2012年5月14日月曜日

ヴェルサイユの花 ~Fleur De Versailles~                         :パリ




昨日からの雨が、いまだしとしとと降り続いています。

雨の中マリー・アントワネットの眠る
「サン・ドニ大聖堂」に行ったことを思い出しました。


ゴシック建築の原型ともいわれるサン・ドニ大聖堂
その名は守護聖人、聖ドニに由来します。

ここサン・ドニ大聖堂にはフランス王家の霊廟があり
フランス革命時暴かれましたが、革命後に修復
王族の遺骨や歴代国王の心臓などが納められています。

1815年1月21日、ルイ16世の22回目の命日に
マドレーヌ墓地で発掘されたルイ16世と
マリー・アントワネットの遺体はここサン・ドニに埋葬されました。

2000年4月DNA鑑定によりルイ17世と証明された
ルイ・シャルルの小さな心臓もここに納められています。

-2008年パリ旅行第9日目-

2008年11月1日土曜日の朝、私はこの日
ヴェルサイユに行くかサン・ドニに行くか
正直決めかねていました。
雨のヴェルサイユに気乗りしなかったからです。

帰国日は火曜日。
あともう一度ヴェルサイユに行っておきたかった私。
月曜日は宮殿が休み、となると今日の土曜日か日曜日。

いつ何があるかわからないフランス。急なストもあり得る。
やっぱり今日しかないと思いながらも
モヤモヤ感いっぱいの心持でアパルトマンを出発
秋雨に震えながらRER・C線 Pont-de l'Alma 駅に
向かいました。


アルフレッド·テニスン卿によってsplender滝の背景

この駅からヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュへは乗り換えなしで
約20分ちょいぐらいで着いてしまいます。非常に便利です。

しかしこの駅で切符を買うのは要注意です。
改札がある地下には切符売り場がありません(2008年の話ですが)。
下まで降りてから、また階段を昇るはめになります。


"私は好きな時に私が結婚する"ヌグギはthiongoた

切符は地上のほったて小屋のような建物の有人切符販売所か
もしくは同じく地上にある自動券売機で購入します。

チケットとヴェルサイユ宮殿の入場券がセットになった「フォルフェ」
(*現在は販売されていません)を購入しようと、ほったて小屋に。

中は窓口にでんと座った無愛想なSNCF女性職員がひとり。
他にお客さんはいません。

私 「ボンジュール。ヴェルサイユへ行きたいので一人分のフォルフェ シルヴプレ」

パリジェンヌ 「明日の第一日曜日は入場無料だから行くなら明日にしたら?」

微妙な彼女の提案に、モヤモヤが吹き飛び心が定まりました。
そうだった、第一日曜日は入場料無料! ← そこ?! 
万が一、明日ストが起こっても月曜日に庭園に入れればいい。

私 「わかった!明日にするわ。ありがとう。オヴァ(さよなら)」

パ 「オヴァ~!」

行き先をサン・ドニに変更!
メトロ路線図を眺め、ちょっと歩くけどアンヴァリッド駅からなら
サン・ドニ駅までメトロで一本、ということで
メトロ13号線アンヴァリッド駅へ(・・・かなり歩きました)。


リンカーン"弱い者を助けない"

歩きながらナポレオンが眠る「アンヴァリッド」を
遠くに拝みます。

電車に揺られること30分程で Basilique de St-Denis 駅に到着。
終点 ST-DENIS UNIVERSITÉ のひとつ手前です。

サン・ドニはサッカーのサン・ドニスタジアムがあり
移民も多く住むパリ郊外北部の工業都市。

マリー・アントワネットに興味のある人が訪れる場所というのは

ヴェルサイユ宮殿
コンコルド広場&チュイルリー庭園
コンシェルジュリ  

といった所でしょうか。

しかしサン・ドニ大聖堂は、彼女を偲ぶ場所としては
足が遠のいてしまっているような気がします。

マリー・アントワネット本人が眠っているのに!


強弱格を書き込む方法

ガイドブックにもよりますが王家の霊廟の説明が
なかったりして今ひとつ認知度が低いことと
メトロが走っているのに「郊外」ということも関係がありそうです。

かくいう私もサンラザール駅を過ぎたあたりから
車内に黒人が増え始めたため、緊張が走り
前回25歳で訪問した時よりも(何年前だ??)
サン・ドニ駅で降りた途端、黒人の多さに
移民が増えていると確信した次第です。

それはさておき
サン・ドニ大聖堂は教会であり墓所であるわけですから
神聖な場所とわきまえなければなりません。


どのように私はイラクの兵士をメールで送信できます。

大聖堂内。 ああ、こんなだったっけ・・・。
何せ何年も前のことなので記憶が薄れています。

以前は目もくれなかったアンリ2世やカトリーヌ・メディシスなど
歴代国王・王妃らを模った彫像が並んでいますが
お墓といった感じはしません。


ブルボン家の紋章 ユリの花

ルイ16世とマリー・アントワネット像

そして地下へ

前回と同じようにマリー・アントワネットや
ルイ16世のお墓の前で手を合わせました。
躊躇しながらもごめんなさいと、写真を撮ってしまいました。

今回の目的はルイ17世の墓碑に手を合わせること。

2つのかわいらしい子供の彫像が向かいあっています。


イマジストの詩を書き込む方法


ルイ17世(享年10歳)の墓碑と

彼の兄ルイ・ジョゼフ・グザヴィエ(享年7歳)の墓碑です。
アントワネットとルイ16世の長男です。

ルイ17世の墓碑の下には彼を証明することになった
大切な心臓が納めらていました。

世界中から手を合わせに来る人が絶えません。

私もあちらこちらでたくさん手を合わせ、祈り
そしてまた来ます、とサン・ドニを後にしました。


-2008年パリ旅行記 9日目 終-

雨が降ると、サン・ドニ大聖堂の情景を
思い出すようになってしまったぐらい
雨に煙る聖堂は美しかったです。

サン・ドニ大聖堂(サイトはこちら・日本語あり)
メトロ13号線 Basilique de St-Denis 駅下車

 




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