2012年5月17日木曜日

作品としての妄想あるいは作品としての生:MikS: Works & Projections:So-net Blog


  作品としての妄想あるいは作品としての生
                 

1."I was meant to be"

 自らの死期が近いことを悟ったイギリスの詩人オーデンは、1971年、死滅しつつある肉体に向かって、そこから離脱していく魂が語りかけるという体裁の詩を書き上げた。「自分自身に語りかける(Talking to Myself)」と題されたその詩の一節を引用する。


予測もつかないことであったが、君は、何十年も前に、自然の胎内から
わき出る滝のように際限もなく生まれては消えていく生物たちの間にやって来た。
ランダムな出来事だ、と科学は言う。私の根底がランダムだと言うのだ! しかし、私に言わせれば、これこそ、まぎれもない奇跡なのだ。
なぜなら、自分が存在する定めにあったと確信しない者など一人としていないからである。

"Unpredictably, decades ago, You arrived
Among that unending cascade of creatures spewed
From Nature's maw. A random event, says Science.
Random my bottom! A true miracle, say I.
For who is not certain that he was meant to be?"
」(1)。

 この「自分が存在する定めにあったと確信しない者など一人としていない」というオーデンの主張にどれほどの人が同調できるかは定かではない。自分がこの世に生まれたという事実は、誰にとっても取り返しがつかない過去に属しており、そこには自分が関与する余地のないランダムな事実の堆積があるばかりであると考える人にとって、この詩は単なるナンセンスとしか映らないことだろう。さらに言えば、単なる妄想としか映らないことだろう。
しかし、ナンセンスであると評するにせよ妄想であると評するにせよ、私にとって私が存在するという事実がある意味で必然的であるということは論理的に確かなことである。これは簡単に証明できる。私が「私は存在する」というとき、その言明は必然的に真なのであるから。このことは、私が「私は存在しない」と言うとき、それが必然的に偽であることを考えれば納得できることである。
もちろんこうした空虚な論理的思弁をオーデンが考えていたということはありそうもない。しかし自己の一生を一個の(詩)作品という形で語ろうとする者にとって、自己自身は存在しなければならないし、その自己がこの世に到来するという出来事も存在しなければならなかった。誕生という出来事は、一個の物理的事象として見ればランダムな出来事にすぎないが、作品において自らの生を語ろうとする者にとっては、その作品が有意味であるための絶対的な前提条件である。その作品が(おそらく有意義な形で)終焉を迎えようとしている今、オーデンはそれがかつて始まらなければならなかったと断言することで、自らの生が無意味に始まり無意味に閉じようとするから救い出そうとしたのだろうか? 自らの生を作品として救お� ��としたのだろうか? いずれにせよ次のことだけは言える。偶然性を否認することは思考の本姓に根ざした行為である、と。そして、こうした思考のあり方が、この詩の上掲の一節に端的に言い表されている、と。なぜなら、思考とは事実の背後に意味を求めようとするものだからである。あるいは、事実の背後に意味を作り上げようとするものだからである。偶然や無意味ほど、思考が忌み嫌うものはないからである。

さて、以下では、オーデンが直観的に掴み取ったことを思考・妄想・ナラティヴといった概念に関連づけることによって、一種の哲学的ナラティヴ論の端緒を素描することにしたいのである。まずは「思考」を俎上にのせることから始めてみよう。

思考について上に述べたような捉え方は、おそらく少なから� �人々が表明してきたのではないかと思われる。私にとっては、ある時期以降の(「詩作」として「思索」を捉えようとした)ハイデガーやそれに倣った晩年のハンナ・アレントなどがそうした見解にコミットしていたことが何よりも重要である(そもそも上のオーデンの詩も、アレントの『精神の生活』で引用されていることから、初めて私の注意をひいたのだった(2))。アレントはこの詩の一節を「真実(事実)と意味の区別」を際立たせるために挿話的にしか使っていないし注釈めいたことも記していないが、肝心なことには触れていた。つまり、「この「存在する定めにあった(meant to be)」ということは真実(a truth)ではない。しかしこれはきわめて意味のある(meaningful)命題なのだ」と言っていたのである。
事実の地平で確証できたり反駁できるような問題を真実(a truth)あるいは事実(a fact)に関わる問題だとすると、そうした問題を解決する任務は科学に帰されなければならない。しかし科学が扱うべき問題群(真実や事実の総体を「世界」と呼ぶならば、世界に関わる問題群とも言える)で人間の理性が提起する問題が汲み尽くされてしまうわけではない。このことは既にカントが「悟性(科学的な意味での知性)」と「理性」の区別で示したとおりである。魂の不死性や神の存在については、科学が解決できないからといってその問題の有意義性が否定されるわけではないし、それが「意味」のある問題であることを止めるわけでもない。それと同様に、私が存在する定めにあったという言明は科学的に言えば偽の言明にすぎないが、偽と判定されるからといってその言明が(少なくともオーデン自身にとって)意味を もつことを止めることになるわけではない。私が誕生し今に至るまで存在してきたことは一個の事実にすぎないが、その事実の意味を求めたりそれにどのような意味を与えようかと苦慮することは科学者が真理を求めるのとは別個の活動である。アレントはこの科学とは別個の活動を、ハイデガーに倣って「思考」と呼び、その活動の本質を(真実・事実の総体としての)「世界」からの「引きこもり(withdrawal from the world)」と定義した。もちろん、思考が世界から引きこもるのは、世界の意味を求めるためなのである。
アレントがこの区別によって狙っていることはカントの「悟性(知性)」と「理性」の区別をより一般化することであり、それによって哲学的思考には科学的活動とは別の存在理由があることを積極的に示すことだったのだろうが、この小論の関心はそうした大状況の方向に向かうのではなく、もっと卑近な範囲で確認できることに照準を絞っている。「世界からの引きこもり」という表現は、何か「世界没落体験」に見舞われた人が自分の部屋に引きこもって一歩も外に出られなくなるというようなイメージを喚起するかもしれない。確かにそれも「引きこもり」の一例だろうが、アレントはもう少しありきたりで、日常誰にでも起こっている現象としての「引きこもり」を念頭においている。少し長いが、アレントによる「思考」の� �え方がはっきりする箇所を引用してみよう。

2012年5月15日火曜日

ナラティブ心理学


ナラティブ心理学

 

Murray, M. (2003) Narrative psychology.

In Smith, J.A. ed., Qualitative Psychology, Chapter 6, pp 111-131. SAGE

 

第6章の内容

1. Narrative Psychology

  History of Narrative Psychology 

  Definition of Narrative     

  Function of Narrative

  Narrative Identity

  Social Dimension of Narrative

 

2. Narrative Research     

  Collecting Narrative     

  Some Logistical Issues    

  Analyzing Narratives  

 Roles of the Reader       

 

3. An Example: A Breast Cancer Story   

  Box 6.2  Stable/regressive narrative  

  Box 6.3  Progressive narrative     

  Connecting the Stories with the Content 

 

4. Further Analyses             

 

 

訳文  P111

 

 最近、英国の作家A.S.Byattはナラティブ(物語)についてのエッセイを出版し、そのなかでナラティブは人間存在の中心にあるものと述べている。彼女は、「ナラティブは人間にとって呼吸や血液の循環同様に重要なものだ」と主張した(Byatt, 2000:21)。ナラティブはわれわれの日常生活のなかのどでも行なわれている。我々はナラティブの世界に産み落とされ、ナラティブによって人生を生き、後に、その人生はナラティブによって記述されるのである。最近まで、ナラティブの研究に興味を持っていたのは、文学や民話の研究者だけであったが、社会科学の研究者によってもその重要性が認識されるようになってきた。ナラティブは、人間が常に変化して止まない世界に意味をあたえる方法と考えられる。われわれの世界の中の無秩序にみえるものに意味と秩序をあたえることができるのはナラティブを通してである。また、われわれ自身を時間的な継続としてなんらかの意味を持つものとして、そして他者とは異なるものとして、自己認識できるようになるのもナラテ� ��ブを通してである。この章の目的はナラティブ心理学の理論的問題と、ナラティブ研究の方法についての問題のいくらかを述べることである。

 

 

1.ナラティブ心理学 (Narrative Psychology)

 

1.1 ナラティブ心理学の歴史(History of Narrative Psychology)

ナラティブの研究への最近の関心は、1980年代の社会科学のなかで起った「言語」についての考え方の全般的変化の一部として起ってきた。心理学のなかではこの変換を代表する3つの古典的テキストがある。一つはNarrative Psychology, T. Sarbin ed., (1986) である。この本は心理学の変革の一つの宣言書となっている。サービンは現代の主流の心理学の大部分の根底にある「機械的な比喩」に対して、「ナラティブの比喩」を対比させた。彼は機械論に代わるモデルの意味をつぎのように要約した。

 

   われわれ自身や他者を説明するにあたって、われわれは物語の筋書き(narrative plots)に導かれてそれを行なっている。公式の伝記にせよ、自伝にせよ、心理療法にせよ、自己開示にせよ、余興にせよ、われわれは一連の出来事の目録を連ねること以上のことをしている。われわれは出来事をストーリーに纏め上げていると言ってよい(p.23)

 

 彼はHeaven(1999)との談話の回想の中で、最初は、ナラティブを表現の一つの方法と見るか、存在論的な一つの形として見るかについて、区別していなかったと述べている。しかし、時が経つにつれて、彼はナラティブについての後者の見方がより適切であると確信するようになった。彼はHeavenとの談話でつぎのように述べている。

 

    ストーリーというものは、存在論的立場を持っている。われわれは常にストーリー(物語)によって包まれている。人間存在にとってのナラティブは魚にとっての海と同じである(p. 301)

 

 この主張に従えば、ナラティブは世界を見る方法であるに止まらず、ナラティブを通してわれわれは積極的に世界を構成して(construct)いくとともに、他者そしてわれわれ自身によって語られるによって、そのなかで生きているといえる。つまり、ナラティブは存在を規定する地位を持つのである。(we also live through the stories told by others and by ourselves – narratives have ontological status)

p. 112 中段)

 

 Sarbinの編集した本のなかに1章を書いたGergen & Gergen (1986)は、ナラティブは日常の社会的相互作用のなかで発展した「社会的構成物」(social constructs)であると主張した。ナラティブ(複数)は世界の意味をつむぎ出す、人々の間に共有された手段である。そして、それらはある構造を持っている。Gergen & Gergen はナラティブを組織化していると考えられる3つの構造を特定した。@促進的・前進的(progressive):目標に向かう動きがある構造。A退行的(regressive):前者とは逆の構造。B定常的(stable):ほとんど変化がない構造。この章の後半で、このモデルがナラティブ陳述の分析に有効かどうかを検討する。

 

 第2の重要な本はBruner (1990)による'Acts of Meaning'(意味づけの行為)である。この本のなかで、ブルーナは思考には2つの形式があることを主張した。パラダイム(範列)的思考とナラティブ(物語)的思考である。前者の思考法は科学の方法であり、分類や範疇化に基づいた思考法である。一方、ナラティブ的思考は世界についての日々の解釈を物語の形で系統立てまとめていく方法である。現代の心理学の挑戦的課題はこの思考の日常的形態を理解することである。ブルーナはナラティブの特性をつぎのように定義している。

 1.ナラティブは出来事、精神状態、人間を巻き込んだ偶発事件から構成される。

 2.ナラティブは「現実」であったり「想像上のもの」であったりする。

 3.ナラティブは例外的なものと通常のものとの間の橋渡しをする。

 

 このような特性は、われわれにナラティブが現実を構成する方法であり、あいまい、あるいは普通ではない何ものかに意味をあたえる方法であるということを理解させる助けになる。

 

 第3の重要な本は、Polkinghorne (1988)Narrative Knowing and the Human Sciencesである。この本の重要なポイントはポール・リクール(P. Ricoeur)の解釈学の哲学を心理学の中に紹介したことである。リクールは意味の構築におけるナラティブの重要性についての著作を多く残した。その代表作のTime and Narrativeのなかで、リクールは、われわれは時間的世界の中に生きているために、絶え間なく変化していく現実に秩序と意味をあたえるためにナラティブを作りだす必要がる、と主張した。さらに、われわれは世界についてナラティブを作り出すだけではなく、われわれのアイデンティティを了解するためにもナラティブは中心的な役割をする。われわれの諸行為の間の関連性の認識にも、自己と他者の区別にもナラティブは働いている。

 

 1990年代までにナラティブは心理学のさまざまな分野で研究されるようになった。パーソナリティーや発達研究の分野でもナラティブはわれわれの自己定義において重要な働きをしていると、McAdams (1985)は述べている。

 

 臨床心理学のではナラティブ・セラピーが発展してきた(Neimeyer, 1995)。健康心理学では、ナラティブは病気での日常生活の断絶に意味をあたえるために役立っていることを示している(Crossley, 1999)。心理学のなかでのナラティブの研究は、人文学(Fulford, 1999)や他の社会科学との連携(Maines, 1993)を深めることになる。

 

p. 113  下から7行目

 

 

1.2 ナラティブの定義 (Definition of Narrative)

  ナラティブ理論によれば、われわれは物語られた世界に産み落とされ、ナラティブを作り出し、あるいはやり取りすることを通して、われわれの生を生きているのである。ナラティブは一連の出来事の系統だった解釈と定義することができる。このことは、ナラティブのなかで活動の主体を特定し、出来事の因果関係を推定することを含んでいる。古典的な公式では、ナラティブは、開始、中期、終結の3つの要素を含んだ陳述である。

(p. 114)

ナラティブは出来事の統合された説明を提示する。限定のない談話(discourse)とは違って、ナラティブは完結した構造を持っている。この構造の全体の次元は、日常の会話では詳細に語りつくされることはないかもしれない。文脈にもよるのだが、話の終りは完結されないままに置かれることもあり、ナラティブを完結させるのは、むしろ、聴き手あるいは読み手の仕事である。われわれは語られた世界に住んでいるので、出来事を解釈したり、特定の物語を完結させたりするために、確立された社会的ナラティブを利用することができる。しかし、このプロセスは常に意識されて行なわれるとはかぎらない。

 

 

1.3 ナラティブの機能 (Function of Narrative)

  ナラティブの第一の機能は混沌に秩序をもたらすことである。物語(ストーリー)を語るなかで、語り手は組織化されていないものを組織化し、それに意味をあたえようと試みる。これは単純な仕事ではない。リクール(1987)はつぎのように述べている。

     『ナラティブは・・・・・異質なものの統合である。しかし、不調和なしには調和はない。悲劇というものはこのようなものの典型である。悲劇というものは、複雑な葛藤をはらむ状況、変わりやすい運命、恐ろしくかつ悲しい運命、不注意によって起った修復できない失敗などによって生起するものであり、必ずしも悪意の結果ではない。調和が不調和より優位になったならば、両者の間に拮抗が起り、そこに物語(ストーリー)が生まれてくる(p.436)

 

 われわれの日常生活に秩序をあたえるためにさまざまな混沌に意味をあたえようとするときには、この拮抗的緊張感が持続する。ナラティブに固有のこの緊張はナラティブの陳述の分析の中にも持ち込まれる。この分析は試案的なものであり、さらなる異議申し立てに対して開かれている。

 

2012年5月14日月曜日

ヴェルサイユの花 ~Fleur De Versailles~                         :パリ




昨日からの雨が、いまだしとしとと降り続いています。

雨の中マリー・アントワネットの眠る
「サン・ドニ大聖堂」に行ったことを思い出しました。


ゴシック建築の原型ともいわれるサン・ドニ大聖堂
その名は守護聖人、聖ドニに由来します。

ここサン・ドニ大聖堂にはフランス王家の霊廟があり
フランス革命時暴かれましたが、革命後に修復
王族の遺骨や歴代国王の心臓などが納められています。

1815年1月21日、ルイ16世の22回目の命日に
マドレーヌ墓地で発掘されたルイ16世と
マリー・アントワネットの遺体はここサン・ドニに埋葬されました。

2000年4月DNA鑑定によりルイ17世と証明された
ルイ・シャルルの小さな心臓もここに納められています。

-2008年パリ旅行第9日目-

2008年11月1日土曜日の朝、私はこの日
ヴェルサイユに行くかサン・ドニに行くか
正直決めかねていました。
雨のヴェルサイユに気乗りしなかったからです。

帰国日は火曜日。
あともう一度ヴェルサイユに行っておきたかった私。
月曜日は宮殿が休み、となると今日の土曜日か日曜日。

いつ何があるかわからないフランス。急なストもあり得る。
やっぱり今日しかないと思いながらも
モヤモヤ感いっぱいの心持でアパルトマンを出発
秋雨に震えながらRER・C線 Pont-de l'Alma 駅に
向かいました。


アルフレッド·テニスン卿によってsplender滝の背景

この駅からヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュへは乗り換えなしで
約20分ちょいぐらいで着いてしまいます。非常に便利です。

しかしこの駅で切符を買うのは要注意です。
改札がある地下には切符売り場がありません(2008年の話ですが)。
下まで降りてから、また階段を昇るはめになります。

2012年5月12日土曜日


</head><body id="readabilityBody" > <h3>好きな詩(歌詞)を紹介する 06−3C</h3> <hr size="2"/><p>紹介者</p> <p>1.タイトル 作者<br/>2.原文<br/>3.紹介&鑑賞文</p> <hr/><p>ペンネーム ジュニーニョ・ペルナンプカノ</p><p>1.逢いたい 藤井敬之</p><p>2.涙の理由も聞かずに<br/>あとほんの少しで僕はこの町を出て行くよ<br/>さみしくなるけど・・・</p><p>久々かけた電話の声<br/>元気そうで何よりです<br/>忙しいの?<br/>思い出がポケットから溢れた</p><p>ずっと前に君が言ってたコトバがひとつ この胸の中<br/>言ってしまえばよかった 本当の気持ちをもっと</p><p>逢いたいよ<br/>ホントに出来ればなんだけど<br/>曖昧にしてたそんな僕の気持ちが<br/>答えをひどく鈍らせてるんだ<br/>逢いたいなぁ<br/>やっぱり 自分にウソはつけないから<br/>明日には君に会いに行くからね</p><p>いつもの悪いクセなんです<br/>言いたい事も言い出せないまんまで<br/>タイミングをいつだってはずしたまま・・・</p><p>ずっと僕 がいない間も 君は変わらずにいてくれるかなぁ<br/>答えなんていらないと あの時 言わなきゃよかった</p><p>逢いたいよ<br/>ホントにできればなんだけど<br/>曖昧にしてたそんな僕の気持ちが<br/>君を僕から遠ざけてるんだ<br/>逢いたいなぁ<br/>やっぱり 自分にウソはつけないから<br/>明日には君に会いに行くから</p><p>逢いたいよ<br/>ホントにできればなんだけど<br/>曖昧にしてたそんな僕の気持ちが<br/>答えをひどく鈍らせてるんだ<br/>逢いたいなぁ<br/>やっぱり自分にウソはつけないから<br/>明日には君に会いに行くからね</p><p>待っててよ 僕の本当のところ<br/>君はどんな風に 僕を見てくれるかな?</p><p>3.この逢いたいと言う歌詞は、音速ラインというバンドの曲である。音速ラインは元スーパーリラックスの藤井敬之(Vo)と菅原 健<br/>生(Dr)がスーパーリラックス解散後、新たに大久保剛(B)を向い入れ2003年4月に結成されたバンドである。このバンドのボーカル<br/>がこの曲を作詞した藤井敬之である。この歌詞を読むと、まず第一印象としては切ない気持ちになった。そして書いてあることは難し<br/>くなく、分かりやすいので作詞者は自分の気持ちを感じたままに文章に表しているなと思った。特に「逢いたいよホントに出来ればな<br/>んだけど曖昧にしてたそんな僕の気持ちが答えをひどく鈍らせてるんだ」の部分が印象に残っている。この文章を読むとそのとおりだ<br/>なと思うし、いいなと思う。でも僕は、この詩はあくまで歌詞なので曲とあわせて聞いてこそ涙が出るようなすばらしい詩になるなと<br/>感じた。実際、この曲はメロディーと歌詞が絶妙� �あっているのでぜひ聞いてみてほしい。この詩を読んだほかの人の意見としては<br/>「センチメンタル、胸にしみる、泣ける、切ない、涙が出そうになる」などいろいろな意見があったがどれもそのとおりだと思った。<br/>僕は特に「逢いたいよホントに出来ればなんだけど曖昧にしてたそんな僕の気持ちが答えをひどく鈍らせてるんだ」の部分が印象に<br/>残っている。この文章を読むとそのとおりだなと思うし、いいなと思う。<br/></p> <hr/><p>森田能次</p><p>1<br/>萩原朔太郎   遺伝<br/> <br/>2<br/>人家は地面にへたばつて<br/>おほきな蜘蛛のやうに眠つてゐる。<br/>さびしいまつ暗な自然の中で<br/>動物は恐れにふるへ<br/>なにかの夢魔におびやかされ<br/>かなしく青ざめて吠えてゐます。<br/>  のをあある とをあある やわあ</p><p>もろこしの葉は風に吹かれて<br/>さわさわと闇に鳴つてる。<br/>お聴き! しづかにして<br/>道路の向うで吠えてゐる<br/>あれは犬の遠吠だよ。<br/>  のをあある とをあある やわあ</p><p>「犬は病んでゐるの? お母あさん。」<br/>「いいえ子供<br/>犬は飢ゑてゐるのです。」</p><p>遠くの空の微光の方から<br/>ふるへる物象のかげの方から<br/>犬はかれらの敵を眺めた<br/>遺伝の 本能の ふるいふるい記憶のはてに<br/>あはれな先祖のすが� ��をかんじた。</p><p>犬のこころは恐れに青ざめ<br/>夜陰の道路にながく吠える。<br/>  のをあある とをあある のをあある やわああ</p><p>「犬は病んでゐるの? お母あさん。」<br/>「いいえ子供<br/>犬は飢ゑてゐるのですよ。」</p><p>3<br/>萩原朔太郎は群馬県前橋市出身で高村光太郎ともに口語自由詩を完成させたと言われており、<br/>現代詩人にも多大な影響を与えた。この遺伝は『青猫』の中にあり、萩原朔太郎がこの『青猫』<br/>発表後は詩論に力を入れ始めるとともに文語評価の言及が増え始め、初期文語詩をまとめた『純<br/>情小曲集』を大正14年に刊行。そして昭和初期のモダニズム詩流行を横目で見ながら昭和9年<br/>に文語詩集『氷島』を発表する。しかしこの詩集は朔太郎の弟子を自認する三好達治によって酷<br/>評 され、朔太郎自身もこれを口語詩からの「退却(レトリート)」と認めるに至るのである。</p><p>この詩中の表現で、『おほきな蜘蛛』は『人家は地面にへたばって』をうまくたとえている。<br/>後者だけだと情景が描きにくいが前者があることによって人がどのように暮らすようになった<br/>のか鮮明に描写していると思う。また『のをあある とをあある やわあ』の意味は理解でき<br/>なかったがこれを使うことによって場面の転回がうまくできていると思う。一般的な、ほかの<br/>接続詞が入るとこの詩全体のイメージが一般的なものになると思う。この独特な接続詞により<br/>この詩が不思議な感じにもとまっているように感じた。<br/>この詩の内容については、人間は一定なところで生活し何からも恐れずに眠っているが、自然<br/>� ��中で生きている犬は何かの夢魔におびえて遠吠えしている。そのことに対して親は子と見方<br/>が違って、遺伝の本能である、ふるい記憶つまり先祖のあわれなすがたを感じ、おびえている<br/>と考えられず常識的にただ飢えているか吠えていると考えている。子供は純粋に「何か悩んで<br/>いるんでは?」と疑問をもった。人々は平和になりすぎたのかもしれない。何か、つまり生死<br/>にかかわることでおびえるなど現代ではない。人々は安全になりすぎたかもしれない。この詩<br/>を読んでこんなことに気づかされた。「人間も自然で生きている動物の一部であり大人になっ<br/>ても子供のような純粋に物事を見ていきたい」と思った。</p><p>≪KimTatsu wrote:夢の中では、人間の遠い祖先から遺伝している、あらゆる原始的記憶が回復する。<br/>僕等の憐れな先祖達が様々な他の動物に襲われ、脅かされ続けてきた。その恐怖は夢の中で、<br/>永久に尚も僕等の記憶の中に残っている。これは人間だけのことではなく、他の動物たちも同様なのだ。<br/>だから夢の中では、人間も犬も平等である。萩原自身の心のなかの不安や恐怖が、特異な擬声語(オノマトペ)<br/>によって表現されています。この擬声語は、詩を読んだり聞いたりする人の主観によって、<br/>どのようにも音表することができます。 そうそう、中也もよくこの手法を用いていますよね。<br/>また、言いようのない不安を、「母親」 より 「子供」の方が直感的に汲み取っているように思えます。<br/>なぜなら、幼い子供には人と他の動物とを同一の次元で考えることができるからではないでしょうか。<br/>私たちを縛っている常識や社会慣習から解き放たれて、自由な発想を持って生きたいものですねえ。<br/>(</p><p> KimTatsu wrote の文章を読んで、擬声語とは『のをあある とをあある やわあ』のこと<br/>なんだろうか。もしそうなら、これが作者の不安や恐怖を表している部分であることに気づけた。<br/></p> <hr/><p>PN、まんゆう</p><p>1,25個目の染色体 </p><p>2、あなたがくれたモノ  たくさん僕持ってる<br/>それをいまひとつずつ数えてる<br/>1,2,3個目が涙腺をノックする<br/>131個目が瞼にのったよ</p><p>忘れてた泣き方  でも<br/>今ここのある何か  目を閉じても零れそうな気がして</p><p>I will die for you,and I will live for you<br/>I will die for you,there is nothing more than <br/>I could really say to you</p><p>あなたが死ぬその  まさに一日前に<br/>僕の  息を止めてください  これが一生のお願い</p><p>あなたが生きるのその最後の日に僕は<br/>ソラからこの世が何色に染まるか当てたいんだ</p><p>この場所(ここ)と天国のちょうど真ん中 月から手のばすあのあたりかな<br/>あそこから見える景色  目を閉じても覗けそうな気がして</p><p>I will die for you,and I will live fou you<br/>I will die for you well you never ever told me to</p><p>次の世の僕らはどうしよう  生まれ変わってまためぐり合ってとかは<br/>もうめんどいからなしにしよう  一つの命として生まれよう<br/>そうすりゃケンカもしないですむ  どちがかが先に死ぬこともない</p><p>そして同じ友達を持ち  みんなで祝おうよ誕生日<br/>あえてここでケーキ二つ用意  ショートとチョコ  そこに特に意味はない<br/>ハッピーなときは2倍笑い  2倍顔にシワを残すんだい<br/>これが僕の2番めのお願い  2つ目の一生のお願い</p><p>I will die for you,and I will live fou you<br/>I will cry for you because you're the told me how</p><p>いつか生まれる二人の命  そのときが来たらどうか君に<br/>そっくりなベイビーであって欲しい  無理承知で100%君の遺伝子<br/>伝わりますように  俺にはこれっぽちも似ていませんように<br/>寝る前に毎晩  手を合わせるんだ</p><p>そんなこと言うといつも  君は僕に似てほしいなんて言うの<br/>そんなの絶対いやだよ  強いて言うなら俺のこの<br/>ハッピー運とラッキー運だけは一つずつ染色体に<br/>のせて  あげて  ほしいな</p><p>3、<br/>01年、横浜で高校生活を送っていた桑原彰(g)と野田洋次郎(vo)の二人の出会いから活動は始まり、バンド名にRAD(強烈、良い)と<br/>WIMP(弱虫、軟弱な)を繋ぎ合せて作り出した単語"RADWIMPS"と命名。ちなみに、メンバー達はバンド名を自ら「かっこいい弱虫」<br/>「見事な意気地な し」「マジスゲーびびり野郎」と説明している。2005年から2006年にかけて、もっとも注目を集めることになった<br/>超新星バンド、RADWIMPSのメジャー・デビュー・アルバム。西海岸メロコア〜エモコアのエッセンスを血肉化した彼らのロックは、<br/>激しくて楽しく、繊細にしてダイナミック。キュートな旋律もいい。<br/>この歌のタイトルでもある25個目の染色体とは自分が体験した幸せなことや嬉しかったことなどを残せる25個目の染色体があったら<br/>いいなという願いが込められている。生と死に重みをおいた、究極のラヴ・ソングである。まず、歌詞だけをじっくりと読んで歌詞<br/>をサラリと聴き流す程度にはするべきではないと思った。<br/>"あなたが死ぬその まさに一日前に 僕の 息を止めてください これが一生のお願い� � <br/>誰もが思う事、それは愛する人の死を目の当たりにはしたくはないと言う事。そんな思いと、それ以上の前向きな願いがこの曲には<br/>詰まっている。過去の作品を聴いてみても、彼等は生と死をテーマに唄っている事が多い。<br/></p> <hr/><p>ペンネーム:ピークロス</p><p>1.「会いに行くよ」 草野正宗(スピッツ)</p><p>2.届くはずない想いばかりが でかくなって陽をさえぎる<br/>  君が住む街 窓から窓へ 見えない鳩 解き放つ</p><p>  捨てそうになってた ボロボロのシャツを着たら<br/>  外に出てみよう</p><p>  会いに行くよ 全てを捨てるバカになれる 心のまま<br/>  広げた手は 当たり前じゃない風をつかみ どんな夢も叶えてみせる</p><p>  孤独な雲に語りかけたり 弱気なネコ追いかけたり<br/>  何気ないこと 頭の中で やけに詳しく浮かべた</p><p>  明日が来るよ 同じような明日が来て…<br/>  僕はもう決めた</p><p>  会いに行くよ 赤い花咲く真夏の道を 振り向かず<br/>  そしていつか 同じ丘で遠い世界を知る 感じてみたい君のとなりで</p><p>  会いに行くよ 全てを捨てるバカになれる 心のまま<br/>  広げた手は 当たり前じゃない風をつかみ どんな夢も叶えてみせる</p><p>  会いに行くよ 会いに行くよ<br/>  会いに行くよ 会いに行くよ</p><p>3.この詩はスピッツの草野正宗さんが書いたものです。彼は、現在スピッツにおいてギタリスト、ボーカルとして活躍中です。中学<br/>一年の時に母のカットギターを弾いたのがきっかけで音楽に惹かれたそうです。また、福岡県福岡市出身で福岡県立城南高等学校・武<br/>蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業しています。また、スピッツメンバーで唯一の未婚者です。清涼感のある歌声と、独自の世界感を<br/>持った詞・曲、地味な人柄が魅力とされています。デビュー当初はビートルズを彷彿とさせるマッシュルームカットの地味な雰囲気が<br/>人気を催していたましたが、アルバム「フェイクファー」あたりから髪が少し短くなり、意外と端正で顔立ちの整った容姿である事が<br/>知られるようになったようです。� �去に組んでいたことのあるバンドは、「ラディッシュ」→「からす屋」→「チーターズ」→「スピッツ」だ<br/>そうです。また、スピッツというバンド名は「弱い犬ほどよく吼える」愛玩犬種のスピッツから取ったそうです。 以上はWikipedia<br/>(ウィキペディア)より引用しました。<br/> さて、感想ですが他の方々の感想は、いい雰囲気だがまぁ普通という感想が多いように感じます。私としては気に入っています。君<br/>に会いたい、会いたいなぁという感じが歌詞全体に感じられるような感じがします。7,8行目がなんか上の空って感じがします。同<br/>じような毎日、同じような明日。君のことを考える。君への思いが強くなる。会いたい、会いたい。そして、会いに行くことに決め<br/>た。すべてを捨てれる、バカになれる、どん� ��夢だって叶えてみせるという心持ちを感じました。まぁ歌詞そのまんまですが。そんな<br/>感じをうまく表しているような詩で、好きです。<br/></p> <hr/><p>      Ar</p><p>1、雨ニモマケズ       宮沢 賢治</p><p>2、</p><p>雨ニモマケズ<br/>風ニモマケズ<br/>雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ<br/>丈夫ナカラダヲモチ<br/>慾ハナク<br/>決シテ瞋ラズ  <br/>イツモシヅカニワラツテイル<br/>一日ニ玄米四合ト<br/>味噌ト少シノ野菜ヲタベ<br/>アラユルコトヲ<br/>ジブンヲカンジョウニ入レズニ<br/>ヨクミキキシワカリ<br/>ソシテワスレズ<br/>野原ノ松ノ林ノ蔭ノ<br/>小サナ萱ブキ小屋ニイテ<br/>東ニ病気ノ子供アレバ<br/>行ツテ看病シテヤリ<br/>西ニ疲レタ母アレバ<br/>行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ<br/>南ニ死ニソウナ人アレバ<br/>行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ<br/>北ニケンクワヤソシヨウガアレバ<br/>ツマラナイカラヤメロトイヒ<br/>ヒデリノトキハナミダヲナガシ<br/>サムサノナツハオロオ� �アルキ<br/>ミンナニデクノボートヨバレ<br/>ホメラレモセズ<br/>クニモサレズ<br/>サウイウモノニ<br/>ワタシハナリタイ</p>

2012年5月10日木曜日

無題ドキュメント


しゅんGの工房     案内
  

ごあいさつ
 この度、こんな工房を新設しました。訳はたいしたことではありません。お勤めを定年退職してから十年が過ぎました。趣味の詩もずいぶん書き続けて、念願の詩による自分史を一応完結しました。おかげさまで詩の仲間も増え、いろんな詩の情報が集るようになりました。すると、詩に対する雑感もさまざまに心を乱すようになりました。
 そこで、自分自身の詩の世界での位置や姿勢を知りたくなって、ここに雑感を綴ってみようかなと思った訳です。出来ましたら、反論や批判などをいただくとありがたく思います。詩とは全く別の世界からの反論や批判も大いに結構です。

 今後ともにこの「工房」をどうぞよろしくお願いします。

 第三回 詩作について
       
(先生のとき)

     
 「りくつ(理屈)」の章
 ぼくが中学校の国語の先生をしていた時、ある地域文集の編集員になったことがありました。その文集の「作文教室」の欄の執筆を担当した時、次のような意味の文章を書きました。

2012年5月8日火曜日

乱読乱文多謝 『ボードレール』


乱読乱文多謝 『ボードレール』
乱読乱文多謝


記事の内容

前へ | 次へ

『ボードレール』
2012/03/22 00:00

ボードレール
(2011/12/21)
テオフィル・ゴーチエ

商品詳細を見る

ボードレールの位置、ゴーティエの位置

   完全なる詩人
   フランス文学の練達な魔術師
   心から敬愛する
   師でありまた友である
   テオフィル・ゴーティエに
   世にも深い
   謙遜の気持と共に
   これらの病める花々を
   捧げる
               C・B
(堀口大学 訳)

 これは謂わずと知れた、ボードレールの『悪の華』冒頭に掲げられた献辞である。このフランス文学史、のみならず、世界文学史上の一大事件ともいうべき詩集を捧げられた人物、ということで、私はテオフィル・ゴーティエなる文学者の名を知ったのだった� ��

 きっと私と同じく、ボードレールからゴーティエを知った、というひとは多かろうと想像する。少なくとも、ゴーティエを先に知り、その繋がりでボードレールを知ったのだというひとよりは確実に多いことだろう。

 ただ、このゴーティエという作家、決して「ボードレールの周辺の人」で済ませられるような人物ではないことは、実際にその著作を読んでみたならば誰でも納得できることだ・・・と、エラそうなことがいえるほど、私も彼のものを読んでいる訳ではない。岩波文庫の短編集を一冊読んだきりだ。しかしそれでもなお、この作家には大きな魅力が、すなわちボードレールの「ついで」扱いはできない魅力があるのだ、ということを確信できた。

2012年5月6日日曜日

Online Gaming In China To Increase 39%! Asia Too!


According to Pearl Research, China's online gaming market is going to reach US$9.2 billion by 2014, up from around US$6.6 billion sometime last year which is around a 40% increase. Another proof to how well they are doing can be attributed to the fact that the top 5 gaming companies made a combined US$5.3 billion in revenues.

2012年5月5日土曜日

マルケスのいる風景


マルケスのいる風景

マルケスのいる風景

サイトマップへ

トップページへ

青木冨貴子
 
 その年、夫ピート・ハミルはわたしの誕生日に何か特別のプレゼントを用意している様子だった[…]
 そして、その日の午後、垂れ下がった大きな耳をもつ黒い子犬が到着した。犬好きのわたしのために、彼が前から欲しかったラブラドル・リトリバーの子犬を贈ってくれたのである。[…]
 当時、わが家にはチェックオフという老犬がいた。チェックオフというのは、ロシアの文豪チェーホフを英語読みにした名前で、ピートの娘の犬だった。[…]
 翌朝、子犬を抱いたわたしは彼の名前を考えはじめた。チェーホフに対抗するわけではないが、同じ屋根の下に住む一方� �ロシアの文豪であれば、片方もそれなりの品位と風格を兼ね備えた名前にしたいものである。[…]
 わたしはひとりで「ソウセキ、伏せ」とか「オウガイ、お手」などと反復していたが、半年前にキューバで会ったノーベル賞作家、ガルシア・マルケスのニックネームが「ガボ」であることを思い出した。「ガボって、良いと思わない?」
 彼のプレゼントとはいえ、わたし名義の犬の名前について、あくまで口を出さないよう努めていた夫が、ついにニヤリとした。
『ガボものがたり―ハミル家の愛犬日記―』

[補遺]この時のマルケス訪問については「ハミル、ピート」の項参照。

青野聰

 ぼくはミラーの一作目の「北回帰線」から順を追って読もうとしていた。二十世紀を� �表するこの小説を取りこむ袋が、自我がまだ貧弱なために備わっていなかった。すごさの片鱗にふれたと感じたのは三年ぐらいたってからで、そのまえにジュネを読みふけった。これはミラーを「あんなものは、アンチャンの文学だ」とこきおろした、暗黒舞踏系のダンサー石井満隆の勧めによるものだ。女装して、肌を小麦粉で白くして優雅に踊る彼とのつきあいは、おもえばジュネをよむことからはじまった。彼のなかにジュネが住みついてしまっていたので、ジュネとしゃべることが、すなわち彼としゃべることだった。マルケスの「百年の孤独」は彼の知人のフランス人におしえられた。こうしていても目が真っ青でやぎひげを生やした、すこぶる善良なそのフランス人が、スペイン語で書かれた今世紀最良の小説のひとつなんだ よ、と子供に話すようにして「百年の孤独」の魅力を説明してくれた、パリのアパートの薄暗い一室がおもいだされてきてキーを打つ手がとまる。いくたびもいくたびも転がりこみ、集まってくる文無しと安いワインを飲んで、少ない材料でうまいものをつくって食べ、いい季節になるとばらばらに散っていた歳月を……。
「今までに読んだ本の量は……。」

青山南

 ジョン・アーヴィングの日本での『ガープ』タイトル戦争については前に書いたとおりだが、アメリカでも似たようなことがあったのを知った。モノはガブリエル・ガルシア・マルケスの『百年の孤独』。この「百」の処理にかんして、訳者と批評家がけんかしていた。[…]
「こないだマイケル・ウッド教授が『百年の孤独』に言及� ��た文章を書いていた。その内容を云々する気はない。ただ、どうしても気になったことがあるので、それを書く。ウッド教授よ、あなたはなぜ、
 "A Hundred Years of Solitude"
と表記するのかね。わたしは、
 "One Hundred Years of Solitude"
と記したはずだ。確かに、原題は、
 "Cien años de soledad"
であるからして、数字の意味はアイマイである。しかし、この小説の結末を読んだとき、これは"One"であって"a"ではない、とわたしは確信した。ガボ(マルケスの愛称)にも問い合わせてみたが、ガボも、その通り、と言ってましたよ。"one"こそ、自分の考えを体現している、とね。ウッド教授よ、答えなさい!さあ、どうだ」
 ウッド教授はこう答えていた。
「悪気はなかったですよ。ただ、わたしはあなたの翻訳であの小説を読んだわけじゃないので、つい、"a"とやっちゃったってことです。ほら、"one"だとなんかおおげさで、いばってるかんじがしますでしょ。だから、もっとカジュアルな"a"を採りました。でも、こんなことを言ってたら、ラバッサさんも御存知のとおり、翻訳なんてできゃしません。あなたはえら� �よ。なにしろ、できないことをやってるんだから」[…]
 ある日、偶然、洋書店の棚にウッド教授が書いた『「百年の孤独」論』を見つけた。表紙には、"100 Years of Solitude"と、なんと、数字で表記してあった。
『ピーターとペーターの狭間で』

安部公房

 ドナルド・キーンさんから「『百年の孤独』を読んだか」と聞かれ「知らない」と答えると、「とんでもないことだ。これはあなたが読むために書かれたような小説だからぜひ読みなさい」と教えられた。「僕は英語が読めない」と言うと、「冗談じゃないよ、翻訳があるじゃない」。あわてて新潮社に電話して手に入れました。読んで仰天してしまった。これほどの作品を、なぜ知らずにすませてしまったのだろう。もしかするとこれは一世紀に一人、二人というレベルの作家じゃないか。
                *
 まるで魔術師みたいにギュッと魂をとらえてしまうあの力は解説でつくせる� �のではありません。とにかくマルケスを読む前と読んでからで自分が変ってしまう。一番肝腎なことは、ああ読んでよかった、という思いじゃないか。もし知らずに過したらひどい損をするところだった、見落さないでよかった、という、これこそ世界を広げることだし、そういう力を持っている作家との出会いというのはやはり大変なことです。文学ならではの力というべきかもしれない。
『死に急ぐ鯨たち』

 遅ればせながらでちょっと恥ずかしいけれど、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を最近読んで、非常に驚嘆すると同時に、やはり、今世紀の傑作の一つではないかと思った。あの小説の場合、マルケスは意識してか、意識しなかったか、非常に素朴なスタイルを取っているように見える。しかし、それでいて、書 くということがなぜ作者の中で成り立ったのか、成り立たせているのかという依りどころを失わずに、しかも非常に構造的に、「なぜ読むのか」という問いに対する答えを出していると思う。「昔あるところに」と言ってしまうと、作者が神様になってしまうけれど、あの作品はそうじゃない。年代記風になっているけれど、作者は超越した存在ではなくて、書かれている世界と同じ次元に自分を埋め込んでいる。
『都市への回路』

 こういう方法でしかとらえられない世界があるってことね。単におもしろかったり奇をてらったりしているわけじゃないんだ。こういうおもしろさがつかめないような感受性では、現代文学のすぐれた部分をそっくり見逃してしまうことになる。とくにこの『百年の孤独』は、一世紀に何冊かしか� ��ないレベルの作品だからね。
『マイブック』

〔補遺〕安部公房についてのマルケスの文章がある。
来日した折り、辻井喬や大江健三郎らと会合を持ったことに触れ、「安部公房だけが見あたらなかったが、彼は後日、ひとりきりでやってきて私を誘い出し、プライベート・クラブのひっそりとした片隅で話をした。私はそれまでお茶とビスケットだけを取りながらあんなに笑ったことはなかったように思う。」(「アミーゴ健三郎」(田村さと子訳)《新潮》平成7年3月号)

〔参照〕文献抜書帖

アルモドバル、ペドロ

 夜、街に出て、ひっきりなしに人にほめられるなんて気持ちわるくてうんざりよ。やれパディなしじゃ『ラ・ルナ』は廃刊になるだろうとか、ヘ� ��ベバ・ブラバンテからこっちスペイン文学ではパディほどのキャラクターは存在しなかった、なんてね。このあいだなんか、マドリードの日刊紙がインテリや文化人と称してる連中に、『ドン・キホーテ』以後スペイン語で書かれた小説のベストテンをあげるようにアンケートしたんだけど、なんとひとり残らずわたしの告白を選んだのよ。なかには『百年の孤独』より上位にわたしの作品をあげる者もいたくらいなの。いったい、あの連中はわたしを何だと思ってるのかしら。
『パディ・ディスプーサ』(杉山晃訳)

アレナス、レイナルド

国家公安局は生贄の羊としてエべルト・パディージャを選んだ。パディージャは公的なコンクールに『オフサイド』という批判的な本をあえて提出したこ とのある、体制にとっては不遜な詩人だった。[…]
一九七一年、パディージャは妻のべルキス・クサ=マレとともに逮捕された。独房に閉じ込められ、脅され殴られて三十日後にその独房からぼろぼろの人間となって出てきた。そのパディージャの話を聞くために、キューバの知識人たちのほとんどがUNEACを通じて国家公安局から招かれた。[…]
国家公安局に拘留されているあいだに革命の美しさを理解し、春をうたう詩をいくつか書いた、と言った。パディージャの話だとそれまでの作品をすべて否定しただけでなく、自分の妻をも含めて反革命的な態度をとっている友人全員の名をおおやけにしてしまったという。パディージャは一人ずつその人物の名を挙げていった。ホセ・ヤネス、ノルべルト・フエンテス、レサ マ=リマ。[…]
パディージャに反革命的と指摘された人物はみんな後悔するかのように胸をたたき目に涙を浮かべながら、パディージャのいるマイクのところに駆けつけ、自分の罪を認
め、自分がつまらない人間、体制に対する裏切り者であることを認めなくてはならなかった。むろん、そのありさまは国家公安局に残らず撮影され、そのフィルムは世界のありとあらゆるインテリ層を巡り、とりわけパディージヤの不当逮捕を非難する手紙に署名した作家たち全員に見せられたのだった。その中には、マリオ・バルガス"リョサ、オクタビオ・パス、フアン・ルルフォ、そして、いまやフィデル・カスト口が抱える最も重要な操り人形の一つとなったあのガルシア=マルケスさえいたのだ。
『夜になるまえに』(安藤哲行訳)

飯島耕一

 草原のたてがみいろの黄昏にけり    赤黄男
一九八二年ノーベル文学賞を受賞した中米(ママ)コロンビアの作家、ガルシア・マルケスの小説は、わたしにはちょっと読み難かった。『百年の孤独』も『族長の秋』もはじめのほうを読んだだけで早々になげだしてしまっていた。それがこの間、マルケスがシナリオを書いた映画『エレンディア』の試写を見てまことに面白く、帰ってすぐに『百年の孤独』をみ読み始めると今度はどんどん作品に入って行ける。色彩ゆたかな国の、近代文明のやって来るのが遅かった国の、しかもホラ話なのだ。話が少しずつ、いや大いに大げさなのだ。そこから人間臭とユーモアが奔出するのであった。まだ三分の一ほど残っていて、目下読みつつあると ころなのだが、こういう時、俳句のことに頭を切りかえるのはいささかつらい。
送られて来る句集や俳誌を開いてみるのだが、どれもが息の短い、小手先のきれいごとにしか見えないのだ。
先回は西東三鬼について述べた。と、三鬼と同年代で、三鬼とは互いに意識し合っていた宮澤赤黄男のことを思い出した。
赤黄男の句ならば、ガルシア・マルケスの濃厚な色彩にも拮抗してくれるかも知れない。赤黄男の句には濃い色彩というものがありそうだ。
『俳句の国徘徊記』

〔補遺〕飯島耕一がマルケスについて言及していることは、やはり詩人の平出隆による『光の疑い』で知った。

石原慎太郎

あなたの『けものがれ、俺ら』は、すごい映画になるよ。ガルシア・� ��ルケス原作の『予告された殺人の記録』という映画、あれを思い出したよ。猿と肉食虫、嫌なイメージの小説だよなあ(笑)。あれは撮ったらすごい映画になる。
「文学と発イメージ力」(町田康との対談)

池澤夏樹

 この小説が繁茂する木々といった自然物の印象を与える理由もこのプロットの多岐にある。作者の創作の意図はからみあう無数の枝と葉と蔓の間に隠れている。[…]
 先程の木のパターンの比喩をもう少し先へ延ばした読者は、『百年の孤独』という邦訳にして千枚ほどの小説は実は発表されざる一万枚の大作の要約であると同時に、百枚からなる高密度の短編のパラフレージングであり、それはまた十枚のあらすじの拡大ではないのかと夢想に至るだろう。あるいはそれは、メ� �キアデスの羊皮紙文書に誘導された夢想かもしれない。
『ブッキッシュな世界像』

 ただ話の筋だけをなぞるのはまだ本当に民話的とは言えないかもしれない。大事なのは民話を語る精神の方であり、聞き手の熱意についつい促されてとんでもない話を紡ぎ出してしまう物語の勢いの方である。そういう意味で、二十世紀の文学で民話的手法を徹底して用いて大成功をおさめたのはガルシア=マルケスということになる。
『海図と航海日誌』

 ガルシア=マルケスは事件だったんですよ。ぼくにとっては…。ガルシア=マルケスとぶつかったというのは、やっぱりその後の自分にとっては非常に大きな、いまだにすっかりは表面化していない事件でした。
『沖にむかって泳ぐ』

〔参照〕文献抜書帖

井上荒野

 若いときには、どうしても筋を追うんですよね。どうなるんだろうと思いながら読んでいて、どうにもならなかったりすると、なんだこれは?つて憤然としたりする。でも、だんだん読んでいくうちに筋じゃないところがおもしろいということがわかってくるんです。フォークナーなんかはそうだと思うし、マルケスなどでも、小さな子供がもし読んでもきっとわからないと思うけど、案外細かな描写なんかは残っていくんじゃないですか。[…]
 でもきっと、雨の中にカニがいるとか、牛が川を流れていくとか、そういう感じが残っていくような気がする。それは決して悪いことではないと思う。
                *
 マルケスの『予告された殺人の記録』は ちょっと衝撃的でした。生活と風土と殺人事件がまったく渾然一体となっていて。えっ、南米ってこうなの?と(笑)。あれは南米という土地自体が持っている独特な何かなんだと思うんですけど、日本の小説でいうと大江健三郎さんの四国とか、中上健次さんの熊野とか思い出したりもしました。
「名作を見る楽しみ、読む喜び」(三木卓との対談)

井上光晴

 ドストエフスキーとソルジェニーツェン、或いはフォークナーとヘミングウェイがもし存在しなかったならと考えると、世界文学と読者の関係は見事に照射されてこよう。ロシア、アメリカ文学に限らず、カフカは「虫」に変身しても不屈な精神のありかを証しだててくれたし、カリブ海の沿岸に生まれたマルケスは、愛と死にまつわる飢えに 似た『百年の孤独』を、蝶を食う植物のように花開いてみせた。
『世界名作文学館』

上野千鶴子

 タイトルについて説明しておこう。『百年の孤独』は、ガルシア・マルケスの著書からとった。荒唐無稽な英雄物語だが、ここに(メキシコ・編者註)いるとどんなことか起きても不思議はない、と感じられる。『千年の愉楽』は、中上健次の作品のタイトル。うまい名をつけるものだと、一瞬嫉妬した。「千年の」は、非歴史的な無時間を思わせるが、「百年」なら、長い中断のようなものだ。ふと「百年の孤独」から醒めたら、まわりの景色がすっかり変わってしまっていた、というように。またたくうちに変貌していく周囲の景色に、ひとり取り残される英雄の孤独はきっと深いに違いない。「百年」 は、わたしにとって意味がある。
「百年の孤独」

エリクソン、スティーヴ

─あなたの作品をはじめて読んでまず思ったのは、"この作家はフィリップ・K・ディックとラテンアメリカ文学を読んだフォークナーだ"ということだったんですが。
「僕もまさにそういう反応が出てきていいと思うんだが、アメリカではまずそう読んでもらえない。較べられるのはたいてい、J・G・バラードとトマス・ピンチョン。バラードはほとんど読んでいないし、ピンチョンは素晴らしい作家だと思うけれど僕とは全然違う。一番影響を受けているのは、君が言ったようにフォークナー、ディック、ガルシア=マルケス、それにヘンリー・ミラー、エミリー・ブロンテ。ずっと前、漱石の『こころ』とブロンテの� ��嵐が丘』を二晩で読んだのは強烈な体験だった(笑)」
『愛の見切り発車』柴田元幸

大江健三郎

 コロンビアのというより、すべてのラテン・アメリカの国ぐにの作家としての、ガブリエル・ガルシア・マルケス。メキシコシティ北縁の住宅地の、高い石造りの壁に囲まれた家に移ったばかりのマルケスを僕は訪ねたが、かれにもまた独自のアイデンティティーを達成した作家の印象があった。憂わしげに疲れたところと、生き生きと活発なところとが表裏一体をなしている点で、このブーツをはいたコロンビア人は、モカシンの大靴をはいたダンツィヒ人と似たところがあった。かれは翌日キューバに発つはずで、キューバ大包囲の時期を描く方法の、その底柢にデフォーの『ペスト年代記』を置くこ� ��を考えついたが、どうだろう?と訊ねた。
 この時すでにマルケスは、『族長の秋』を書きあげていたのだろう。かれは小説の語り口の選び方に、複雑な手つづきを集中する作家だが、自分が書きあげたばかりの『族長の秋』の語り口の工夫に、うしろから呼びかけられるように気をとられているふうでもあった。一年おくれて、英訳でこの小説を読んだ僕は、その語り口の確実な達成に、感銘をあたえられた。ラテン・アメリカの社会の、多様な、しかし統一的なものを求めているその総体が、表現者に対して望むところは複雑にちがいない。しかもマルケスは、過剰なほどに個性を輝かせながら、作家としてのアイデンティティーを成就している。それはスペイン風の中庭をへだてて母屋に対する、大工の仕事場のような書斎で、 旧式の大きいタイプライターよりは他はなにも置いていない机の前に坐っていた、ガブリエル・ガルシア・マルケスから、僕が感じとっていたところと、同一のものに思える。
(文中、ダイツィヒ人とはギュンター・グラスを指している)
『表現する者』

[補遺]大江のこの時の訪問についてマルケスも後に次のように記している。
「それまでに彼の名前を耳にしたことはなかった。しかし、自分と非常に似かよった個性の核をもっている人と出会うことができた、まれな神秘的出来事のひとつとして彼の存在を忘れたことはない。」(「アミーゴ健三郎」田村さと子訳,《新潮》平成7年3月号)

 コロンビアの作家ガブリエル・ガルシア・マルケスも、長篇『族長の秋』では、やはり層をなす多様� ��意味をはらむ独自の再生を描いていた。ラテン・アメリカの一独裁者が影武者の死を機会に、いったん自分も姿をかくす。かれの名における葬儀は国家規模でおこなわれ、ナイーブに死を悼む者と死体を辱かしめようとする者とがある。死んだ人間としてすべてを隠れ場から見た独裁者は、突然公けの場に帰って、報奨し報復する。そして心底怯えた民衆からそのいきさつは、再生と受けとめられるのである。およそ独裁者たる者に共通の惧れと夢をないまぜてあらわす、この再生の劇は、またラテン・アメリカの情況を典型的に体現しているマルケスの、大きく根柢的な緊張をあらわすものであった。
『小説の方法』

大岡玲

2012年5月3日木曜日

ゴシップガール GOSSIPGIRL


「ゴシップガール」シーズン1で最も印象に残っているシーンは?

シーズン1で一番思い出深いシーンといえば何かな・・・。何だかすごく昔のような気がして思い出せないんだけど、第10話だったかな。デビュタント舞踏会のシーン。ダンがその会場からセリーナを連れ去るんだ。周りのみんなは高級ドレスとかタキシードを着ていて、すごくロマンチックなシーンだった。カメラワークとか音楽とか、すべてが印象的だった。特に僕にとってはね(笑)。

シーズン1の一番の見どころは?

ダンとセリーナの関係じゃないかな。ダンにとっては、新鮮でワクワクするような出来事続きだったから。今はお互い不安定なんだ。セリーナを追い求めていたシーズン1の前半が僕にとってのハイライトだよ。

日本の視聴者にメッセージを一言!

とにかく、文化の違いを超えてみんなが楽しんで見てくれたらいいと思う。すでに世界中の人がインターネットでドラマを楽しんでくれてるし、多分受け入れられると思うな。僕は日本の文化はよく知らないけど、このドラマは日本のみんなにも楽しんでもらえるドラマだと思う。テンポの速い展開も魅力のひとつだと思う。みんなが気に入るはずだからぜひ楽しんでほしいな。

日本には来たことありますか?

まだないよ。でも日本は行ってみたい国。日本と聞いて連想するのは「東京」かな。それから思い浮かぶのは、すごい数のネオンの明かりがあふれてる巨大な都市。それから僕が大好きなスシ。日本料理がすごく好きなんだ。だから日本に行って本場のスシを食べてみたいよ。だいぶアメリカのとは違うって聞いたことがあるから。

(2009年2月)

ドラマのベースになった小説のことはご存知でしたか?

台本をもらった時、小説のことは全く知らなかった。だから、正直初めてタイトルを読んだときは、これは一体何についてのドラマなんだ?って感じだったよ。女の子向けだよね。だから始めのうちはちょっと恥ずかしい気持ちがあった。役が決まって、小説の最初の40ページくらいを読んだんだ。物語のトーンはどんな感じなのかなって思って。実際に自分で読んでみて、僕たちの作っているドラマは、小説のコピーではないんだってことを感じた。小説の始まりを使わせてもらって、そこから自分たち独自のストーリーに飛び込んだ感じ。それでも第一話は、一番小説に似てるかな。

アメリカのティーンは本当にドラマみたいな感じなんですか?

2012年5月2日水曜日

チェルノブイリのある避難者の詩


反転攻勢がはじまってきています。私たち国民は、何も知らない気がつかないペットにできると思っているのかしら。
チェルノブイリ事故で同じ体験をされ強制避難になったベラルーシの方の詩をどうか読んで下さい。反論も何もいらない。
そこによりそって一緒に体験して見てください。原発など、人間ごときがコントロールできるものではありません。

ポレーシェのすばらしい地方
あなたでの生活はどんなに良かったか
あなたに抱きしめられたまま暮らした日々よ
それはかけがえのないものだった

思い出すたびに胸が痛む
そこでは私たちの人生は天国のようだった
小道、森…緑の草原
それらすべてが私たちのものだった

そこに住んでいた人たちの優しさ
仕事も友情も大切にして
パンも塩も平等にわけ
互いに訪問し合っ(飲み明かし)たものだ

ナロヴリャは静かな街
広々とした公園と
プリピャチ川が流れ
本当に天国だった

自然を誇りに思っていた
教会へ行って祈っていた
そして、爆発が地下から来るということを誰も思っていなかった

ある日、私たちは目覚め
互いに優しくほほえんだ
メーデーの朝だった
そして、天気が暑かった

パレードには風船やプラカード
人々はそれをいつものように楽しんだ
しかし人々は知らされていなかった
それを思うとなおつらいのだ

私たちの子供は花のように
晴れ着を着て、
詩を朗読していたのだ
メーデーについてだってしっかりした考え方を持っていたのだ

そして、祭りに水を差さないように
私たちに誰も真実を言えなかった
それは、たぶん、共産主義のせいかもしれない

結局、言わざるを得なかった
チェルノブイリは煙を吹き始めたから
あわてふためいてはいけません
大丈夫になりますって。

あと何日か待っていた
何も知らなくて。
何?なんで?どこ?質問がいっぱいあったが
本当のことは聞かせてもらえなかった

電話が破裂しそうだった
全国から電話をかけてきたから

2012年4月30日月曜日

UFOの秘密 第2話


「政府は態度をはっきりさせるべきだ。治安という理由でこうした問題を論じたくないというのなら、なぜそのように言明しないのだろう?」とディミックはぼやく。

だが空軍は何も言わなかった。空軍によれば円盤は群集ヒステリー≠フ1種であるのだ。メキシコ航空兵団長ロドリゲス・カルデネスは否定的な言葉をつけ加えて、この種の新聞記事に対する相互の同意ということになれば良き隣人%Iやり方はまだ生きていると言う (注:米空軍が否定すればメキシコ側も同調して否定するの意)。実際そのようになっていたので、空中に物体を観測するように訓練されたパイロット、ナビゲーター、その他の要員たちは、もはや空軍情報部へ観測結果を報告することに熱心でなくなってしまった。荒っぽい返事が多すぎたのだ。観測することは疑いをかけられることであり、知ることは罪であった。アメリカという国がみずからそんな状態にあるということは狂った状態だけれども、やはりそうなの� �ある。

責任ある地位についているほとんどの人が、まるで自分が指導者としての力を持っているかのように、公的な態度をとるようになったのである。もし米国防省がそんなふうにやってゆくとすれば、読者は肯定的な面を強調するような人を頼りにするとよいだろう。

 あちこちから出てくる肯定的な報告類のさなかにあって、シカゴ大学の天文学教授、ジュラルド・P・カイパー博士は、メキシコで報告された円盤の乗員が小人であったという説を一笑に付したけれども、いわゆる空飛ぶ円盤のパイロットなるものは利口な虫か、または小さな植物かもしれないとほのめかした。これは火星で現在生きているものはその程度だろうという理由のためである。

この種の否定は当時その筋から否定されることはないだろう。それが"正しい"方向にそっているからだ。しかもこの考え方は他の天文学者のそれと同じなのである。

ところがカイパー博士と同じほどの高い地位にある天文学者達は、これとは異なる意見を持っているのである。多数の学者はこの問題に関してオープン・マインドを維持してきた。あの物体(複数) は空飛ぶ円盤だと信じていた人々もあるが、それがどこから来るかは不可解であった。少数の人はたぶんどこかの惑星から来るのではないかと考えていた。しかしカイパーの気まぐれな発言に乗せられて、大抵の人は円盤が火星から来ると考えていたと読者は思うだろう。一体円盤が火星から来るとだれが言っただろうか。オーソン・ウェルズ? (注:タコのような姿をしした火星人が地球を侵略したというSFを書いて米国にセンセーションをまき起こした男)。とっくの昔に死んだR・A・ロックの亡霊か? それとも軍部の策略なのか ?

空軍の将官がこの円盤問題について何かを書いたことは知られていな・いが、トゥルー誌は何とかして当時の家畜囲いから2人の海軍軍人を脱出せしめた。元海兵隊パイロットのドナルド・E・キーホー、それにまだ現役の司令官ロバート・E・マックローリンは、みずから見聞した空飛ぶ円盤について記事を書いたのである。それは冗長な、くだらないものだった。それらの記事は意味のないものだったと言えば酷に聞こえるかもしれないが、貧弱な材料だったというよりもむしろ拙い文章だったために、よけいにそうだったのである。とにかくトゥルー誌は円盤の分野では最初のものではなく、私はバラエティー誌に書いた記事によってトゥルー詰よりも10週間ほど先を行っていたが、フェート誌は更に私を1年も引き離していた。しかし� ��の記事は何かの焼直しではない。それまでだれも書いたことのない材料を用いたのである。

その記事の大部分はボストン、バッファロー、カンザス・シティー、ロサンゼルスに及ぶ広範囲の各種新聞に転載されたし、1、2のラジオ局からも放送された。

こうしたすっぱ抜きが続いているあいだ、空軍情報部は空中の観測物を前にして不気味な沈黙を保っていた。だがこの出現物のために全世界の人々は冷戦の議論から空飛ぶ円盤に関する熱心な推測へと方向を変えたのである。

科学者の名前はエドガー・B・デービスだ!

ところでデンバーといえば、1950年3月8日のあのナゾの講演者についての騒ぎが広がっていった。あの科学者の講演がテープに録音されたことや、それがキーラーの働いていたKMYR局で隠されたらしいということをだれかがおぼえていた。そしてキーラーの部下がデンバー市の実業家たちにそのテープを聞かせたために、デンバー大学のスパイ行為や逆スパイ行為説のバカらしさをよく理解できたのである。

その頃までには、講演が行なわれたとき町にいなかった学長がいや味たっぶりに発言し始めていて、教授団に指令を発した。これからはもっと慎重に講演者を選べというのである。デンバー・ポスト続開係の匿名の一筆者がこの間題を取り上げようとした。そして論評の中で、訪れて来る講演者のなかで匿名を用いる者を拒絶せよと書きたてたが、これは自分のことを棚に上げて他人を批判するものであった。

ラジオ放送を聞いた市民たちのなかに、同じデンバー・ポスト紙の記者がいた。彼は大学事件をあらためて日曜版に載せたが、これは陸軍航空隊情報部をふたたび刺激することになった。そこでキーラーはたまりかねて、これ以上拷問の材料を受け入れるわけにはゆかないと言った。

「あのナゾの科学者の名前はエドガー・B・デービスだ!」 と叫んだのである。

これを聞いた人はみな、どうやらほんとうらしいと思った。しかしエドガー・B・デービスとはだれなのか?ここで新たにその探索が始せったのである。

デンバー市民が講演のテープ録音を聞いていた、ちょうどその時間に、ハリウッドで数名の人が同じ講演のテープ録音を聞いていた。これはオリジナル録音をコピーしたものである。これはハリウッドの或る医師の自宅で聞かれた。そこの夫人は大学卒の看護婦で、以前は旅客機のホステスであった。この録音テープは或る地球物理学者が保管していたもので、私はこの人を長く知っていた。

このテープを聞いた人たちは驚いてしまった。しかもテープの声と地球物理学者の声がほぼ同1であるという事実によけいに驚いたのである。 もちろんデンバーとロサンゼルス間の飛行時間はわずか6時間だから、同じ日に両方の場所にいることは無理なことではない。

ところが3月17日にデンバー大学教授団、学生たち、新聞社、空軍情報将校連は、廊下の壁に 「初心者のための空飛ぶ円盤講座」と題するポスターを貼らせた例の科学者の正体をつきとめたのである。

4名の学生とタイムライフ社デンバー支局長バロン・ベシャー(この男は招待状なしに講演会場に押し入った)は、デンバーのポスト紙に掲載された写真類から判断して、その科学者はサイラス・メーソン・ニュートンだと確信したのである。この人はニュートン・オイル・カンパニーの社長で、1942年度コロラド州アマチュア・ゴルフ選手権保持者、ベイラー大学とエール大学卒、ベルリン大学大学院修了、レンジリー油田の再発見者、美術界の後援者、そして大体に世事にたけた人で、いうなれば科学者で資産家であり、どこにもいるような典型的アメリカ人なのである。

一学生がこの講演者をおぼえていると言い出した。この学生はレークウッドのゴルフ場で何度も彼のキャディーをつとめたことがあったために以前からずっとその正体を知っていたのである。だが評判にはならないことがわかっていたので、それまでは話さなかったのだ。この間題は秘密だということになっていなかったのだろうか。

2012年4月29日日曜日

ならず者は『デスペラード』、本日のブログは『エスペラント』|鐵’sブログ


ブログネタ:ガス、電気、水道止められて一番困るのは?

ガス、電気、水道、そして…LOVE

止められて一番困るのは、LOVEでしょうね。

真面目に答えます。

水道です。

申し遅れました。

私には、ギターケースに武器を入れている仲間がおりません。

アルカットワンのエル・テツオ・マリアッチです。

早速ですが、皆様は、『エスペラント』をご存知でしょうか?

実は、私も今朝、専務に教えてもらうまで知りませんでした。

私事で恐縮ですが、『エスペラント』と『デスペラード』

似てませんか?

イーグルスの『デスペラード』カッコイイですよね!

2012年4月28日土曜日

フランケンシュタイン * MARY SHELLEY'S FRANKENSTEIN カウチ生活/ウェブリブログ


映画では古典と言われ
実在しない想像上の人物や生きもが繰り返し作品になっているというモノも多いです

今回紹介する作品も過去に30本近く映画化されている人物のひとりで
その中のひとつとなりますが少し異彩を放っている作品とも言えるかもしれません

『フランケンシュタイン』です

 MARY SHELLEY'S FRANKENSTEIN アメリカ[1994]

  北極海を目指す探検家の船に命からがらたどり着いた男性は
  目標のために努力を惜しまないその探検家の姿をみて狂人≠ニ言うが
  その男は過去に自分がした恐ろしい実験と怪物の事
  そして自分の狂人ぶりをその探検家に話すのであった

原作の小説『フランケンシュタイン』と言うのがあるのですが
※参考Wikipedia → フランケンシュタイン 
内容としてはほぼ原作に忠実につくられているようです

2012年4月26日木曜日

関塾タイムス Monthly Special


心動かされるような本との出会いは、一生の宝物です。困難を乗り越えるためのヒント、家族や友だちを大切にする心、勉強が好きになるきっかけ・・・どんな宝物が隠れているかは、本を開いてみないとわかりません。
そこで、今回は「今この時期、皆さんに読んでほしい本」を、関塾の先生方に紹介していただきました。「こんな人に読んでほしい」「ここが感動した!」など、先生方のコメントを参考に、皆さんにぴったりの1冊を探してみてくださいね。

心に染みる名作たち。
日本の物語

他国の文化も学べる
世界の物語


『星の王子さま』
(岩波書店)
著:サン=テグジュペリ/訳:内藤濯

『人間の絆』 上・下
(新潮文庫)
著:サマセット・モーム
/訳:中野好夫
サハラ砂漠に不時着した「ぼく」は、ある小惑星からやってきた王子さまと友だちになって・・・。

「物事の本質について考えるきっかけになりました」
(東京都 Dr.関塾駒込駅前校 教室長・高橋礼子先生)

主人公は体にコンプレックスを抱えながらも、自分の行く道を模索する。著者の自伝的小説。

「人生とは、ということを、考えるきっかけになりました」
(東京都 Dr.関塾駒込駅前校教室長・高橋礼子先生)


『十五少年漂流記』 (新潮文庫)
著:ジュール・ヴェルヌ
/訳:波多野完治

『秘密の花園』
(西村書店)
著:F.H.バーネット
絵:グラハム・ラスト/訳:野沢佳織
十五人の少年を乗せた船が漂流した。ようやくたどり着いた無人島での生活が始まる。

「無人島のような見たことのない世界を体験してほしい」
(大阪府 Dr.関塾南茨木校 多賀正樹先生)

10年間誰も入ったことのない花園。ガーデニングを通して、少年少女が成長する様子がみずみずしく描かれている。

「主に女の子に読んでほしい名作です」
(兵庫県 進学アカデミー北条栄智校教室長・西村雅代先生)


『イワンのばか』
(岩波少年文庫)
著:レフ・トルストイ/訳:金子幸彦

『史記列伝』
(岩波文庫)
著:司馬遷
訳:小川環樹、今鷹真、福島吉彦
純朴でまじめなイワンが、悪魔の誘惑にも負けずコツコツと働いて豊かになっていくロシアの民話。

「皆さんも、イワンのように、小さな努力をコツ
コツと積つ み重ねて勉学に励はげんでほしいです」
(東京都 Dr.関塾明治通り雑司が谷校 内藤尭夫先生)

中国最初の歴史書『史記』で紹介される政治家や武将、刺客などの人生を描く。全5巻。

「矛盾や完璧など、多くの言葉が生まれた本です。漢字や故事成語 、歴史の勉強にも役立ちますよ」
(神奈川県 Dr.関塾国分北校 教室長・西山邦生先生)

2012年4月25日水曜日

バンダ 葉が落ちるのは? - 蘭の達人PRO.com


投稿者: すぬーぴー

今年の夏にバンダの花が咲き、花が咲いている間は玄関の日光のあたらない所に置
いていましたが、花が終わったので日光のあたるベランダに出して1週間くらいした
ら葉がボロボロと5~6枚位落ちてしまいました。おかげで葉が2枚になってしまい
ました。
本には低温か乾燥で葉が落ちると書いてありますが、前者は違うと思うので
後者かなあと思ってます。でも他の株は同じ環境でも育ってます。水は毎日朝に葉と
根にたっぷりとかけてます。下がコンクリートなので思ってる以上に乾燥してるので
しょうか?どなたか教えて下さい。

2012年4月23日月曜日

ホーム


「二人で写真を撮った事なんてあったかしら。」

ホスピスの屋上でお揃いの麦わら帽子をかぶった奥様は、嬉しそうに微笑みました。ご主人は照れています。

初秋の風は心地よく頬をなで、日差しも和らいできた頃でした。

 

 告知を受けて日も浅く、十分なフォローも受けられずに来られたはずなのに、ご主人は冷静に「死」を見つめておられました。病状は大変悪化しておりましたから会話することはお辛いはずです。でも、ご主人は堰を切ったようにお話をされました。まるで自分史を語るように・・・。

 残された時間をはっきり自覚しておられたご主人にとって、少しでも多く自分の事を、そしてご家族のことを知ってほしかったのです。元来は無口な方だったとのこと。もう少し時間があれば、きっといろいろと書き留めて置いたことでしょう。

2012年4月22日日曜日

ジュリア キャメロン, Julia Cameron, 菅 靖彦: 本


最も参考になったカスタマーレビュー

80 人中、80人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

5つ星のうち 5.0 自分が気づかない「心にはめたタガ」をはずし、自由な生き方を再生する画期的なガイド, 2009/9/26

Amazonが確認した購入(詳細)

レビュー対象商品: ずっとやりたかったことを、やりなさい。 (単行本)

一読して、そのすばらしさに驚愕しました。★10個です。
本当にあなたがやりたいことを妨げる心の叫び、恐怖、
周囲の雑音、思い込みを取り払うための、神の啓示、
シンクロニシティを得る方法を説いた「自分で自分を制限しない」
ための名著。

社会人として、生活人として、そこそこ暮らして
くると、両親や友人、仲間、読書、コミュニケーション、
メディアなどを通じて、自分の頭、心に、無自覚のまま
常識、規範、思い込みのルールをあてはめて、いつの間にか
「本来の自分がやりたかったこと」「本来の自分が思って
みたかったこと」を、だんだん忘れて、できなくなっていきます。

2012年4月20日金曜日

勝手に深読み!:2003


勝手に深読み!:2003

勝手に深読み!:2003


2003/01/01:「こんなこと、偶然じゃない!」
「真夜中の雨」TBS系テレビドラマ 2002/10〜2002/12

このドラマ、明らかに変でした。いくら、人気俳優が他のドラマとかぶるからって、わざわざ似たような役柄を集めなくっても、と誰しもそう思ったはず。実際、批判する投稿を新聞で見たこともあります。20年も前の事件の関係者が一同に集まるという設定も不自然だと。だいたい、1〜2話のチョイ役が東幹久ですもんね。織田裕二ファンなら、あれ?と思うはず。
で、上の台詞が主人公の口から出ました。「誰かにわざと集められたんだ」、おお!
ひょっとして、狙ってたのでしょうか?だとしたら、かなりあざとい。でも、こういうのは、かなり好きかも。


2003/01/04:「雨の中、傘をささずに踊る」
「THE ビッグオー」サンライズ制作テレビアニメ  2nd.シーズン 2003/01〜2003/03放映(予定)

オープニングがウルトラセブン、ジャイアントロボにナウシカ(「火の7日間」とか)、等々。製作者の「自分を創った作品たちへのオマージュ」か?
1st.シーズン最後の主人公の台詞は、「雨に唄えば」なわけで、アニメ世代とはかぶるとは思えない。でも、分る人だけ分ればいいし、何より、カッコイイジャン!みたいな感じ。主人公のキザぶりも、アンドロイド少女の健気さも、妙に思わせぶりな世界も、常道で本道で邪道。だって、「ショー」だし。やっぱり、作品ってのは、愛よね♪


2003/01/11:「こんな人に、私もなりたい」
「大きな木」シェル・シルヴァスタイン作 絵本

大学生の頃に友人が誕生日に贈ってくれたものです。原語版も買いました。原題は「The Giving Tree」。
無償の愛、献身、自己犠牲...こんな陳腐な言葉しか思いつかない自分が情けなくなります。子供以上の人に読んで欲しい作品です。シェル・シルヴァスタインの作品が子供向けの絵本コーナーに置いてあるのは、私にはどうも納得できません。
彼の詩は、シニカルなものが多いようです。絵本でも「人間になりかけたライオン」は、その哀しい結末が辛いです。でも、本作にある暖かさが彼の人間を見る姿勢の根本のような気がします。
すべての人に読んで欲しい、そんな1作です。


2003/01/18:「少し甘口のシチュウ」
「異星の客」ロバート・A・ハインライン作 SF小説

作者には「宇宙の戦士」という作品があります。私はその作品が、とても好きで、とても嫌いです。発表当時も、賛否両論を巻き起こしたそうです。私に「白人アメリカ男性」に対して、極端な偏見をもたらした作品でもあります。

本作は、「宇宙の戦士」とは全く趣が異なります。異文明との接触、が主題なのでしょうか?私の印象としては、もっと違うものを描いているような気がするのですが。
この作品は、大学時代の友人に薦められて読みました。10代から20代にかけてというのは、人から、本から、映画から、周囲の全てのものから影響を受けます。件の友人の考えには当時から賛同できませんでしたが、彼がその後の私にとても重要な影響を与えたのは確かです。

本作には、少々衝撃的な描写があ ります。ですから、誰にでも薦められるものではありません。ハインラインが、広い見識を持った作家であることを示すものとして、もっと知られて欲しい作品です。


2003/01/25:「僕を忘れないで」
「七つの風の島物語」株式会社エニックス セガサターン用ゲームソフト

売れなかったんですかね、これ。サターン用の人気ソフトは別機種で販売されることもありますが、これは見たことがないのです。すごく、良いゲームだと思うのですが。

売り文句は「究極のデジタルアドベンチャー絵本」。プレーヤーは、太っちょのドラゴンを操作して、様々な謎を解いていくことになります。独特の絵柄・世界にはまれば「最高!」ですし、合わなければ「何、コレ?」でしょうか。

一応、メインストーリーをクリアした後、その後に進まずに、最初からやりなおしかけて、まだ途中のままです。主人公が3種類のコレクションを集めるのですが、「石」の集め方に気づかなくて、全く揃わなかったんです。
メインストーリーの最終パートのムービーは泣きました。3Dで 作りなおして、もっと自由に島を歩けるようにして、別機種で出してもらえないでしょうか?速攻で買います。


2003/02/01:「アカデミー賞男優2人のヌードが見られます」
「バーチュオ・シティ」1995年 米国映画

分類すれば、「B級アクション映画」です。冒頭から、銃の乱射シーンがあり、死体が転がります。ですから、暴力シーンの嫌いな方にはお奨めできません(最近の暴力映画よりは、ずっとマシですが)。
この映画の面白いところは、登場する設定や背景です。人工知能、科学者の倫理、埋め込みチップによる犯罪者の追跡、仮想空間での模擬体験、人造人間、再生する不死の肉体、人体実験...特に私が惹かれたのが、人格のデータ化と合成、です。
主演のデンゼル・ワシントンとラッセル・クロウがアカデミー賞主演男優賞を受賞したことから、レンタルビデオ屋などでも見つかりやすいと思います。機会があったら、見て欲しい作品です。


2003/02/08:「手塚治虫の歴史」
「鉄腕アトム」手塚治虫作 コミック

「正義と勇気の少年ロボット」、鉄腕アトムというと、そういうイメージがありませんか?全巻を読んでみると、そうではないことが分かります。

作者のライフワークとして、しばしば「火の鳥」が挙げられます。火の鳥の立場は基本的に不変です。この作品が「生と死と人間」という根源的なものを主題にしているからでしょう。
一方、「アトム」は、元々「アトム大使」という作品中に登場した少年型ロボットが読者に好評だったために、独立して生まれたました。最初から「読者の眼」の存在抜きにはありえない作品なのです。作者は、「アトムの足の長さ」にも気を使っています。

本作を全巻読み通してみると、その時代によって、作者が悩み苦しんだ姿が垣間見えます。掲載雑誌の都合などで中途半端に 終わった時もあれば、作者の迷いからか、辻褄が合わないようなことも起きます。「人間の味方でないアトム」も登場します。

作者が、自分の後からやってくる漫画家たちに嫉妬していた、という説があります。ありえない話ではないと思います。「嫉妬する」ということは、相手の才能を認め、自分と対等以上の存在と見なしてこそです。様々な「アトム」が描かれた、その同時代に人気を博した他の作者の作品と見比べてみても面白いかもしれません。
量も多いですし、全巻読むことをお薦めしにくいのですが、できれば読んで欲しい。そして、日本のストーリー漫画の礎を築いた作家の「偉大さ」と「人間臭さ」を味わってください。


2003/02/15:「巨匠アシモフに巨人と言われた作家」
「アルジャーノンに花束を」ダニエル・キイス作 SF小説

本作は、ダニエル・キイスの処女作であり、ヒューゴー賞を受賞した「中篇」です。後に、同名の長編版が書かれ、そちらはネビュラ賞を受賞しています。
ヒューゴー賞受賞席で、SF界の巨匠アイザック・アシモフから「どうやったら、こんな素晴らしい作品が書けるのか?」と問われて、キイスが「私も知りたい」と答えた、という逸話を読んだ記憶があります。
この会話は、その後の作家キイスの運命を暗示しているように思えます。

私が本作を読んだのは、中学生の頃でした。作家になることを夢見ていた生意気な中学一年生は、頭を殴られたようなショックを受けました。密度の濃さに圧倒されました。
長編の存在はずっと知りませんでした。社会人になり、勤め先の同僚から「長編もあるよ」と教え られて、借りて読みました。
おそらく、世間一般には、いくつかのエピソードが追加された長編版の評価は、「内容を広げ、深くした」というものでしょう。しかし、私にとっては中篇版を超えるものではありませんでした。
もちろん、多感な13歳と夢も醒めた23歳では、感じ方が異なります。けれども、私にとっての「アルジャーノンに花束を」は、本作なのです。


2003/02/22:「少女から女性へ、羽化の季節」
「桜の園」吉田 秋生 作 少女コミック

高校3年生の秋頃でしょうか。
同じクラスの女生徒たちが日毎に美しくなっていくことに気づきました。蕾がふくらみ、花が開いていくような、そんな時期を目の当たりにした感動を忘れられません。

クラスのほぼ全員が大学に進むような進学校です。しかも、ずいぶん前のことですから、髪を染めるどころか、化粧をする者もいませんでした。
素のままで、日に日に輝きを増す美しさ。休み時間は、彼女らをぼーっと眺めているだけで飽きませんでした。

私は、今でも、この時期の少女たちが化粧をすることには反対です。あの美しさを化粧品などで覆い隠すなんて、犯罪に等しいのではないかと思います。

本作は、チェーホフの名作を演じる演劇部の少女たちを描いたオムニバス形式になっていま す。
「バナナフィッシュ」「夜叉」などのハードな作品が有名な作者ですが、女性を描いた短編は、本当に「上手い!」と思います。
少女マンガなんて、と思われる方も、一読をお奨めします。

2012年4月18日水曜日

Kudryavka » Search


Search Results

アニカ トール『海の島』『睡蓮の池』 ステフィとネッリの物語
...下宿先の家族は、やっぱり養い親のメルタ夫妻たちとはちょっと違っていて、ステフィの「庇護者」というわけではない)。私たち日本人にはわかりにくい感じですが、中立国のスウェーデンであっても、こういう「偏見」にユダヤ人はさらされていたんだなぁということ、それをス...
森 絵都『カラフル』
...思うがまま、自由に行動できた──「仮の人生と思うからこそ」という設定が重要だから、天使だとか抽選だとかまどろっこしい(でも物語をわかりやすく)カラクリが必要だったんだろうけれども。やっぱり、その辺の小細工etcが、私にとっては鬱陶しいわけですよ、どーも。故に...
折り返し地点なんてなかった
...か「目標」がないんですけど(目指すものがあれば、実質「ムダ」でも学習過程だと思うことはできますが、現状一体何を目指せばいいのだろーか。わかりません。ピンときません)。いい加減、私の方は「プログラム」を書きたくてしょーがないんですけどね。「量産系の業務アプリ」も...
近況
...らまで、なんだかんだと「理想」を語られ(うちの教育、ホントになっていませんから、「新人にはこうしてあげて!」と言いたくなる後輩たちの気持ちはわかります。私自身が、後輩どころではなく、「教育」環境から仕事のやり方にまで、事業部のやり方にはいちいち反発があったので、今私...
ワサワサ
...、終わりだなぁ」となんとなく勘が働くわけです)。今年から新人も預かることになり…(前の上司には「私に預けたら技術屋一辺倒になることはわかりきっているので、ゼッタイ預けない」といわれていたので、以前のままならあり得ない事態なわけですが)。なんかここへきて色々試...
Perl入門 Vspan class="highlight">わかり
ませんので、テキトーに勘で書いているので、あんまり責任もてませんが(汗)。仕様としては、<ul class="hatena"&...

2012年4月16日月曜日

Ciel Bleu: ミステリ(翻訳) Archive


  [amazon] [amazon]
アラグラリンの領主である族長・エベルが寝室で殺され、その死体の横で短剣を握り締めていた男が捕らえられます。殺人の知らせは、モアン王国の新王・コルグーを経て、すぐにその妹であるフィデルマへ。フィデルマは修道女でありながら、同時に熟練した法の専門家ということを示すアンルーという高位の持ち主で、裁判官として、あるいは弁護士としてアイルランド五王国のいずれの法廷にも立つことができるという正式な資格の持ち主。フィデルマは、その日裁判官を務めた最後の訴訟で勝った若者の道案内で、早速修道士エイダルフと共にアラグラリンへと向かうことに。

2012年4月13日金曜日

夢のもつれの作品批評:三島由紀夫 バルザックほか


夢のもつれの作品批評:三島由紀夫 バルザックほか

 

 

 三島由紀夫への三章

   豊饒の……

   仮面と告白

   金閣寺と子猫

 

 建礼門院右京大夫集

 バルザック:ラブイユーズ

  P.K.ディック:アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

 ユルスナール:東方綺譚

 マハーバーラタ

 シェークスピア:マクベス

 泉鏡花:化銀杏

 上田秋成:春雨物語

 織田作之助:夫婦善哉

 鈴木道彦:プルーストを読む

 石丸晶子:式子内親王伝〜面影びとは法然

 ポオ:作詩の哲学または構成原理あるいは作曲のコツ

 

 


 

 三島由紀夫への三章

   1.豊饒の…… 

 

 いわゆる三夕の歌の一つ、藤原定家の「見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦のとま屋の秋の夕暮」について、三島由紀夫は「なかりけり」でこの歌がもっている、つまり要の字句だと主張しています。花も紅葉もと言いかけて、それを言葉の上で否定していても、花や紅葉という言葉が出てきた以上、そのイメージは残る。なかりけりと言うことによって、かえって寂しげな海岸風景にうっすらと華やかなヴェールがかかったようになると。……

 この文章は定家の歌の珍解などと冗談めかしていますが、それは謙遜か韜晦であって、本当は大真面目なもので、彼の最後の小説、「豊饒の海」の末尾と明白な関係があると私は思っています。

 「豊饒の海」四部作は、ほとんどが本多繁邦の視点� �語られ、第三作の「暁の寺」からは次第に彼がドラマ自体の主人公になっていくのですが、その最後に至って彼のかつての親友(松枝清顕)の恋人(綾倉聡子)と――第一作「春の雪」は清顕と聡子の許されない恋を描いたものです――六十年の時を隔てて再会します。しかし、落飾して月修寺の門跡となった聡子はあろうことかこう言います。

「松枝清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。そんなお方は、もともとあらしゃらなかったのと違いますか?」


 自分が仏門に入った契機でもある、恋人を知らないと言う門跡に対し、本多は彼女が白を切っているとしか思えないものの、次第に不安に駆られます。

「しかしもし、清顕君がはじめからいなかったとすれば……それなら、勲もいなかったことになる。ジン・ジャンもいなかったことになる。……その上、ひょっとしたら、この私ですらも……」

 第一作のみならず、第二作、第三作の主人公、すなわち自分の人生と深く関わった人々がいなかったとすれば自分も存在していなかったことになる。うろたえる本多に、門跡ははじめてやや強く彼を見据えて――ということはあたかも審判を下すようにと言っていいでしょう――こう言います。

「それも心々ですさかい」


 心ごころ――あると思えばある、ないと思えばない、すべては相対的なものでしかない。ということだけなら、相対主義か独我論みたいなもので、ある意味ありふれた言明だとも思えます。実際、全編の通奏低音をなしている唯識論は、「暁の寺」で正面から取り上げられていますが、その煩瑣な議論自体が「それでも世界は存在しなければならない」から行われていると何度も繰り返されています。その執拗さは、逆に言えばこの世界の存在基盤の危うさを示しているようにも感じられます。三島は、現実世界の空虚さを実感していたのでしょうか。

 しかしながら、そういう見方は小説の中のことと外の生の世界での哲学的な議論をごっちゃにしていると言わなければならないでしょう。世界が� ��在するかどうかなんてことは、小説家である三島にはどうでもいいことだったはずです。小説が書ければ世界が存在しなくても別に問題はないよと。

 「豊饒の海」というタイトルは、月の「海」の名前で、当然水もなく、魚などが住めるところではありません。それを豊饒というところに皮肉というか、逆説があるわけですが、要は初めから「この小説はカラカラの砂漠みたいに何もないんですよ」と言っているわけです。「でも、言葉で、言葉だけで何もないところに豊饒なイメージを醸しだしてあげましょう」と。

 もうおわかりでしょう。主要登場人物と何より物語の全体を見渡していた、本多がいなければ……もちろんこの小説全体は存在しえなくなります。しかしながら、小説は元々愚にもつかないことを言葉だけ で成り立たせ、読者にうかうかと読ませ、納得させることが本義だと、三島は考えていました。この作品自体が輪廻転生という現代人にとっては、およそ真面目には信じられないことを主題にしています。その延長線上に、言葉によってできた大伽藍を最後になっていったん否定することによって、読者にこの小説の存在をかえって強く印象づけているのです。まさに定家の歌のように。

 「豊饒の海」の後には、藤原定家についての小説の構想を三島は持っていたと言われていますが、私はこうしたことからもう既に成されていたのだと思っています。海の上に横雲がたなびくように、見えるとも、見えないとも定かならずとも。……

 蛇足を付け加えることになりますが、「豊饒の海」の本当の最後に注目してみましょう。

「そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……


                     「豊饒の海」完。
            昭和四十五年十一月二十五日」

 先ほど述べた小説全体の否定が心象と情景の描写となって締めくくられているわけですが、問題は最後の日付です。これは言うまでもなく、彼が市ヶ谷で決起し、自決した日です。実際にはかなり前に原稿は完成していたそうですが、そんなことはどうでもいいことです。この日付の記載は、この小説が作者の死の日に終わっていることを告げているわけですし、それ以外の理解は困難でしょう。例えばその朝に原稿用紙に書き終えて、軍服のような楯の会の制服に着替えて出発する、そういったイメージを喚起するものです。

 しかしながら、そんなことを他ならぬ三島が、他ならぬこの小説で言う必要があるのでしょうか。作者の事情(たとえそれが生死に関わることであっても)などとは無関係に純粋に言葉だけで小説を作 り上げてきた彼の姿勢から言って、幕切れで作者がひょいと顔を出しているような一行は、蛇足であると言わざるをえません。

 

 


 

  2.仮面と告白

 

 再び三島由紀夫の小説について書きます。今度は初期の代表作「仮面の告白」を取り上げます。この作品の有名な出だしは何を意味しているのでしょうか。

 「永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。」

 生まれたばかりの赤ん坊にはっきりとした視覚と記憶があるなんて、ありえないことです。主人公もそのように受け取られることを意識していて、それを言わばモメンタムにして、この小説を展開していきます。

単純に考えればこういう『大嘘』をつくことが仮面の告白たる所以であると思えるでしょう。私自身の経験で言いますと、姉と話をしていて、この小説の題名から内容は「告白を装った真っ赤な嘘」というように理解していると知って、びっくりした記憶があります。

 つまり姉(あるいは少なからぬ人びと)は、「仮面=偽りの顔→告白=偽の発言」というふうに定式化しているのでしょう。

 しかしながら� ��それでは『告白』の意味合いがあまりにも希薄だと思えます。さすがに専門家は私の姉のようには理解していません。肉に食い入る仮面という言い方があるそうですが(誰が言ったかは知りません)、「仮面=別の人格(ペルソナ)but告白=(作者自身の)真実の発言」というのが文芸評論家などの常識でしょう。

 話がだいぶこみいってきました。かつては、こういうのが文芸評論らしいと思われたふしもありますが、別に大した話ではありません。前回、小説の本義は愚にもつかないことを言葉だけで成り立たせ、読者にうかうかと読ませることにあると、三島は考えていたと言いましたが(それは三島の一貫した姿勢だったと思います)、それが彼自身に向かった場合にどうなるのか、ということです。もっと簡単に言えば、� ��小説を(近代小説の本家である)ヨーロッパの小説の流儀で書いたらどうなるのか、ということです。

 私小説とは何か。私の勝手な理解では、作家自身に起こったことをほぼそのまま書いた大正時代から昭和時代に隆盛を極めた日本独特の文学形式となります。「ほぼそのまま」というのがポイントで、小説としての虚構なり、方法論なりを持たずにということですが、これには異論があるでしょう。「日記(今ならブログ?)じゃあるまいし、実体験をそのまま書くわけはないだろうが!」という文句があの世から来そうです。でも、私は言います。「じゃあ、その虚構性はなんのためだったんですか? 実体験が持つ真実性をより高めるために施したものだったんじゃないんですか?」と。

 小説の真実性。これは私小説 作家も、三島もずっと悩んできた問題で、たぶん現在の心ある作家もみんな悩んでいる問題だと思います。私小説作家は、その拠り所を最終的には実体験こそが最もリアルなもので、真実だということで解決していたのだと思います。すなわち、ありのままに書く、そのように見せるということです。……たぶんリアリズムという言葉をどこかで勘違いしていたのでしょうし、狂言綺語をものした紫式部が地獄に落ちたという伝承に見られる古臭い倫理観に捕らわれていたせいでしょう。

 三島の場合は、全く異なります。これは嘘っぱちだ、虚構だということを第一行目から押し出しながら、その中で真実性を成り立たせようとします。この小説には、エピグラフとして、「カラマーゾフの兄弟」がかなりの長文で引用されています 。それ自体が若い三島の並々ならぬ意気込みを示すもので、またいろんな意味でこの小説と深く関連しているのですが、とりあえず注目したいのは、最後の「しかし、人間て奴は自分の痛いことばかり話したがるものだよ」です。

美と悪行(ソドム)との逆説的な関係について、ドストエフスキーらしい異常な熱とめまぐるしい論理の屈折の後に、ぽんとこの言葉が出てきます。論理的にはつながりがないにもかかわらず、この文章で抽象的な議論がいきなりリアルなものとなり、まさしく真実性を獲得していると思います。この個所とドストエフスキーの実体験は表象上は何の関係もなく、いわゆるリアリズムでもないにもかかわらず、圧倒されてしまうのです。……脇道に逸れますが、こういうドストエフスキーがぬっと出てきて いるところを読むと、地鳴りのような低音部がドライヴするチャイコフスキーの交響曲を思い起こしてしまいます。

これが三島の目指したものではないでしょうか。こうしたヨーロッパの小説の底力を見ると、我が私小説は何とも貧相な、中途半端なものに映ったのだと思います。「自分の痛いこと」を虚構の中で言うこと、これが仮面の告白の意味でしょう。

 私小説は、表面的には絶滅したようです、少なくともレッテルとしては。でも、まだまだ自伝的小説とかいうものは多いようですし、何より小説を読んで「私」とか「ぼく」とかの一人称で書かれていれば(もしかしたらそうでなくても)、作者のことだと思ってしまう読者は、現在でも53%(当社調べ)はいます。ミステリー作家の場合は、この数字は下がるそうで すが。……よけいなことばかり言って恐縮ですが、全集の解題にこの作品を「自伝的告白小説」としていたのには、思わず笑ってしまいました。

 では、三島がそんな手の込んだことをしてまで言いたかった「痛いこと」というのは、何だったのでしょうか。その答えもエピグラフが示していると思います。美とソドムの関係について述べられているわけですから、美とソドミー(同性愛、もう少し広くとれば性的逸脱)の関係と理解してよいでしょう。つまり聖セバスチャンです。さらに(これは三島が意識していたかどうかははっきりしませんが)、美と同じ意味合いで出てくる「聖母(マドンナ)の理想」からすると、母あるいは母性との関係があるように思います。この点は、彼の中ではおそらく「禁色」を経て、「サド侯爵 夫人」において終着点を見出しのでしょう。それらは、この作品と違って、「熱烈なる心の懺悔」とも「詩」とも言いがたいと私は思いますが。

 

 


 

  3.金閣寺と子猫

 

 三島由紀夫の最後の作品の末尾、初期の代表作の冒頭の順で取り上げてきましたから、最後は中期の代表作の真ん中でなければなりません。こうしたやり方は三島が最も好んだはずですから。


 「金閣寺」は三島の作品中、最もポピュラーなものの一つでしょう。足利義満による創建当初のまま残っていた金閣寺が放火されたという衝撃的な事件に取材したこと、最初から主人公の僧侶が犯罪を犯すことが読者にわかっていて、いわゆる倒叙もののスタイルをとっていることなどが人気を呼んだのだろうと思います。このわくわくするような(ミステリーのおもしろみのかなりの部分は犯罪を疑似体験する楽しみです)ストーリーを貫いているのが美(その象徴としての金閣寺)に対する三島独特の議論であり、それにリズムと興趣を与えているのが「南泉斬猫」という禅の公案です。

 昔々、ある禅寺で修行僧たちが紛れ込んできた子猫があんまりかわいらしかったので、二手に分かれて争っていました。これを見て、南泉和尚(歴史上有名な禅僧ですが)が子猫を斬ってしまった。これはどういうことか? 禅僧が猫と言えども殺生していいわけはありません。これが第一の公案です。公案とは、まあ悟りを開くための手がかりとなる質問と言ったらいいでしょうか。

 次に副住職である趙州(これも名僧の誉れの高い人です)が外出先から帰ってきて、南泉から子猫を斬ったことを聞き、意見を訊かれて、黙って頭に靴を載せてすたすた歩いて出て行った。それを見て、南泉は「ああ、今日おまえがいれば子猫は死なずにすんだのに」と嘆じます。これが第二の公案ですが、こうなってくるといわゆる禅問答、訳のわからない話らしいでしょう?

 これを主人公の溝口とアンチヒーロー(メフィスト・フェレス?)的な大学の同級生の柏木(彼も臨済宗の禅家の息子です)がいろいろと議論します。柏木は子猫を美そのものだと見立てます。美は誰にでも身を委せるが、誰のものでもないから、僧侶たちの争いの元になったのだと。さらに、美は虫歯のように舌にさわり、引っかかり、痛み、自分の存在を主張するのだと言います。しかし、痛みに耐えかねて抜くと、虫歯はもう死んだ物質にすぎず、美ではなくなる。南泉が子猫を斬ったのは、美を内部から抜こうとしたからであり、それでは猫の美しさは死んでいないのではないかと考えた趙州は、痛みを耐えるしか解決はないことを示すため、靴を頭に載せたのだと。……

 わかりにくいですが、話はある意味単純で、禁欲を強いられる修行僧にとって美は苦痛を与える存在であり(主人公たちは戒律を破るようなことをしていますが、精神的には縛られています)、それを斬って捨てるか、それに耐えていくかということでしょう。

 最初は柏木が南泉で、美に憧れる溝口は趙州だと柏木は言いますが、後では南泉=行為者、趙州=認識者という、三島の読者にはおなじみの定式が現われ、「君は今や南泉を気取るのかね」と柏木に挑発された溝口は、「美は……美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ」と応えます。つまり猫を斬ることと金閣寺を焼くことが同値なものとして扱われ、南泉の行動が溝口の行動を正当化するという構図になっているわけです。


 しかし、この構図は小説の中の話としても大きな問題があると思います。まず趙州の行動が結局は解き明かされていないため、子猫=美=金閣寺が救われる途が放置されています。これが謎として残るのならいいのですが、読者にとっては消化不良になっていると思います。

 次に子猫を美と捉える基本的な枠組み自体、観念的で公案への解答としては落第です。どんな駄目な禅寺でも柏木たちは直ちに痛棒を食らってしまうでしょう。つまり禅僧のタマゴを主人公としているのに、リアリティがないのです。

 三島はここでは禅の公案を、「豊饒の海」では唯識論を扱っていますが、仏教、もっと広く言って宗教がわかっていたとは思えませんし、やめておいた方がよかったと思います。いろいろ彼なりの理由はあったのでしょうけど。

 じゃあ、そんなに偉そうなことを言うおまえは宗教がわかっているのか、この公案が解けるのかと言われそうです。……もちろんわかりません、解けませんw。だって、私は宗教を外側からしか見てませんし、公案は座禅を組んでいない者が解ける筋合いのものではないからです。つまり宗教は理解するものではなく、体験し、体得するものだからです。

 私が好きな公案を紹介したいと思います。うろ覚えで恐縮ですが、ある高僧が弟子たちの様々な問いに対し、無言で人差し指を一本立てるだけで答えていました。これを小僧が真似をします。和尚さんのジェスチャーが修行上の悩みへの回答になるなら、自分もと考えたのでしょう。大げさに言えば言葉を超越しようとする禅の方法論への諷刺とも取れます。小僧が自分の真 似をして兄弟子たちを困らせているという噂を聞いた高僧は小僧を自室に呼び、公案を投げかけます。もちろん得意になっている小僧は、指を一本立てて答えます。

 高僧は、いきなりその指を斬り捨てます。ぎゃぁと叫びながら逃げ出そうとする小僧。それに向かって、小僧の名前を呼びます。振り返った小僧に向かって、指一本が立てられます。その瞬間、小僧は悟りを開くのです。これはどういうことか。……
 指を斬るという一見戒律を破るような行為が小僧の悟達を助けるという大きな菩薩心に発しているといった平板な解説とか、斬り落とされた指と立てられた指は何を表しているのかといった構図とかでは、すなわち外側から考えていては、この公案を会得することは決してできないでしょう。

 小僧は激痛の中で、呼びかけられ、師匠のジェスチャーの真の意味、世界とそれを超えたものの姿を見たのだろうと思います。それは禅宗のみならず、すべての宗教に共通の直接的な体験、超越者との出会いなのです。それなしで宗教について語っても空虚なものでしかありません。

 ……三島の指を斬ってあげる人がいればあのようなことは起きなかったのではと思うのは、今さら言っても仕方のないことでしょう。

 

 


 

 建礼門院右京大夫集

 

2012年4月12日木曜日

ポールソン回顧録


リアルに再現される苦闘の2ヵ月半

 

アメリカでは政府高官が政策決定の回顧録を書くよき伝統がある。大統領から国務長官、財務長官、さらにFRB(連邦準備制度理事会)議長まで、さまざまな立場の人物が回顧録を残している。最近では、クリントン元大統領が2004年に『マイこフイフ』と題して出版。今年11月のブッシュ前大統領の場合には『ディシジョンーポインツ』という表題だった。財務長官ではロバート・ルーピンが『ルーピン回顧録』を書いている。

 

2012年4月10日火曜日

デルフト 旅行 観光


デルフトー小さくこじんまりした空間・石畳の道・教会から聞こえるカリヨン・・・ああ自分は今ヨーロッパに いるのだなあ、と実感する町。

デルフトは小さい割にホテル、レストランそして小さな美術館が多く、一年を通じて多くの観光客が 訪れます。ここに滞在すれば、 昼間は美術館・ショッピングを楽しみ、夜はレストランでゆっくり食事をとり、その後夏ならば夜中まで 屋外のカフェでおしゃべりを楽しむことも可能です。デルフトは観光&学生の町なので、夜遅くまでにぎわっている オランダでは珍しい町なのです。最近は世界中で人気のフェルメールの面影を求め、デルフトを訪れる旅行客も多くなっています。


 Nieuwe Kerk (新教会) tel: +31(0)15 2123025

開館時間: 日曜休館 4月−10月 9時−18時 11月−3月 11時−16時
デルフトのシンボル。オランダでは2番目に高い塔を持つこの教会はマルクトの中心に建っています。 中にはオランダ創設の父であるウィリアムI世の墓があり、彼の生涯やオランダ建国の歴史が説明されています。 また歴代の女王・王をはじめとするロイヤルファミリーのお墓もここにあります。