単純で作詞者が若いことが見て取れ
る前向きな詩でのりがいい曲です。ボーッとしてるときとか勉強してるときとかに聴いているとなんとなくや
る気がでます。他の人の意見では、「最初聞いたときは「いい曲だな!!絶対聴こう!!」と思いました。しかし
、聴いてると飽きてくるんです。同じような歌詞、同じような曲調が繰り返されるばかりで、一度は聴いても
いい曲だと思います。」とryu-toさんは言っています。確かにずっと聴き続けようと思うと飽きてしまいます
が、私はボーッとしながら聴くので同じような繰り返しの方ボーっとしやすいのでこれはこれでこの詩のいい
ところなのではと私は思� �ます。また、約束さんの意見は「とにかく歌詞が良く、メロディーも覚えやすく、
みんなで歌える良い曲です」と言っています。にんなで歌えるというのは私も同意見です。
ダイゴ郎
1、春に 谷川俊太郎
2、この気もちはなんだろう
目に見えないエネルギーの流れが
大地からあしのうらを伝わって
ぼくの腹へ胸へそうしてのどへ
声にならないさけびとなってこみあげる
この気もちはなんだろう
枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく
よろこびだ しかしかなしみでもある
いらだちだ しかもやすらぎがある
あこがれだ そしていかりがかくれている
心のダムにせきとめられ
よどみ渦まきせめぎあい
いまあふれようとする
この気もちはなんだろう
あの空のあの青に手をひたしたい
まだ会ったことのないすべての人と
会ってみたい話してみたい
あしたとあ� �ってが一度にくるといい
ぼくはもどかしい
地平線のかなたへと歩き続けたい
そのくせこの草の上でじっとしていたい
大声でだれかを呼びたい
そのくせひとりで黙っていたい
この気もちはなんだろう
謎の本の最高の作家は誰ですか?
3、
この作品の作者、谷川俊太郎さんは、1931年(昭和9年)生まれの男性です。
彼は21歳の時に「文学界」に詩を発表して注目を集めました。
この詩は、「どきん」という詩集によるものです。
この詩は題名にもあるとおり、まさに春を書いた詩です。そしてこれは、今の私達を表した詩でもあるのではないでしょうか。そ
う言う意味で、この「春」と言うのは、青春の「春」だと言えます。
「春」という言葉を広辞苑で調べてみると、"四季の最初の季節。勢いの盛んな時。思春期。"と記されています。また、
「春」の語源は、草木の芽が「張る」、天気が「晴る」といったところからきており、明るい意味の言葉であ� ��ことが分かりま
す。
思春期は、悩み事が多く日常が嫌になったり逃げ出したくなる時期です。
この心情を、作者は
よろこびだ しかしかなしみでもある
いらだちだ しかもやすらぎがある
あこがれだ そしていかりがかくれている
心のダムにせきとめられ
よどみ渦まきせめぎあい
いまあふれようとする
で表しています。
そしてまた、思春期は、夢と希望に溢れた瑞々しい時期でもあります。それを
あの空のあの青に手をひたしたい
まだ会ったことのないすべての人と
会ってみたい話してみたい
あしたとあさってが一度にくるといい
と書いています。
特に
あしたとあさってが一度にくるといい
ぼくはもどかしい
は、作者の思いが最も現れている部分で、思春期の若者たちの可能性、そしてそれを急き試したがる私達の幼さです。
この詩で多様されている「この気もちはなんだろう」
それは、壮大な「春」「青春」を目の前に、まさに飛び立とうとする私達の希望と、そして少しの不安が入り混じった、複雑な心
持ちではないでしょうか。そして、それを乗り越えようと思う、「勇気」であると思います。
ニックネーム:WILD SEVEN
1. 題名:SUNSHINE 作詞者:MEGARYU
2. 確かに自分勝手やりたいように好きやってきてる俺のこと分ってだなんて言えなくて
寂しさにもう我慢の限界ねえいつまで続くのこんな状態
私はあんたのいったい何って本当は聞きたいんじゃない?
実はもっと四六時中寄り添っていたいけどできないから I'm sorry for you
何よりも愛しい君に ありったけの愛 sing for you
いつもながらマジですいません どんな思いしてるか知ってて都合良過ぎるかもしれんけど俄然
君がいないなんてありえん ふとした瞬間に見せる悲しそうな笑顔の裏側に隠されたのは
言葉だけじゃ足りないって意味にようやく今気がついたのさ 走り続けていられるのはどんな時も
帰っていけるそんな場所があるから 例えどこで何していようが照らしてくれる OH OH OH OH You are my SUNSHINE
実はもっと四六時中寄り添っていたいけどできないから I'm sorry for you
何よりも愛しい君に ありったけの愛 sing for you
普通の恋人ならとっくに別れているような寂しい思いばかりさせて
なのにまだ今もそばにこうして居てくれるから Never stop
夢が現実となっていく度時は二人を遠ざけるばかり
昔みたいにずっとそばになんわけにはいかない
でも変わらない出会った頃とこれからも君は力の源
信じてるその日が来ると いつか一緒になろう
走り続けていられるのはどんな時も 支えてくれるお前がそばにあるから
うつむきいたいけどできないから I'm sorry for you
何よりも愛しい君に あり歩く俺の背中を照らしてくれる WO OH WO OH You are my SUNSHINE
実はもっと四六時中寄り添ってったけの愛 sing for you
知らず知らずにいつの間にか 何か犠牲にしているなんて
わかっているのに応えられないから
素直な気持ちこんなことでしか返せないけど最大級の感謝伝えたい
実はもっと四六時中寄り添っていたいけどできないから I'm sorry for you
何よりも愛しい君に ありったけの愛 sing for you
実はもっと四六時中寄り添っていたいけど OH OH OH OH You are my SUNSHINE
何よりも愛しい君に OH OH OH OH You are my SUNSHINE
3. この歌詞は、最近、ぼくがよく聴いている、MEGARYUというアーティストの曲です。この曲は、
MEGARYUの1st FULL ALBUM 『上昇気流』に収録されています。なぜこの曲にいたかというと、
この曲がこのアルバムの中で一番好きだからです。まず、最初に聞いて、リズムが好きになりました。
それで、よくよく聞いていくと、すごくいい歌詞だと思いました。ぼくが、この歌詞から要約すると、
恋人には、あんまりかまってやれないけど、その恋人のことが出会ったころと変わらないぐらい
大好きで、その恋人のおかげで、これからもずっと、恋人のためにがんばれて、いつか、
一緒になってほしい。という感じになります。それで僕は、こんなにもずっと、恋人のことが
好きでいられるという内容の歌詞に感銘を受けました。
Amazonのレビューに「6番の『SUNSHINE』がお気に入り☆こんな風に想われてたらいいなぁ‾(^^)って思いま す◎
他の曲も共感できるものが多いし、リズムもいいし、聴いてて元気になります☆」というものがありました。
このMEGARYUというアーティストはレゲェの歌手ですが、何か伝わってくる歌詞で、恋愛の曲も多いので、レゲェ聞いたことない
という人もおすすめです。有名なのには「Day By Day」というのがあります。
ペンネーム:青海綾
1. 『Dcide』 / 作詞:atsuko
2.
芽吹く季節がくれば そこからは different way 駆け足 春一番に視界もままならない
「今」はすぐに「過去」になり 思い出は美しい 複雑 出口探して 期待不安こんがらがる
どちらにしても I must decide by myself
時が経って大人になって後悔はしないように 「ちょっと待って」って悲願しても戻れないから
春夏秋冬 走馬灯って誰かが言っていたような ちょっとドライなフリしちゃってもこみ上げてくる
ホロリ苦さが喉に伝ってゆく 呑み込んだ未来はいつだって無限大
理由なき衝動はねぇ 理解されにくいもの うまく説明できない そんな自分が歯がゆい
どこまで行けば Can I get a satisfaction?
誰にだって岐路があって迷子になりそうになるよ 本当だって あの偉い人も言っていたから
用意周到それで気分が落ち着くのならいいけど 動かなくちゃ 結果はやがて出るものだから
キラリ rough diamond 磨けばほら 行くべき道 照らしてくれるはずさ
一人で決めるのが怖いからって 逃げるわけにはいかない Because it's my life
時が経って大人になって後悔はしないように 「ちょっと待って」って悲願しても戻れないから
春夏秋冬走馬灯って誰かが言っていたような ちょっとドライなフリしちゃってもこみ上げてくる
ホロリ苦さが喉に伝ってゆく 呑み込んだ未来はいつだって無限大
泣き止んだ朝に降り注ぐのは Sunshine
3.
作者(アーティスト)情報
angela
atsuko(vo)とKATSU(key&g&DJ)から成る岡山出身のユニット。個々に音楽を志し上京。意気投合しangelaを結成。
2000年より路上ライブを始め、2002年に現所属レコード会社のプロデューサーの目にとまり、2003年、「明日への briliant road」でメジャーデンビュー。
曲について
この歌の紹介で、『「Decide」…タイトル通り、『決定』でしょうか。一曲目は心をも弾ませて応援してくれるんですが、こちらは「自分の事は自分でしかきめれないよ」といって
応援してくれているような気がします。自信を持たせてくれる曲、という感じです。』というものを見つけました。
私もこの歌詞について同じ意見を持っています。「どちらにしても I must decide by myself」とあるように、自分自身のことは自分自身しか決められない、だからこそ頑張って、
「今」を大切に生きるように言われている気がします。誰にだって迷う時がある。どう動けばいいのかわからなくなる時がある。目の前のことから逃げ出したい時だってある。でも、
どう足掻いたって必ず未来は来てしまうのだから、その時に自分はどうしていたいのか。今逃げて、本当に「その時」になって後悔しないのか。この歌を聴いていると(歌詞を見てい
ると)そんな思いが浮かんできます。
この詩は、確かに見る人を応援してくれているような印象を受けますが、それはただ「頑張って!」と手放しで応援するのではなく、苦い経験も交えて、そして自分に今できる最高
のことができるくらいの勇気をくれるものだ と思います。この歌詞を書いたatsukoさんは「頑張るっていうのはすごく大変なことだから、無責任に頑張れ、とは言いたくない」と言っ
ていました。この「応援歌」は、そんな心情も込められて作られたのかもしれない、と思いました。
P.N DADA
1.曲名:AM11:00 作曲者:TUN
2.「目を覚ましてよ」 君の声が
僕を包み Yeah
窓を開けて そよ風が君の髪をなびく
部屋から出る 僕の腕を
つかみながら 君は
「もう少しだけ」 「もう少しだけ」と
僕に君はつぶやく
この世界が闇に 染まる前に この思いを
だからお願い 僕のそばにいてくれないか
君が好きだから
この思いが 君に届くように
願いが叶いますように
窓から見下ろす 街並みは
騒がしくて Yeah
どこか遠く 誰もいない場所へと
あなたと二人
このまま時を止めて どこか遠く
誰もいない場所へ
このまま時が二人を 連れ去ってくれてもいいから
・
・
・
3.この曲が作られた経緯はいろいろな説がある。作者がこの詩を思いついたのがAM11:00だった。これはフィクションであり詩の
なかに登場する男性、又は女性が死んだ時間だった。などがあるが、一番有力なのが作者の音楽グループのメンバーの恋人が
亡くなった時間であり、その恋人に送る歌だということであるらしい。
この曲の意味を知らないときにこの曲を聴いていて恋人同士が楽しい時間をすごしてるな。ぐらいにしか思っていなく、逆にこの歌
詞は恥ずかしすぎぐらいに思っていた。しかし、一番最初に知ったこの曲の意味、恋人の亡くなった時間説は自分にとってかなり� ��
のショックだった。それからは歌詞の全てが切なく聞こえて、恥ずかしすぎる歌詞が悲しすぎる歌詞に、自分のなかで変わってし
まった。その後しばらくして他の説も耳に入ってきて、恋人説も本当ではないという話もずいぶん聞いてきたが、それでも自分は一
番最初に聞いたことが印象に残りすぎていることもあるが、今でもその恋人説を信じている。人が亡くなっているので本当にそれ
でいいのかと思ってしまうが・・・
ちなみに作曲者の「TUN」というのは「SHUN」のライトネームであり、中学時代「しゅん」が3人いたためTUNと呼ばれていて、そ
れがそのままアーティスト名になっているらしい。
ペンネーム じゃく
1.私をたどる物語、武田鉄矢
2.
頬をぶたれた 少年がひとり
日暮れの道で 泣いている
父が憎いと 声とがらせて
涙でゆがんだ 空見てる
遠い未来が 不安でならず
呼ばれて 返事しなかった
だけどやっぱり きみが悪いよ
自分を隠しているからさ
さあ鉛筆しっかり 握りしめ
私という字を 書くのです
白いノートの 私にだけは
夢を話してゆくのです
君しか書けない その物語
私という名の物語
髪を切られた 少女がひとり
鏡の前で 泣いている
母が嫌いと 声をつまらせ
自分を悔しく にらんでる
ちがう親から 生まれていたら
ちがう自分に なれたという
だけどやっぱり きみはちがうよ
そしたらきみは いなくなる
さあ鉛筆しっかり 握りしめ
私という字を 書くのです
白いノートの 私とだけは
ずっと仲よく するのです
君がたどってゆく物語
私という名の物語
3.
これはもともと武田鉄矢がドラマへの想いを詩にした作品で、熊木杏里が作曲し、歌っている。そのドラマとは、武田鉄也も出演し
ている「3年B組金八先生」である。
ネットのホームページよりこの曲を聴いて、藤十郎さんは「武田徹矢さんの作詞、懐かしさを覚える曲調、淡々としていて優しい彼
女の歌声がマッチした名曲だと思う。 一歩踏み出す勇気をくれるそんな歌だ。」、また、同じホームページより、kawase200 "海
里" さんは「今の若い人、何かに苦しんでる人、困ってる人に是非聞いてほしい曲です。」と書き込んでいる。(参考にしたHPアド
レス→
私も落ち込んでいるときにこの歌を聴き、「さあ鉛筆しっかり 握りしめ〜」という部分の歌詞に励まされ、勇気をもらいました。
自分を失いそうになって、もうどうでもいいやといろんなものを投げ出してしまいたくなったときに、ここで逃げてはいけないと気
づかせてくれ、改めて自分の存在というものを確認できる、いい詩だと思う。
水谷 祐介
1.
題名;『赤とんぼ(童謡)』 作者;三木露風
2.
(*1)
夕焼小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだは まぼろしか
十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた
夕焼小焼の 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先
強弱格を書き込む方法
3.
日本人なら誰でも、一度は聞いたことがあると言うよりも、歌ったことがある曲であろう。私はこの曲が好きで、習ったばかりの
頃などは、よく歌いながら家に帰ったものである。作者の三木露風は、歌人であり詩人でもあった。彼の作品にはこの『赤とんぼ』
の他に、『かっこう』,『春が来た』などの作曲家の山田耕作氏との共同作である童謡のや、『廃園』などの複数の詩集などがある
が、現存している彼の作品の中で最も有名なものは、この『赤とんぼ(童謡)』であることは間違いないであろう。私の家族はこの
歌をいい歌だと言うが、私にはどうもピンと来ない。明るくはないのだが暗くもなく、喜びではないが悲しみとも言い切れない� ��一
番当てはまる感情は憂愁だと感じられる。この表現しにくい透明感(あやふやさ)のようなものが、彼の詩に共通の特徴と言えるの
かもしれない。彼の詩に『時間』(*2)というものがあるが、これにも彼特有の透明感が感じられる。
日本の文化は『あやふやさ』にあると聞いたことがあるが、彼の詩はまさしくその見本であろう。今日多く見られるようになって
しまった、言葉足らずの『あやふやさ』やただ言い立てているだけの『明確さ』の中に埋もれつつある、本当の日本文化としての
『あやふやさ』を、この作品は思い出させてくれるような気がする。改めて考えてみると、それがこの歌が「いい歌」と言われる理
由なのかもしれない。
*1
*2
パンドラ
1 Title of mine 藤原其央(BUNP OF CHICKEN)
2
この震えた喉に 本音を尋ねたら
声も震えていて ちゃんと聞こえなかった
差し出された手を 丁寧に断ってきた
雀が鳴く様に 気にも止めず 唄ってきたけど
気付いたら
君に触れていたいと 思う俺は 何だ!?
今になって 思い知った
大切な事を 唄い忘れていた
孤独を 望んだフリをしていた
手の温もりは ちゃんと知っていた
その手に触れて いつか離れる時が来るのが恐かった
人に触れていたいと 唄っていいかい
奪い合ったり 騙し合ったり 些細な事で 殺し合ったり
触れてみれば 離れたり 恐くなったり
だけど、それでも、
人に触れていたいと 願うヒトが好きだ
嗚咽さえも タレ流して
何度となく すがりついて 傷ついて
君に触れていたいよ 名前を呼んでくれよ
誰も居なくて 一人なら
こんな歌を唄う俺の
生きる意味
ひとつもない
あぁ
3
この曲は歌詞よりも先に曲がつくられてそして藤原が初めて嫌いになった曲(今ではもう受け入れることができたらしい)。最初、藤
原本人は「自分は天才じゃないか」と思うくらいの自信作だったが、歌詞を書いているうちに自分自身と重なり始め、歌うのが辛く
なったらしい。メンバーに支えられながらなんとかレコーディングをしたものの、その後ライブではほとんど唄われていない。
上のサイトのフクロウ さんの意見は
この歌個人的に
すごい好きなんですよvなんか・・すごい歌詞が心に響いてきて。
「人に触れていたいと 願うヒトが好きだ」という歌詞とても・・なんか
意味があるような。すごいびびっときました。
また他にもこのような意見があります。
上のサイトでは
title of mine とは「自分のタイトル」
つまり"俺の意味"
僕はわりとポジティブシンキングなので、暗い考えはしないんですが、たまに自分の意味について考えたりします。
人って傷ついたりしたときって「一人にしてくれ」って言いますよね。
でも本当はかまってほしいんじゃないでしょうか。
自ら孤独を演じて、自分を縛りつけ、もう傷つきたくないから人と触れることを避け...どんどん傷ついていく。
でも結局、周りにいろんな人がいるから"僕"が成り立ってるんですよね。
あの時親が生んでくれなかったら僕はいないし、あの時先生がしかってくれなかったら僕は人の痛みなんてわからなかったかもしれ
ない。
最終的に僕が出した「title of mine」は、"みんなで生きよう。孤独なんていらない"です。
このような意見または生い立ちがある「Title of mine」を歌詞だけでなく曲としても聞いてみてください。
キノコのぷーさん
1
海 高田敏子
2
少年が沖に向かって呼んだ
「おーい」
まわりの子どもたちも
つぎつぎに呼んだ
「おーい」「おーい」
そして
おとなもおーいと呼んだ
子どもたちは それだけで
とてもたのしそうだった
けれど おとなは
海が
何かをこたえてくれるかのように
3
この詩は海に向かって呼ぶ声が繰り返され場の雰囲気を印象づけていて、さらに第二連最後では"何かを
こたえてくれるかのように"と後に続く「呼んだ」などの言葉が省略されており印象を強めている。また、子どもと
おとなの態度から作者の両者に対する印象は異なっている。子どもに対しては無邪気、大人は何か欲を持っ
て� �るという印象を持っているのではないかと思う。つまりこどもとおとなに対する作者の印象が書かれた詩で
ある。
高田敏子(1914-1989・大正3年-平成1年)
平成1年5月28日歿 74歳 (翠光院紫游妙敏大姉) 静岡県・富士霊園
『
作者は初期はモダニズムを追及し女性の日常生活に根ざした平易な作風に変わり、「台所詩人」などとい
われた。
『
彼女は、いくつかの合唱組曲の作詞を手がけており混声合唱組曲「嫁ぐ娘に」(三善晃作曲)、混声合唱組
曲「飛翔」(南弘明作曲)、混声合唱組曲「五つの童画」(三善晃作曲)は、どれも芸術祭奨励賞を受賞した。
また、彼女には同題異詩がひじょうに多く、現段階では、作曲された詩がどの詩集に属するのかわからないこ
とが多い。
『
PN:Jesus of Suburbia
1.題名:聲 作者:天野月子
2.
たとえば海のそこであなたが生きてるのなら
私は日本の足を切って
魚になろう
深みへ堕りるほどにあなたが近づくのなら
果てない闇を彷徨う陰になってもい
艶やかに漂う私の陽炎
叶わない現実に溺れていただけ
あなたはいない
わかっている
わかっている
昇る昇る太陽が
わたしの場所を浄化する
青く刻む刻印を
温い温い風がさらっていく
たとえばこの言葉があなたに届くのならば
わたしの声帯を取り上げて
捨ててもいい
鮮やかな傷をなくした現在を
何もかも奪うあなたの温度を
求めていた
求めていた
幻でも
消える消えるぬくもりが
わたしの場所を連れて行く
罰を拭うの腕に
抱かれながら眠りにつきたい
昇る� ��る太陽が
わたしの場所を浄化する
罰を拭うその腕に
抱かれながら眠りたい
消える消えるぬくもりが
わたしの場所を連れて行く
青く刻む刻印を
温い温い風がさらっていく
蝕んでいく記憶の破片わたしを塞ぐピアスが足りない
忘れてしまうぼやけてしまうあなたの聲が雑踏に消える
蝕んでいく抜け落ちていくわたしを塞ぐピアスが足りない
跡形もなく忘れてしまうあなた聲が雑踏になる
3.
作者に関する情報
5歳でピアノを習い始めた。
オールドミスの先生とソリが合わず、小学5年の時に再び「初級者のためのバイエル(上)」をやらされ、喧嘩腰のまま教室をやめ
た。
器楽合唱クラブ、中学では音楽部、高校で音楽からいったん違のき演劇に浮気。
大学1年の春、演劇専攻� ��学中に、ギターを購入することでまた復活。
担当の変遷としては、シンバル→バス木琴→ピアノ→ソプラノ→トロンボーン→役者→流し、といった具合である。
クラブのイベントや、バー等で歌う日々を送り、ストリートもした。
一度だけ、1万円置いていったおじさんがいた。彼はかなり泥酔していて、 しきりと「うちのおカアちやん」の話をしていた。
バンドスタイルを試みる時期もあったが、失敗。
地方CMのBGMを作る話が舞い込んだが、よっぽどディレクターと馬が合わなかったと見え、縞め切り直前に扁桃炎にかかり入院。
病院の先生に、 喉を早く直すこつを伺うと、「大声を出さないことだね」さもあっさり言われ、半年間活動休止。
しばらく宅録のみの日々が続く。
喉の完治を確認し、オーディション資料片手に、動き出そうとした矢先
ある友人に貸した自分のデモテープが、友人の知り合いのエンジニアの方に渡り、 そこからプロデューサーに渡った。
そして今に至る。
(
紹介文
二度と会えない人のことは忘れようとも、その「声」だけは憶えているものだ、と天野は語る。
ベクトルは徹底してネガティヴな方向を向いており、「わたし」が「あなた」を認識できる「聲」を蝕み、
抜け落ちていくように忘れてしまうというところにこの曲の「儚さ」がある。
そう、この曲の核は「儚さ」にある。忘れ、ぼやけ、蝕まれ、抜け落ちていく、「わたし」が「あなた」を認識するコード……
しかし、その先にも「ひかり」がある。自分の在処を太陽が照らし出し、浄化することにより、「わたし」は居場所を得られてい
る。
多くを失いつつもひとすじの「ひかり」を得ている。希望はあるのだ、微かにでも。自己犠� �でも。
(
感想
好きな人へ届かない思いを描いた儚さ、ある意味没我的な、胸の苦しくなるような片思いがあり、
どこか恋のむなしさのようなものもただよう。
「たとえば〜魚になろう」という部分では、どうしても届かないのがわかっていても求めたくなる、
そんな痛みが伝わってくる。
青く刻まれた心の傷を、時間という流れがさらっていってくれる、それでも忘れたくないものもある、
そんな気分にさせられる。
「たとえば〜捨ててもいい」では、この詩の作者は歌手なのに、それでもこの言葉、この思いが届くのなら声帯なんてなくてもい
い、
そんな一番大事なものさえ投げ出せてしまう、それほど辛く、哀しいものであることがあらわされている。
それでもその思いは幻で、その� �でもいいから愛し続けていたい。無常にも消え逝く思い出のなかにいる人を思い続けるだけでもい
い、
そんな哀しさがにじみ出ている。
記憶の中の人はどんどん薄れていき、「声」さえも忘れていってしまう、忘れたくなくても思い出せなくなっていく、
そんなむなしい気持ちに胸が苦しくなる。
ナポリを見てから死ね
1.O SOLE MIO ナポリ民謡
2.'O SOLE MIO'
Che bella cosa, una giornata di sole,
Un'aria serena dopo la tempesta!
Bell'aria fresca pare gia la festa.
Che bella cosa, una giornata di sole.
Ma tu sei il piu bello di sole,
O sole mio, sto infronto a te,
O sole, O sole mio, sto infronto a te,
Sto infronto a te.
なんとうるわしい陽だろう
おだやかな気配は嵐が去ったよう
生き生きとした陽気は祭りの日のよう
なんとうるわしい陽だろう・・・・。
君こそ私の美しの太陽だ
おお私の太陽、私の前の君よ
おお私の太陽、我が前にたつ君よ
3.
O SOLE MIOは有名なナポリ民謡の詩である。
1898年にDi CapuaとCapurroによって作られたナポリ民謡であり、本来はナポリ語で歌われているものである。
ナポリは春の初めまでは寒さの厳しい地域であり、晩春から初夏にかけてようやく暖かくなってくる。
厳しい寒さを嵐のように例え、暖かくなりだんだん気候が穏やかになっている様子が表されている。
この喜びがこの詩には表れているように感じられる。
この詩ではこの太陽と同じ、またはそれ以上の太陽はあなただ、として恋人を素晴らしい太陽に例えている。
僕はまだこの民謡を実際には聞いたことは無いが、独特の南を感じさせる旋律の曲であるらしい。
このような形で女性をくどきにかかるとは、実にイタリアらしくないだろうか。
詩全体もコンパクトにまとめられており、意味も非常にわかりやすいものと� �っている。
わずかな口説き文句にも芸術性が込められているこの詩は、有名なミラノ民謡の中でも特に素晴らしいもののように思える。
男女6人夏物語
1、人は/ケツメイシ
2、人は悩んで 本当の意味を知る
人は泣き止んで 少しだけ強くなる
人は悩んで 生きてる意味を知る
人は泣き止んで 明日の朝は笑える
へたクソな生き方 やっぱそれが粋だな
悩んで笑う人が 俺は好きだな
悩んだらば成功 泣き止んだらば成長
しかしいつからか 自らが見つからない
ならばどうしよう?俺らどうにもなりはしない
人生この通りよ
やり直しな この人生でたれ流せ涙 また泣き止んで
膨大な後悔 大泣き 男泣き
広大な世界に悩みなしで行こうかい?
恋、未来、仕事、日々日常 悩みなさい 今日を日々生きろ
やがて花が咲くだろうと思えば楽だろ� �
明日になればきらびやかな光さすだろうと思いたいし
のぼりたいし 戻りたくはない
俺は止まらないし悩み殻にこもりたくはない
まだ慣れないか 気が晴れないか 時が解決するの待てないか
たまには悩む事止めないか
なぁ一緒に美味いめし食べないか
時に落ち込めばもっと追い込めば
あの日閉じ込めた物押し込めた
何かが見えるから見えたなら掴んで来い
不快底から浮かんで来い
この先 何日 何人も出会い別れ 時は流れさらに複雑な世の中へ
気楽に行こう くよくよせず 明日笑う門に花を咲かそう
3、 この歌詞を書いたケツメイシは私が大好きなアーティストで、MCのRYO、大蔵、シンガーのRYOJI,
DJ KOHNOからなるラップ・グループです。
ケツメイシは普通の人が日常で感じることや、経験するようなことを詞にするので、すごく、親近感がわきます。
ケツメイシの歌を聴くと、悩んでいることがアホみたいに感じられます。
特にこの歌を悩んでいる時、泣いているときに聴くとすごい元気が出ます。
今まで歌詞も見ず、なんとなしに聴いていたけれど、ちゃんと歌詞を読んでみて、いい歌だなぁと改めて思いました。
悩んでいる人一人一人に聴かせてまわりたいぐらいいい歌です。
悩むことは悪くない、悩むことによって、強くなれたり、明日は笑って元気になれるというポジティブな考えがすごくいいと思
います。私はこの歌に出てくる生き方こそが一番人間らしい� �き方だと思います。
そして一番すばらしい生き方だと思います。私も今も大人になっていってもこんな考えをもって、
こんな風に生きていけたらなぁと思います。というか生きていきます。
P.N.赤バラ
1 題「K」 作詞作曲 藤原 基央
2 (前略)
雪の降る山道を 黒猫が走る
今は故き親友との約束を その口に銜えて
「見ろよ、悪魔の使者だ!」石を投げる子供
何とでも呼ぶがいいさ 俺には 消えない名前があるから
「ホーリーナイト」「聖なる夜」と 呼んでくれた
優しさも温もりも 全て詰め込んで 呼んでくれた
忌み嫌われた俺にも 意味があるとするならば
この日のために生まれて来たんだろう どこまでも走るよ
(中略)
手紙を読んだ恋人は もう動かない猫の名に
アルファベット1つ 加えて庭に埋めてやった
聖なる騎士を埋めてやった
3 正直かなり古い歌ですね。Bump of Chicken というグループの歌になります。
このグループは「藤原 基央」「増川 弘明」「直井 由文」「升 秀夫」の4人で結成されているグループです。このグループが
人気がある理由は単に歌がいいのと、CDを買うと隠しトラックなるものがCDのどこかに隠されているのでそれを探すおもしろさとい
うのがちょくちょく話題になります。下手をすればこの隠しトラックだけで語ることが出来ます。なかにはCDコンポとかの性能上そ
れが聞けないなどという話もあるみたいです。(友人アフロ氏談)
この曲の「k」という題名はきっとナイトの発音されない「K」からとってあると思います。
感想とは略してしまって何がないやら良くわからない状態になってますが、この曲は一つのストーリーになってます。(下に歌詞を
のせています)そして主人公の猫のがんばりを歌っているだと思います。単純だけど、どこか深いと僕は思います。そしてURL(下
記)から佐藤さんが言っているように、
「どこからこんな歌詞が出てくるんだよ、と聞きたくなりますね。猫の命の賭け方がすごいですよ。
奥が深いのかな?いや深くないのかもしれないけど、それでも何か心にガーンってくるんですよ。」
と、いってますがそのとおりだと思います。死んでしまったそして仲良くしてくれた友達のために手紙を届けることが自分の存在価
値だ!と決め亡き友のために周りになにを言われようががんばって行く姿がとてもいいと思いました。この猫のように自分も覚悟を
して生きていかなければとこ曲を聴くたびに思います。
星霜
1 題名 朝のリレー 作者 谷川俊太郎
2 詩の原文
カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
まゆほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
3 紹介+鑑賞文
この詩は、谷川俊太郎という詩人が書い� �詩のひとつで、この谷川俊太郎という人物は、1931年、東京都に生まれて、18歳ごろか
ら詩を書き始め、三好達治の紹介で「文学界」に『ネロ他五篇』を発表、戦後詩の輝かしい新人として注目された。詩誌「櫂」や
「歴程」などに参加して、宇宙的な感覚や、生命の感動をデザインするかのように詩を書く。1975年、訳詩集『マザーグースのう
た』で日本翻訳文化賞を受賞する。また現代を代表する詩人のひとりである。
僕はこの詩の作者の詩でこの朝のリレーという詩が一番好きです。なぜならこの詩は、穏やかな感じをしていてなおかつ、それぞ
れ詩に書かれているの場所の詩に書かれている時間の様子をきちんと書かれていておもしろいからとこの詩の作者は、いつもなんと
も思わない朝をむかえるという出� �事をうまく詩にしているからです。また僕は、作者がこの詩のなかで、地球はひとつなので世界
中の人々が争わないで平和であってほしいと伝えていると思えるからです。
ペンネーム (´u`●)
1. わたしと小鳥とすずと 金子みすヾ(本名 金子テル)
2. 私と小鳥と鈴と
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
3. 小学校の教科書によくのっている人気の詩。彼女が童謡詩人といわれていただけあって優しい雰囲気の詩である。自分と異な
るものを比較しているが個々に何かいいとこがあることを主張している。これを人 間に置き換えてみるとどうか。世の中の人間は同
じ人間なんかいない。つまりこの詩の『私』と『小鳥』と『すず』なのだ。ここでは三体はそれぞれ得手不得手がある。人間もそう
ではないか。ある人は早く走れるがある人は早く走れない。けどそのかわりに別のことができるかもしれない。最後の『みんなち
がって、みんないい。』とは得手不得手があってもいいではないかと主張しているのではないか。そしてある人の意見には『ひと
は、自分は価値のない存在だと思いがちである。そんなとき何か憧れているものと比べ、自分にはこんなにいいとこがあるではない
かと発見できて最後の文ができた』というのがあった。思わず確かに、と思った。上の例とも考えると人間は十人十色なのだ。いろ
いろな人がいる� ��れど、その中に優劣など存在しない。道徳的な考えをいかに子供にもわかりやすく伝えるか、ここが彼女の素晴ら
しい文才だったのだろう。この詩を読むとなぜだか『わたし』という幼い女の子と『小鳥』と『すず』が一緒にいるのを想像させ
る。『わたし』は『小鳥』を見て、『小鳥』は『すず』で遊ぶ姿を。その雰囲気はやはり淡く優しいものであった。彼女は26歳と
いう若さで亡くなるが彼女の作品はどれも人によっていろいろな想像をふからませることのできる優しいものばかりであった。
・他の人の意見関連 名前不明
・作者関連 名前不明
(●´ω`●)の飼育係
1.「すべてへ」という19の歌の歌詞の一部 作詞者:326
2.風が吹かない
そんな場所でも
僕たちが走るなら
感じることが出来る
吹くだろう風
なんて待つなよ
無いものを嘆くより
作ればいい
風だって
3.326さんは19の歌の数々の作詞を手がけていた。
幅広い世代から(主に10代)支持を受けた。
326さんの詩を読むだけで思い出が蘇って、懐かしさに涙を誘われる人も多いらしい。
このフレーズを初めて聞いて私が思ったのは「あぁ、なるほどなぁ」って。
雨の日だって、雪の日だって、風の気配を微塵にも感じられない日だって、私自身が歩むこと(走ること)� ��やめさえしなけれ
ば、どんな時だってどんな場所だって「風」というものは感じることができるんだなって。
「あれがない」、「これがない」って無いものねだりばかりして嘆いていないで、今身近にある些細な幸せや、本当に大切
なものに気付こう。今以上にそれを大事にしよう。そして今この場に「あれ」や「これ」がないのなら、自分で作る(手に入れ
る)努力をしてみよう。待っているだけの受け身の生活じゃ、何も変わらない。何も始まらない。何も手に入らない。悩んで愚
痴をこぼしている暇があるなら、今この場から走り出そう。
この歌詞(フレーズ)を聞くと、そんな風に前向きに物事が考えられる。かなり励まされる。
ポギー頑張れ
1.題名:純恋歌 (うた:湘南乃風) 作詞者:湘南乃風
2.桜並木 照らすおぼろ月
出会った二人の場所に
帰りに一人寄り道
変わらぬ景色
変わったのは俺ら二人
全て見えてたつもり
目に見えないものなのに…
春の夜風に打たれ
思い出に殴られ
傷重ねて気づかされた
大事なもの握りしめ
今すぐ会いに行くよ
手を繋いで歩こう
絶対離さない
その手ヨボヨボになっても
白髪の数喧嘩して
しわの分だけの幸せ
二人で感じて生きて行こうぜ
目を閉じれば億千の星
一番光るお前がいる
初めて一途になれたよ
夜空へ響け愛のうた
3.こ� ��は、湘南乃風の歌で、本当はもっともっと長い歌です。
この詩を選んだのは、男臭さ溢るる感じに惹かれたからです。
相手のことを「お前」って呼んでるのに、なぜか大事にしてる感が出てて、
詩を見てるとなんかくすぐったいような気持ちになってきます。
不器用ながらもこんな風に愛しく想ってもらえたら誰でも
「よっしゃー!どんと来い!!」って気になるんじゃないでしょうか。
ねっ(・∀・)
あと、この詩で素敵やなーと思うところは、何気ない日常の思い出も
とても綺麗なかけがえのないものみたいに書かれてるところです。
心のアルバムがちゃんと整理できてる人はきっと思い出も美しいんやろうと思います。
でも、実際この詩みたいに失くし� ��から気付く大切なものって沢山あると思います。
人であっても物であっても自分の周りの生きとし生けるものを大切にできる豊かな人になりたいです。
この歌に出会って初めて湘南乃風を好きになってテレビでもチェックするようになりました。
これからも沢山の素敵なものに出会って、好きなものが増えていったらいいなぁと思う次第であります。
最後になりましたが、やっぱり男の人が書く詩って漢字が多いですね。
漢字が好きなんですか。
ペンネーム ジェローニモ
題名 純恋歌 作者名 湘南乃風
今すぐ会いに行くよ
手を繋いで歩こう
絶対離さない
その手ヨボヨボになっても
白髪の数喧嘩して
しわの分だけ幸せ
二人で感じて生きていこうぜ
湘南はやっぱいいね☆★もうすぐ夏やわ♪海いきたい!!!!!今年の夏休みはあそびまくるで(>*<)ブヒッ
確変街道50連
1 包丁・ハサミ・カッター・ナイフ・ドス・キリ マキシマムザ亮君
2 チェインソー内臓 左手のマイクSとMの中間 ララバイ血で繋がれ 変えれ概念インドアー
の罠 我マシーン破り破り破り破り破り破り 轟音破り破り破り破り破り破り 轟音破り破
り破り破り破り破り 轟音破り破り破り破り破り破り 轟音包丁ハサミ 包丁ハサミ 包丁ハ
サミよりも俺のが刃物ハサミ 包丁ハサミ包丁・ハサミ・カッター・ナイフ・ドス・キリ
犯罪の上の愛 ひっそりとおまえの前人間ガスバーナー 反逆のマーダー血で繋がれ 変え
れ概念インドアーの罠 我マシーン破り破り破り破り破り破り 轟音破り破り破り破り破り
破り 轟音破り破り破り破り破り破り 轟音破り破り破り破り破り破り 轟音包丁ハサミ 包
丁ハサミ 包丁ハサミよりも俺のが刃物ハサミ 包丁ハサミ包丁・ハサミ・カッター・ナイ
フ・ドス・キリ悠長な倫理 邪魔連中 滅びねー主張吐いちゃ胃腸異常 怒りのボディー
ジョブ入院 ざっくばらん 便器前部屋「破滅とレズとおまえ」←これ捨て場面ビーストグ
ランプリ凶器の部 決勝!山積みのゴミの 分別に媚びろビーストグランプリ 狂気の部 決勝!
端末に合意のウルティマ戦破り破り破り破り破り破り 轟音破り破り破り破り破り破り
轟音破り 破り破り破り破り破り 轟音破り破り破り破り破り破り 轟音
包丁ハサミ 包丁ハサミ 包丁 ハサミ 包丁ハサミ包丁ハサミ 包丁ハサミ 包丁ハサミ
包丁ハサミ包丁ハサミ 包丁ハサミ 包丁ハサミよりも俺のが刃物ハサミ
包丁ハサミ包丁・ハサミ・カッター・ナイフ・ドス・キリ
3 この歌を歌っているグループのマキシマムザホルモンは、パンクロック調の曲調でそこそこ売れているバンドです。
歌詞の意味は常人にはほとんど意味がわからず、曲のノリだけを楽しむ感じだ。
今回紹介する「包丁・ハサミ・カッター・ナイフ・ドス・キリ」はこのバンドのギター兼ボーカルのマキシマムザ亮君が
小学生だったころに、ドラムで姉のナヲが亮君のビデオを上書きしてしまい、それに切れた亮君はカッターで姉の部屋のドアを
滅多刺ししたらしいです。そのことから誰もがみんな心の中には悪魔を飼っていて、自分の中の良心や理性が切れてしまったと
き、何をしでかすかわからない。切れた人間ほど怖い人間はいないと解説してある。
僕にも同じような経験がい くつかある。小学校のころ僕は普段反抗しないおとなしい子だった。
それに付け込んで調子に乗った友達が嫌がらせをしてきて、しつこくされて切れた僕は近くにあった木片で血が噴出すまで殴り
つずけた。中学生の時僕の友人が女子をからかっていたら切れてカッターで切りつけられていた。
この曲の歌詞は誰もがみんな一度は体験した事であろう事を忠実に歌っている。
こんなにもストレートに表現できてすごいと思った。ほかの歌も奥深いので一度聴いてみてください。
公式ホームページ↓↓
じゃみら
1.
ユーモラス ゆず 北川悠仁
2.
時々僕等はひどく落ちこんだりして
穴蔵の中に逃げこんだりしてしまう
モグラになってしまったら太陽さえも恐くなって
なかなかそこから抜け出せなくなるのさ
本当はそんなに難しくもない話でさえも
迷宮入りの大問題になっているのなら
ちょっとしたユーモア ユーモア
ユーモアでもって
笑い飛ばしてしまえる強さを僕等は持っていて
なんてことないアイデア アイデア
アイデアでもって
潜りぬけていける賢さを僕等は持っているんだよ
小っちゃな事でいたく傷ついたりして
誰の言葉も聞きたくない時は
扉に鍵をかけちゃえばそれですむ事なんだけど
気付いたらいつも一人ぼっちになっちゃう
きっ� ��けはそんなに大したモンじゃなかったのに
こんがらがった大事件になっているのなら
ちょっとした勇気 勇気
勇気でもって
小さな一歩踏み出す力を僕等は持っていて
なんてことないチャンス チャンス
チャンスはいつも
ありふれた日常の中に転がっているんだよ
3.
これは、私が小学校の時から大好きなアーティストである、ゆずの「ユーモラス」という曲の歌詞です。
リーダーの北川悠仁、サブリーダーの岩沢厚治の二人でゆずは構成されています。
彼らはもともとストリートミュージシャンで、彼らの故郷である横浜でのストリートライブで沢山のファンの心をつかみました。
去年には、彼等自身初めてのベストアルバムである「Home」、「Going」をリリースしました。私も買いました。
「ユーモラス」は、その中の一曲です。
私には中学のとき、、悩み事が多くとてもしんどかった時期がありました。その時にこの曲と出会い、とても励まされました。
今でも、辛いことや悲しいことがあったり、なんとなく元気がでないと� ��にはこの曲を聴きます。
また、中学三年の時には、元気のない友達に、カラオケでこの歌を歌ってあげたこともあります。そのとき友達は、「いい歌やね。
少し元気出たわ!」と言ってくれました。
いつも元気付けてくれる「ユーモラス」は、今までもこれからも、私にとってとても大切な歌です。
この歌にならって、いつも心の「ユーモア」を大切に生きていきたいです。
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